労働審判制度の創設と施行に向けた課題

2004/10/2

1 労働審判制度の誕生

(1) 労働審判法の成立

 2004年の通常国会で、増大する個別労働民事紛争を迅速かつ適正に解決するための新しい制度として、労働審判法が成立した。この制度は、地方裁判所において、裁判官である労働審判官1名と労使の審判員2名が、原則3回の期日で審理をし、調停(和解)が成立しない場合は、労働審判を下すというものであり、「日本版労働参審制」とも評価できる画期的な制度である。

 労働審判制度は、司法制度改革推進本部(本部長小泉総理大臣)の労働検討会が、2003年12月19日、全委員一致で合意した「労働審判制度(仮称)の概要」を法案化したものである。法案は、2004年3月2日に通常国会に提出され、衆参両法務委員会で審議され、4月28日に全会一致で可決成立し、5月12日に公布された。この法律の施行は、公布の日から2年を超えない範囲内で、政令で定める日となっているが、労働審判員の任命等については1年6ヶ月以内となっている。

 今のところ、2006年4月1日から全国50の地方裁判所本庁でスタートすると予測されている。

(2) 労働審判制誕生の経過と要因

  ① 労働審判制度誕生の経過

 労働検討会は、労使団体、東京地裁労働部、法務省、厚労省、学者、実務家から任命された11名の委員で構成され、司法制度改革審議会の意見書を受け、熱心な議論を重ねてきた。労働検討会が意見書により付託を受けた検討課題は、a労働参審制の導入の当否、b労働関係事件固有の訴訟手続の整備の要否、c労働調停の導入、d労働委員会の救済命令に対する司法審査の在り方、の4点であった。しかしcの労働調停は既に導入の方向が決定されており、dは厚労省に設けられた「不当労働行為審査制度の在り方に関する研究会」の検討結果を受けて議論することとされたので、労働検討会での議論の中心は主としてaとbであった。これらの点について、労働側は積極的な導入を主張したが、裁判所や経営側は現状の改善で足りるとの消極論を譲らず、2003年に入って議論は膠着状態となり、容易にコンセンサスを見出しがたい状況が続いた。このような事態を打開する一つの転換点となったのが、日弁連によるイギリス、ドイツの労働裁判官の招請であった。同年7月5日、午前中に両裁判官と労働検討会委員との意見交換会が、午後にはシンポジュームが行われた。それまで労働検討会で様々な疑問や危惧が出されていた労働参審制等について、両国における現実の姿やイメージが各委員、関係官庁及び推進本部の間で理解・共有できたことは、大きな意義があった。その直後の第23回労働検討会で、民訴学者である春日委員から中間的な案が出され、次いで第24回には春日委員と労働法学者である村中、山川委員連名の「中間的な制度の方向性について」と題する文書が出され、これをもとに議論を重ねた結果、第26回(8月8日)の労働検討会で「労働関係事件への総合的な対応強化についての中間取りまとめ」が全会一致で決定された。これが労働審判制度の原型となったのである。

  ② 労働審判制度誕生の要因

 この労働審判制度は、労働側、経営側、裁判所間の越えがたいと見られた利害や意見の対立を止揚したものといえる。我が国では、西欧における労働参審制の歴史に比較して、世論の関心はまだまだ低く議論の蓄積も少ない。それは我が国社会の労働や法に対する価値基準の低さの反映でもある。このような状況下で、何故今回のコンセンサスが可能となったのであろうか。少なくともその背景として、この10数年来個別労働紛争が増大する一方で、企業内の労使による解決能力が低下し、多くの紛争が解決の手段を与えられず潜在化しているという認識や危機感の共通化があげられるであろう。経済のグローバル化や労働力の流動化等によって、雇用社会は多様な労働者で構成されるようになり、利害の対立や紛争が深刻なものとなっている。旧来型のシステムや企業内でしか通用しない慣行やルールによる対応は既に限界に達している。

 この間、個別労働紛争の増大に対応して、地方労働局の相談・あっせん等の紛争解決システムも設けられてはきた。しかしこれらはいずれも、任意的調整的な解決機能しか持たない。どんなに法違反が明白で悪質なケースでも、一方当事者がノーと言えば強制はできないのである。従って、法の適正かつ実効的な実現を図るためには、紛争解決の要である裁判による解決の途が開かれなければならない。しかし我が国の労働裁判は3000件程度で、この10年間で3倍に増えたとはいっても、英独仏等の数十万に比して桁外れに少ない。この間、多くの労働者は泣き寝入りを強いられており、それは長い物には巻かれろという退嬰的な意識を社会に沈潜化させる源となっている。国民の大半によって構成されている雇用社会に、普遍的な法を行き渡らせることこそが、人々の自立を促し、我が国社会の活力やモラルを回復させる途であろう。この様な認識が、「自由と公正を核とする法が、あまねく国家、社会に浸透し、国民の日常生活において息づくように」という司法制度改革の理念を受けて、労働審判制度を誕生させた大きな要因だということができる。

