賃金等請求権の消滅時効に関する法律案要綱に対する意見書

2020/2/3

賃金等請求権の消滅時効に関する法律案要綱に対する意見書

2020年2月3日
日本労働弁護団
会長 徳住 堅治

 2019年12月27日に開かれた第157回労働政策審議会労働条件分科会(部会長:荒木尚志東京大学教授)において、「賃金等請求権の消滅時効の在り方について(報告)」がまとめられ、厚生労働大臣に建議された(以下「建議」)。また、2020年1月10日に開かれた第158回の同分科会では、同建議に基づき、「労働基準法 の一部を改正する法律案要綱」(以下「要綱」)が諮問された。

 この建議と要綱は、2020年4月1日に施行される改正民法に関連した労基法115条の在り方等に関するものであるが、要綱の内容は以下のとおりである。
第1 労働者名簿等の書類の保存期間の延長 「労働者名簿、賃金台帳及び雇入れ、解雇、災害補償、賃金その他労働関係に関する重要な書類の保存期間について、5年間に延長すること」
第2 付加金の請求を行うことができる期間の延長 「付加金の請求を行うことができる期間について、違反があった時から5年に延長すること」
第3 賃金請求権の消滅時効期間の見直し等 「賃金(退職手当を除く。)の請求権の消滅時効期間を5年間に延長するとともに、消滅時効の起算点について請求権を行使することができる時であることを明確化すること」
第4 経過措置 「第1から第3までによる改正後の労働基準法109条、114条及び115条の規定の適用について、労働者名簿等の保存期間、付加金の請求を行うことができる期間及び賃金(退職手当を除く。)の請求権の消滅時効期間は、当分の間、3年間とする」
第5 施行期日等 ①施行期日「この法律は、民法の一部を改正する法律の施行の日(令和2年4月1日)から施行すること」 ②経過措置「この法律の施行前に労働基準法第114条に規定する違反があった場合の付加金の請求期間及び賃金(退職手当を除く。)の支払期日が到来した場合の当該賃金の請求権の消滅時効の期間については、なお従前の例によること」 ③検討「政府は、この法律の施行後5年を経過した場合において、この法律による改正後の規定について、その施行の状況を勘案しつつ検討を加え、必要があると認められるときは、その結果に基づいて必要な措置を講ずるものとすること」

 まず、要綱第5のうち①②は妥当である。
 特に、第5の②経過措置について、使用者側は「適用対象は賃金債権発生時を基準とするのではなく労働契約締結時を基準とすべき」などと主張していたが、この見解は明確に退けられたことになる。使用者側が主張する労働契約締結時を基準とすると、施行日前に入社した労働者については改正法施行後も賃金請求権の消滅時効が2年間に据え置かれることになり、法改正の趣旨に反するとともに労働者間での不公平が著しく、あまりに不合理なものとなる。建議及び要綱が、その見解を否定し、「斉一的処理の要請」などから賃金債権発生時を基準としたことは評価したい。

 要綱第3の賃金請求権の消滅時効について改正民法に合わせて5年間とし、第1の労働者名簿の保存期間、第2の付加金の請求を行うことができる期間も5年としたことも妥当な改正である。
 しかし、要綱第4が、経過措置として、第1から第3までの期間を「当分の間、3年間とする」とする点は不当であり認められない。これは、「当分の間」、改正民法の消滅時効期間よりも賃金請求権の消滅時効期間が短くなることを意味する。民法よりも労働者に不利益な条件を労基法において認めることは、労働者保護を目的とする労基法と根本的に矛盾することになる。
 建議は「賃金請求権について直ちに長期間の消滅時効期間を定めることは、労使の権利関係を不安定化するおそれがあり、紛争の早期解決・未然防止という賃金請求権の消滅時効が果たす役割への影響等も踏まえて慎重に検討する必要がある」と指摘する。この点については、そもそも、短期消滅時効が廃止されたのは、賃金債権だけではないにもかかわらず、なぜ「労使関係」のみ「不安定化」を懸念するのか不明である。特に、労働債権に類似した他の請求権、例えば請負契約に基づき労務を供給する就労者の報酬請求権は、改正民法によって消滅時効は5年となることとの整合性が説明できない。「紛争の早期解決・未然防止」という点については、賃金未払という重大な労働基準法違反を犯している使用者を3年で免責させることを正当化する理由にはならない。労基法に基づき賃金を全額支払っている企業を守るという公正競争の観点からも受け入れがたい指摘である。

 また、建議は、当分の間「3年」とする根拠として「現行の労基法第109条に規定する記録の保存期間に合わせて3年間の消滅時効期間とすることで、企業の記録保存に係る負担を増加させることなく、未払賃金等に係る一定の労働者保護を図るべき」としている。この「企業の記録保存に係る負担」も、賃金請求権の消滅時効を「当分の間、3年」とする理由にはならない。記録保存は電子データ化等により技術上容易であって、記録保存を現行の3年から5年分とすることに伴う負担増は微々たるものである。電子データ化の導入に困難な事情がある中小企業が存在するならば、必要な支援を政府が検討し実行すべき問題である。記録保存に係る負担は、労働者の賃金請求権の保護を他の債権に対する保護に劣後させる理由にはならない。
 以上のとおり、要綱第4は、労働者保護を目的とする労働基準法の観点から認められず、端的に削除すべきである。

 当弁護団は、以上のとおり、要綱第4の経過措置自体に反対であるが、仮に、第4の経過措置を入れるにしても、その経過措置について期限を付すべきである。具体的には、「当分の間、3年間とする」と規定するのではなく、「施行後5年を経過するまでは、3年間とする」と明確に期限を付すべきである。また、必ずしも5年を待つ必要はなく、それまでの間に経過措置を廃止する法改正を行うことも法律に明記するべきである。

 なお、2008 年の労働基準法改正では、時間外労働の割増手当について、1ヶ月60 時間を超える時間外労働に5 割以上の割増率が義務づけられたが(37 条1 項但書)、中小企業には「当分の間」適用しないとされていた(138条)。この改正の施行期日は2010年4月1日であったところ、施行後3年を経過した場合に当該適用猶予に検討を加えるとされていた。しかし、結果として3年後の2013年には見直されず、その廃止は2018 年の労働基準法改正を待たなければならなかった(施行期日は2023 年4 月1 日)。2008年の改正は中小企業に雇用される労働者に限定された適用猶予であったところ、今回の消滅時効は全ての労働者に関わる問題であることからも、今回の改正には経過措置の具体的な廃止時期を明記すべきである。

 以上のとおり、建議及び要綱が、賃金請求権の消滅時効等を改正民法に合わせ、その適用対象を賃金発生時を基準としたことは評価できる。しかし、経過措置として、賃金請求権の消滅時効等を「当分の間、3年間とする」と経過措置を付した点は、労働基準法の目的等からして認めることはできず、経過措置の規定を削除するか、少なくとも5年で経過措置を廃止することを明記すべきである。

以上