労働時間規制の撤廃に向けた動き

2004/10/1

1 労働時間規制の適用除外に向けた動き

 従来から、経済界を中心に一定のホワイトカラー労働者層に対しては、労基法の労働時間規制を撤廃すべきであるという主張がなされてきた。政府の総合規制改革会議がアメリカ流の「ホワイトカラー・イグゼンプション」の導入をうたい、これを受けて、昨03年12月の労働政策審議会の建議では、「アメリカのホワイトカラー・イグゼンプション等についてさらに実態を調査した上で、今後検討することが適当である」と位置づけられた。厚生労働省内でも研究が進められており、現地調査なども計画されている

また、同省の「仕事と生活の調和に関する検討会議」の報告では、一定層の労働者に対して「希望」すれば量的な規制を受けない(つまり無制限に働ける)自主的な労働時間管理を可能とする新たな仕組みの導入を認める方向性が打ち出されている(詳しくは、第5章第5労働時間参照)。

衆議院厚生労働委員会で日本経団連の紀陸孝常務理事は、「ごく一握りの経営幹部のサポートをする人たちだけではなくて、競争力強化という面から、必要な人材が十分に働けて、かつそれが国際的に競争できる、コストの面で見合うような範囲、そういう層までエグゼンプション制度の対象にすべきではないかというふうに考えております。」と端的に述べている。

この発言が経済界の本音である。必要な人材が十分働けて、コスト面で見合うような制度といえば、現行のサービス残業が理想であるが、現行法下では違法なので、合法化したいということである。

2 アメリカの現状

ところが、ご本家のアメリカでは、ブッシュ政権がさらなる労働時間規制の緩和に踏み切り、これが広範な労働者層からの反発を浴びている。ブッシュ政権が富裕層のための政権であることは、マイケル・ムーアの著作や映画をはじめ、多くの文献等で明らかであるが、低所得層労働者のわずかな時間外割増手当さえ剥奪しようとする今般の公正労働基準法の改正をみると、アメリカ型の労働時間規制の緩和(というより撤廃)の行き着く先がみえるようである。

財界が導入を目論んでいるアメリカのホワイトカラー・イグゼンプションとはどのような制度なのだろうか。

 日本の労働基準法に当たるアメリカの連邦法である公正労働基準法(Fair Labor Standard Act「FLSA」)では、使用者が労働者に週40時間を超える労働をさせた場合、通常の賃金の1.5倍以上の割増賃金を支払わなければならないと規定されている。この原則に対する例外として、割増賃金を支払う必要のない(適用除外)労働者層が規定されている。これを「ホワイトカラー・イグゼンプション」と称している(実際には外勤セールスマンやタクシーの運転手などホワイトカラーとは言えないような広範な職種が規定されている)。

 管理職・裁量職・専門職労働者(管理職等という)と外勤セールスマンが一定の要件の下で適用除外とされている。アメリカのホワイトカラー・イグゼンプションは、導入要件が緩やかなため、その適用範囲が広く、管理職等は民間労働者の24.8%、全労働者の25.9%を占め(96年。99年は21%との報告もある)、時間外割増賃金の支給対象外とされている。また、わが国では裁量労働あるいは事業場外労働におけるみなし労働時間制の対象とされ、法規制の枠が及んでいる「専門的被用者」や「外勤セールスマン」が直ちに適用除外とされている点でも大きく異なっている。そして何よりも、36協定の締結・届出を要件として厳格な規制をなす日本の法体系に、そのような規制を一切課さない法体系における制度の一部を接ぎ木することは許されない。ドイツでもフランスでも労働時間法の適用除外は極く一部に厳格に限定されている。

3 ブッシュ政権による適用除外の拡大

 このようにもともと広範な労働者を労働時間規制の埒外においている制度であるにもかかわらず、経済界の強い要求に応じて、ブッシュ政権は、さらに多くの労働者から時間外手当を剥奪する内容の規則改正を強行し、改正規則は2004年8月23日から施行された。

