「解雇の金銭解決制度」導入に反対する声明
2021/10/21
「解雇の金銭解決制度」導入に反対する声明
2021年10月21日
日本労働弁護団幹事長 水野英樹
2018年6月12日に厚生労働省内に設置された「解雇無効時の金銭救済制度に係る法技術的論点に関する検討会」(座長は山川隆一東京大学教授。以下、「論点検討会」という)は、現在まで計14回開催され、いわゆる「解雇の金銭解決制度」について議論の取りまとめの段階に至っているようである。日本労働弁護団は、これまで解雇の金銭解決制度の創設に反対し、また論点検討会の議論の在り方についても意見を発してきたところであるが、同検討会の議論状況に鑑み、ここに改めて、同制度の導入に反対する意見を発するものである。
1 議論の推移
論点検討会では、解雇された労働者が救済される選択肢を増やす、という観点から、労働者のみが行使できる、労働契約を金銭の支払によって終了させることを目的とする権利(論点検討会の資料では、「解雇無効時の金銭救済請求権」として整理されている)を法制化することを念頭に、法的論点の整理を行っている。
日本労働弁護団は、論点検討会が設置されて以降、同検討会が、その目的である「解雇無効時の金銭救済制度に係る法技術的な論点について議論し、整理を行う」(第1回論点検討会「開催要項」参照)ことを超えて、解雇の金銭解決制度導入を前提として、制度を導入する場合の案を、複数の選択肢を含めながら整理し続けていることから、繰り返し同制度の創設に反対する見解を表明してきたところである。
しかしながら、論点検討会では、現在も変わらず、制度導入を前提にするかのような議論が続けられている。さらには、政府が2021年6月18日に公表した「成長戦略フォローアップ」では、「労働移動の円滑化」という項目において、「解雇無効時の金銭救済制度について、2021 年度中を目途に、法技術的な論点についての専門的な検討の取りまとめを行い、その結果も踏まえて、労働政策審議会の最終的な結論を得て、所要の制度的措置を講ずる。」(同47頁)とされていることからすると、2022年3月までに、論点検討会の議論の取りまとめが行われることが予想される。
2 「解雇の金銭解決制度」導入する必要性はない
そもそも、現行法制下において、新たに解雇の金銭解決制度を導入する必要が全くない。
すなわち、論点検討会では、「解雇紛争についての労働者の多様な救済の選択肢の確保等の観点からは一定程度必要性が認められ得る」(2017年5月「透明かつ公正な労働紛争解決システム等の在り方に関する検討会」報告書30頁)という意見の下、労働者側の申立権に限定して、解雇無効時における労働契約の金銭解消の法制度に関する検討が続けられている。もっとも、直近の同検討会の資料を見ても、同検討会は、金銭解消制度を利用するためには、当該解雇が有効か無効かに関する判断を、訴訟又は労働審判を通じて明らかにすることが前提となっている(第14回論点検討会資料1)。このことからすると、仮に労働者が金銭解決を求めて権利行使をするとしても、訴訟又は労働審判を通じて当該解雇が無効であることの訴訟活動を要するのであるから、解決に至るまでの間の労働者側の負担は変わらないのである。そうすると、現在検討されている案が、本当に、「労働者の多様な救済の選択肢の確保」となりうるのか、疑問である。
すでに、解雇について金銭の支払いにより労働契約を終了させて解決することは、民事訴訟制度の和解手続き及び労働審判制度の調停(和解)・審判手続きとして定着しており、この点からも、新たな制度を導入する必要性は全くない。たとえば、現在の労働審判制度では、解雇事件について、労働審判委員会は、当該解雇が有効か無効かの判断を前提にし、その上で、当該解雇が無効であるとの心証である場合に、当事者に対して、職場復帰か金銭を支払うことによる退職和解による解決か、いずれを望むかの意思確認をした上で、調停や審判による解決に当たっているのである。しかも、金銭による解決をする場合であっても、労働審判委員会は、形式的な算定式をもつわけではなく、様々な事情を考慮して、解決金の額を決めているのである。このような解決方法は、裁判官のみによる審理である通常の民事訴訟における解雇事件の紛争解決であっても、何ら変わるところはない。このように、解雇事件は、現在の法制度によっても、訴訟や労働審判を通じて、職場復帰ではない解決をすることも可能なのであるから、これを変容するような新たな制度を導入する必要性は全くない。解決金の算定式を予め法定化することには、下記3で述べるとおり、むしろ弊害が大きく、現在定着している訴訟実務に悪影響を及ぼしかねない。
3 「解雇の金銭解決制度」導入による弊害
制度を導入した場合には二つの弊害がある。
一つ目は、新たな制度の導入が、実務の運用に悪影響を与えるおそれがあることである。現在の訴訟及び労働審判実務において、解雇された労働者に対して使用者が金銭を支払い退職する解決をする場合、労使の様々な事情を考慮して解決金の金額を決めているのであって、形式的な算定式を予め定めては柔軟な解決ができない。この点、解雇の金銭解決制度の導入は、定着している実務を制度化するだけで実務に悪影響を与えないとの意見もあるが、賛成できない。たとえば、第14回論点検討会の資料では、「労働契約解消金の性質」(なお、労働契約解消金は、いわゆるバックペイを除いた別債権として位置づけられている)における「上限・下限」という項目において、「労働者保護及び予見可能性を図る観点から、上下限を設けることが適当」(同資料1、5頁)と整理され、いわゆる「解決金」に上限額を設定することが想定されている。仮に制度が導入された場合、理論上は、訴外で職場復帰を求めたりも可能であるが、現実には使用者側は金銭解消制度における解決金の上下限を前提に、職場復帰を断念させ、かつ、上限額枠内での解決に固執することが懸念される。これにより、訴訟等を通じて可能な柔軟な解決が阻害される可能性が高い。