2 労働審判制度の内容とポイント

(1) 制度の特徴

 この制度は、増大する個別労働関係紛争の解決のために、原則3回の期日で、迅速、適正かつ実効的な解決を図ることを目的としている。

 そのために、第1に、申立等が簡易迅速にできること、第2に、手続の主体として裁判官だけでなく「雇用・労使関係に関する専門的な知識経験を有する者」が参加すること、第3に、原則3回以内の期日で事件を審理しつつ調停を試み、調停が成立しない場合は労働審判を決すること、第4に、この手続で解決ができない場合は自動的に訴訟手続へ移行すること等の工夫が図られている。

 この制度は、地方労働局による助言・指導、あっせんなどに比較して、裁判所の中に判定的・強制的な解決機能を有する手続を設けるという点で、より強力な解決機能が期待できる。労働検討会の座長であった菅野和夫東大教授は、「労働審判制度は、我が国労働関係紛争解決制度の課題を比較制度的な視点を入れて検討した結果構想された、日本独特の司法システムである」と述べている(自由と正義55号、21頁)。

(2) 労働審判員とその役割

労働審判手続は、裁判官である労働審判官と、「雇用・労使関係に関する専門的な知識経験を有する」労使各1名の労働審判員の合計3名により事件ごとに構成される労働審判委員会で行う。労働審判員は、労使の立場を離れ、中立かつ公平な立場で審理・判断に加わる。この点で、労使それぞれの代表として手続に関与する労働委員会の参与委員とは大きく異なる。労働審判は、労働審判官及び労働審判員の過半数の意見による。すなわち、労使の労働審判員も裁判官である労働審判官とともに手続の主体となり(但し、訴訟指揮は審判官が行う)、平等に評決権を持つ。これがこの制度の最大の眼目であり、今回の司法制度改革の一つの柱である国民の司法参加を、民事裁判手続の中で実現するものである。これによって、個別労働紛争の審理に、激動する雇用社会の実情や知識を生かす途が開かれ、その迅速かつ適正な解決に資することになる。それと同時に重要なことは、労使が労働審判員として個別労働紛争の解決を主体的に担うことを通じて期待される、雇用社会に法の支配を及ぼすいわゆるフィードバック機能である。 この制度により、潜在化している労働紛争が掘り起こされるとともに、紛争解決を担う数千人規模の労使の審判員が誕生することになれば、ともすれば法を軽視しがちな我が国の雇用社会を変える大きなインパクトとなるであろう。

(3) 簡易な申立と審理

① 申立ては、申立ての趣旨及び原因を記載した書面で行うが、申立書は、労働者本人でも簡易に記載ができるようにしなければならない。イギリスやドイツなどでは、アクセスを容易にするため簡易な定型訴状等を用意している。ただ一方で、3回の期日で結論に到達することを求めているから、申立書や答弁書の記載の充実も要請される。両者を同時に満たすことは容易ではないが、事件類型毎に定型申立書や答弁書等を用意する必要があろう。この手続は、本人申立ても可能であるが、代理人が必要な場合は、弁護士以外に、労働組合の専従者や人事労務部員なども代理人として許可されることがある。

② 相手方の意向にかかわらず手続を進行させ、労働審判を決することができるから、使用者が欠席したり非協力な場合でも、審理手続を利用するメリットがある。

特別の事情がない限り、3回以内の期日で審理を終結させなければならない。従って、第1回の期日から、充実した議論、審理が必要となる。

典型的な審理のイメージは、第1回期日までに、申立書や答弁書等で事件に関する事実関係や法律上の論点など必要な情報が提供され、第1回期日には、当事者や人事担当者も出席し、口頭でのやり取りを通じて、争点や証拠が整理される。単純な事件では、第1回期日で事件の勝ち負けの心証が形成され、調停又は審判で解決が図られる。しかし証拠調が必要な場合は、第2回目の期日で集中的な証拠調が行われる。多くの事件は、これで心証が形成され、第3回期日で調停又は審判となると思われる。このように3回の期日で労働事件を解決するやり方は、イギリスやドイツ等の労働裁判の例を参考にしたものである(イギリスでは1回、ドイツでは2回の期日が原則)。労働者が生活のめどを立てながら審判を利用できるようにするためには、迅速な解決が必要条件である。そのためには、審判委員会に早期に事案の真相を把握する能力が求められるとともに、当事者(特に使用者側)もそれに協力しなければならない。手続の具体的な内容は最高裁規則で定められるが、当事者の責務規定、申立書等の記載事項、口頭主義、期日における手続内容、主張・証拠の提出期限等が検討されている。