 この規則改正は、広範な労働者の反発を呼び、抗議の電子メールや手紙などが大量にホワイトハウスや議会に届けられ、反対する集会やデモが繰り広げられた。

 民主党のケリー大統領候補は、次期大統領選挙に勝利すれば、今回の改正を直ちに撤廃すると約束しており、アメリカではこの労働時間規制の問題が、大きな政治問題に発展している。経済界が理想的とするアメリカの制度は、労働者の猛反発を受けているのである。

今回の改正は、導入要件をさらに緩和することによって、数百万人もの新たな労働者が適用除外になると予想されており、看護士や保育士、飲食店のマネージャー、調理師等が適用除外となるとの指摘がある(本誌255号参照)。

4 イギリス型も浮上

 労働時間規制の緩和については、主として、アメリカ型のホワイトカラー・イグゼンプション制度が参考とされてきたが、厚生労働省の「仕事と生活の調和に関する検討会議」の報告の方向性は、イギリスの制度も念頭に置いているようにも思われる。イギリスは伝統的に労働時間規制のない国であったが、1997年に労働党政権ができてから「EU労働時間指令」を国内法化し、13週平均実働週48時間の労働時間規制を初めて立法化した。ところが、その際に、「オプト・アウト」という制度を採用した。これは、労働者の同意を得れば、週48時間の上限を超えて労働させることを認めるという制度であり、ある調査によれば、実に労働者の33%が同意書にサインしているという。そして、EU委員会は、このような労働者の同意が一般化しているため、事実上労働者の選択の自由が阻害されているという(ビジネス・レーバー・トレンド04年6月号30頁参照)。

 いきなりアメリカの制度を導入することは、日本の法制度と整合しにくく、困難と考えたのか、労働者の同意という要素を持ち込んで、労働時間規制の撤廃が目論まれているようである。しかし、わが国はイギリス以上に[労働者の同意]が形骸化する可能性が高い。

 そもそも、「調和検討会議」の報告が、年次有給休暇について、「仕事以外の活動を行うための時間を確保する観点からは、年次有給休暇の取得が重要であるが、周りへの迷惑や職場の雰囲気などを理由に取得をためらう労働者が多く、取得率は低下している。取得促進を図るためには、労働者が取得をためらう理由の背景ともなる使用者の姿勢や取組が重要となる」と指摘しているとおり、年次有給休暇の取得さえままならないわが国において、労働者の同意を正当化理由とする労働時間規制撤廃は、非常に危険である。そもそも労基法は契約の自由を制限して労働者に最低限の人間らしい生活を保障しようとするものであり、労働者個人の同意(契約)を適用除外の根拠とすることは矛盾であり、労基法93条、92条の趣旨からも許されない。

5 規制の緩和ではなく強化を

わが国においては、もともと異常な長時間労働や賃金不払残業が蔓延し、過労死が後を絶たないという実情がある(賃金不払残業の是正指導件数は、2003年で過去最高の1万8500件であり、書類送検数は35増の84件である。同年度の過労死の認定件数は157件と過去2番目、精神障害の認定件数は、最多の108件となっている。03年度に東京労働局が是正支払をさせた企業は180社、42億円であり、02年下期には全国で403社、72億円余が支払われた)。

 結局、長時間労働をしなければこなせないような量のノルマや難易度の高い業務を与えられる限り、いくら仕事の手順や方法に「裁量性」があろうと、労働者は長時間仕事をせざるを得ない。成果主義賃金の導入は、こうした傾向にますます拍車を掛けている。このような現状を放置したままでのさらなる広範な適用除外の導入には断固、反対する。

 長時間労働の問題は、個々の労働者の命と健康の問題であるだけではなく、リストラの結果として一部の正規社員に業務が集中し、その結果、大量の失業者の職を間接的に奪っているのであり、雇用の問題もはらんでいる。

 また、残業代の不払は、単に割増賃金を使用者が不当に免れているというだけではなく、それによって労働コストが事実上引き下げられ、全体として労働市場における労働コストを違法に引き下げるという効果を生んでいる。

 わが国における長時間労働・不払残業の問題は、企業の利潤追求のために本来企業が負担すべき社会的コストを労働者に転嫁する構造的な悪弊である。この問題を解決することは、日本経済の民主的な再生にとっても大きな意義があるのではないだろうか。

 今社会的に求められているのは、あるべき労働時間規制を展望し、法制化していく運動である。

以 上