これからの労働関係法令の在り方に関する幹事長声明
2023/10/24
これからの労働関係法令の在り方に関する幹事長声明
―「新しい時代の働き方に関する研究会」報告書を受けて―
2023年10月24日
日本労働弁護団 幹事長 佐々木 亮
1 厚生労働省は、2023年3月20日、「新しい時代の働き方に関する研究会」(座長 今野浩一郎学習院大学名誉教授)を設置し、同研究会は、本年10月20日、報告書を公表した。
報告書においては、デジタル技術の発展などにより企業を取り巻く環境だけでなく、就業時間、場所、形態について労働者の希望が個別・多様化していること、キャリア形成において多様な働き方を求める労働者が増加しており集団的な労使協議に限らず労使コミュニケーションを図っていくことが必要であることから、具体的な検討課題として、労働基準法制における対象とすべき労働者の範囲や、事業場を単位とした規制がなじまない場合における適用手法の在り方を挙げる(11頁)。そして、具体的な制度設計を検討するに当たって押さえるべき考え方として、従来と同様の働き方をする人が不利にならないようにすることを示しつつ、個々の働く人の希望をくみ取り、反映することができる制度や、ライフステージ・キャリアステージ等に合わせ、個人の選択の変更が可能な制度、そして、シンプルでわかりやすく実効的な制度とすること等が挙げられている。あわせて、臨検監督を主たる手法としてきた労働基準行政の在り方についての検討の必要性を指摘している(15頁)。また、より根本的に、「労働者」「事業」「事業場」等の労働基準法制における基本的概念についても検討を求めている(20頁)。
このように、本報告書は、「新しい時代」と銘打ちながら、この間の「働き方」の変化に応じて法制度も変化していくべきことを示そうとするようである。
2 もっとも、「新しい時代」でも求められる制度・視点は不変である。それは、たとえ「新しい時代の働き方」と称しても、労働者は使用者(企業)の指揮命令下で働かざるをえないことは、何ら変わらないからである。本報告書においては、労働者が自己管理能力を高め、また、労働基準法制を正しく理解し活用することが大切であると指摘するが、労働基準法制を遵守すべき主体は、あくまでも使用者である。労働者がその有する権利を知り、それを行使できることは大切であるが、使用者に法を遵守させることについてまでも「自己管理能力」などと称して労働者に押しつけるものではない。現在でさえ、労働基準関係法令の違反率は68.2%に上っており(令和3年 労働基準監督年報)、遵守されていないのが実態である。この点からすると、「新しい時代」であっても、現行の法制度を遵守させるよう、行政が適切に指導することが必要である。
行政の指導が不十分となっている背景には、監督実施件数が減っていることにも原因がある。平成2年には定期監督等を含めて179,129件の監督が実施されていたにも関わらず、令和3年には149,379件に留まっている(令和3年労働基準監督年報)。本報告書においては、労働監督行政においてAIやデジタル技術を積極的に活用することや事業者による自主的な法令遵守状況のチェックを促すことを示すが、行政における適切な人員配置をすることも急務である。
3 また、労働関係法令は、基本的には、労使の交渉力の格差があることを前提にしつつ、労働者保護の視点から、公労使三者の協議を経て必要な制度設計をしてきたものである。労働基準法制を無用に変化させる必要はない。むしろ、現行法でも労働者保護の視点からは不十分な点が多いからこそ、当弁護団は様々な観点から意見を述べてきたところである。
特に、本報告書において指摘されている中で、むしろ、現行法制においても不十分で規制を強化すべきポイントは3つある。
一つ目は、「労働者」概念である。本報告書においては、雇用か否かを問わず働く人全てを念頭に入れて監督指導の在り方を検討する必要があるとする(22頁)。当弁護団は、すでに、昨今急速に広がっているプラットフォームを介した就労を念頭に、労働者性の推定規定(労働者みなし規定を含む)の創設を求めているところであり、現行法制の解釈上、極めて狭く捉えられている「労働者」概念の見直しは早急に進められるべきである。
二つ目は、労働時間規制である。2018年には働き方改革一括法の成立により、労働基準法に時間外労働等の上限規制が導入されることとなったものの、その上限はいわゆる過労死ラインに匹敵するもので、不十分なものである。また、EUにおいてすでに導入されているインターバル規制についても言及されておらず、「新しい時代」においてもなくならない長時間労働を、根本から解消するような提言は一切なされていない。労働時間規制については、これをより強化する方向性で議論がなされるべきである。本報告書では、企業に対するヒアリングの中で、労働時間と成果がリンクしない働き方をしている労働者について、労働者から同意を得た上で労働時間制度をより使いやすく柔軟にしてほしいという希望があった旨記載されているが、これは、当該労働者に対して、当該労働者の自己責任の下に、労働時間規制の適用除外を認めることに他ならない。そのような規制緩和は、長時間労働を助長するものに他ならず、断固として許されないことは、言うまでもない。
三つ目は、労働者の健康確保の在り方である。健康確保の大前提として、労働時間規制が重要である。その上で、使用者は、労働者を雇用する以上、適切に労働者の健康に対して配慮する義務を負っている。もっとも、本報告書は、健康管理の在り方として、労働者自身が健康保持・増進に主体的に取り組むことの重要性を説いている。この方向性は、現行法が予定する使用者による労働時間管理及び労働者の健康確保の義務を緩めてしまうことになりかねない。労働者の健康確保の在り方については、あくまでも、使用者の主体的な取組みとして、労働者の健康確保のための措置が重要であることを前提とした議論をすべきである。
また、勤務時間外や休日における業務上の連絡等の在り方についての検討することを指摘している。この点は、たとえばテレワークが普及したことによって就労場所が事業場外となる場面を想定しているものと思われるが、事業場外における労働時間管理は、インターネット技術の普及によって、むしろ従前よりも容易になったといえよう。そしてその上で、使用者が労働者に対して、時間外には連絡をとることができないような制度設計をすべきである。
4 ほかにも、当弁護団は、本報告書においては触れられていない問題として、実効的なハラスメント規制やジェンダー平等の実現、全国一律最低賃金の早期実施、非正規雇用労働者の待遇改善や有期雇用の入り口規制に関する立法提言などを行ってきた。また、使用者における裁量権のもと、広範な転居を伴う配転命令権が認められてしまっているため、育児や介護にも影響が及んでいる。このように、「新しい時代」になっても是正されない諸問題については、何ら触れられないまま労働基準法制に関して、新たに、しかも、特に労働時間法制や健康確保の在り方に関しては規制緩和の方向性から議論を始めるのは、これまでの労働基準法制に関する議論の積み重ねを無視するものであると言わざるをえない。
当弁護団は、「新しい時代」においても、現在の労働基準法制の強行法規制を維持することを前提としつつ、労働者の権利がより保護されるような議論がなされることを強く望むものである。
以上