もう一つは、「解雇の金銭解決制度」がリストラを誘発することにある。論点検討会の資料では、いわゆる「解消金」の算定方法の考慮要素についても議論されており、制度化にあたっては、「解消金」の算定方法が客観的に定められ、その算定方法は法文上明らかになるものと思われる。そうすると、制度導入により、使用者側に裁判外でも「この労働者は、これくらい払えば、たとえ解雇が無効となったとしても会社から追い出すことができる」という悪しき相場感覚を持たせることになってしまう。論点検討会の資料においても、解消金の上下限を設ける理由として先に引用した通り「労働者保護及び予見可能性を図る観点」が理由として挙げられているが、「予見可能性」は、使用者の経済的負担の「予測」をももたらすのである。論点検討会には、「解雇無効時の金銭救済制度」という名称がつけられていることからしても、政府は、現在論点検討会で議論されている制度がいかにも労働者の「救済」のためにあるかのように見せかけているが、使用者にリストラ時に相場感があると誤解をさせ、無用なリストラを誘発するのである。
4 解雇の金銭解決制度を導入しようとする使用者側の目的
現在検討されている「解雇無効時の金銭救済制度」は、すでに指摘したとおり、労働者申立権に限定されているが、ひとたび新たな制度として導入されてしまうと、今後において使用者申立権へ拡大する可能性を持たせてしまうことになる。
本制度の導入に賛成する使用者側の目的は、無効な解雇であっても使用者の申立てによって労働契約を金銭によって強制的に終了させることができるようにする権利を獲得することである。どのような法文が作られるにせよ「労働者」に限った申立権を法文の改正により拡大することは容易である。解雇の金銭解決制度の導入に積極的な論者には、現在検討されている労働者申立権による制度について、労働者に選択権があることから労働者側にメリットがあることを強調しながら、他面で、同検討会が労働者側の申立権に限定して解雇の金銭解決制度の検討を始めたのは世論対策であって、労働者からの申立てであれば労働者側が反対できなくなるようにできると公言する者もおり、労働者側申立権に限った同制度が、使用者による労働契約の金銭解消制度の足がかりであり、解雇規制を緩和するための政策であることを事実上認めているのである。そこには、仮に労働者申立権に限って導入したとしても、労使の一方にしか権利を認めないのは不公平だなどと労働者申立権に限る制度に不満を出すなどして、あくまでも使用者申立権への足がかりとして、労働者申立権を容認するという姿勢がある。
5 求められるのは雇用の安定
現在、新型コロナウイルス感染症の感染拡大が世界的に止まらず、その影響により多数の労働者が雇用を失い、雇用不安が叫ばれている。そのような状況において、政府は多額の財政出動により、社会全体の安定の基盤でもある労働者の雇用を何とか維持させ、雇用の安定を図ろうと、雇用調整助成金等の制度を用いて、使用者がコロナ禍においても雇用を維持できるように様々な労働政策をとっている。
そのような現状において、労働者を解雇し易くし雇用を不安定にするという、真っ向から反する法制度である解雇の金銭解決制度を導入するなど、労働政策・社会政策としての一貫性が決定的に欠如している。
コロナ禍で求められるのは、労働者を解雇し易くする解雇の金銭解決制度の導入ではなく、雇用を安定させる施策であることが自明である。
6 労働者の泣き寝入り防止のための対策
解雇の金銭解決制度の導入に積極的な論者からは、解雇された労働者が救済される選択肢を増やすことで労働者の泣き寝入り防止が導入目的であると指摘されている。しかし、労働者の泣き寝入り防止が導入目的であるなど、労働者の置かれた現実を踏まえないもので欺瞞に過ぎない。真に労働者の泣き寝入り防止を目指すのであれば、解雇の金銭解決制度導入ではなく、他に導入すべき法制度は多数存在するのであり、端的にそれを実現すべきである。
労働者は解雇されるとそれが不当解雇であっても職場に戻ることは現実には困難で、これが不当解雇に対し労働者が泣き寝入りを強いられる要因となっている。この問題の根本には、現在の裁判実務が基本的に労働者の就労請求権を認めていないこと、苦労して職場復帰を勝ち取ったとしても労働者が使用者等からハラスメントを受けた場合に実効的な抑止策が存在せず現実の就労継続が困難になるという問題がある。したがって、立法で、労働者に就労請求権を認め、ハラスメントに対する実効的な対策を設けることで、裁判手続を通じて不当解雇された労働者が職場復帰できる可能性を広げる法制度を拡充すべきである。
また、不当解雇に対し泣き寝入りを強いられる労働者の救済には、法的手段をとる上で障壁となっている弁護士費用や訴訟費用を公的に支援する制度や、その間の生活費などの心配が無いように失業保険の拡充などを充実させることが有益である。
さらに、使用者による不当解雇自体を抑制するためには、現在の低額な解雇予告手当の金額を大幅に増額したり、不当解雇を行った使用者にバックペイの支払とは別に損害賠償責任を負わせる制度を制度化したりする対策も有効である。
日本労働弁護団は、解雇の金銭解決制度の導入に強く反対するとともに、労政審において同制度に関する議論を進めないことを求める。
以上