③ 審判委員会はいつでも調停を試みることができるが、成立した調停は裁判上の和解と同一の効力をもつ。調停は、足して二で割る式のものではなく、事実認定と法的判断を背景とした判定的調停となるであろう。手続が軌道に乗れば、多くの事件が調停で解決されることが期待される。

④ 手続は公開ではないが、相当と認める者の傍聴を許すことができる。傍聴が認められるのは、組合員や企業関係者などが典型的であろう。調停を組み込んだ手続の性格上やむを得ないともいえるが、対立当事者間の権利義務関係の存否を判断する以上、手続の公正性を担保するためにも、公開性の実現は将来の課題である。

(4) 労働審判

 労働審判は、審理の結果認められる当事者間の権利関係及び労働審判手続の経過を踏まえて行われる。その内容は、当事者間の権利関係の確認、金銭の支払い等の財産上の給付命令、その他紛争解決のために相当と認める事項を定めるものとなっている。従って、訴訟の場合よりも多様で柔軟な内容を提示することができよう。例えば、解雇事件で労働者が復職を望まないケースでは、解雇無効と判断される場合でも、金銭支払いの審判が可能となる。しかし、「労働審判手続の経過を踏まえ」るから、当事者の全く予期しない審判は許されない。従って、解雇事件で労働者が復職を望んでいる場合には、労働契約の打切りと金銭支払いを内容とする審判はできないと解される。この点、労働審判のベースとなった調停に代わる決定でも、「申立の趣旨に反しない限度」とされている。

(5) 訴訟手続との連携

 労働審判に対して異議が申立てられた場合や労働審判を行うことなく労働審判手続を終了させた場合には、労働審判の申立があったときに、その地方裁判所に訴えの提起があったものとみなされる。従って、2週間以内に訴えの提起を必要とする民事調停とは違い、改めて訴状の作成や訴え提起をする必要はない。その結果当事者も、将来訴訟へ移行することを覚悟せざるを得ず、調停や労働審判を受け入れる割合が増え、解決の実効性が高まることが期待される。また、訴えの提起があったとみなされた場合に、当事者が必要な証拠等を選択して、訴訟の資料に供することができるよう、労働審判事件の記録の閲覧謄写が認められる。人証調べや審尋の結果については、訴訟へ引継ぐためのテープ録音、調書や書面の記載など、運用上の工夫が必要となる。

3 施行に向けた課題

(1) 広報宣伝とアクセスの改善

 労働審判制度は、増大する個別労働紛争を法によって解決するための新しい受け皿として設けられるが、裁判員制度と比較しても、未だ労働者・市民に広く知られているとはいえない。利用者を増やすことが、この制度をよりよいものにするための鍵であることを考えると、これから施行までの間に、制度の内容や意義についての広報宣伝活動が不可欠であろう。マスコミや各相談窓口、ADR、司法支援センター等と連携し、制度の理解や普及に努めなければならない。普及の手段として、パンフ、手引き、ビデオ等の作成も必要となる。さらに、労働者のアクセスを容易にするためには、本人でも簡便に申立ができるような事件類型毎の定型申立書や労働審判の手引書などを作成し、各相談窓口に備付ける必要がある。

 これらについては、今後、弁護士会や裁判所、労使団体等でも準備が進められると思われるが、労働者・労働組合にパイプがあり、最も実績を重ねている労働弁護団の役割は大きい。潜在化した労働者のニーズを掘り起こし、泣き寝入りせず権利回復のために立ち上がることが当然の社会の雰囲気を作っていくためにも、ホットライン活動をより強化し発展させていく新しい取組みや運動の構想が求められている。

(2) 相談・助言と受任体制の整備

もともと労働審判制度は、労働者本人でも利用可能な制度として構想された。しかし、3回以内の期日で事件を審理し解決する仕組みであるため、少なくとも制度が軌道に乗るまでは弁護士の関与が不可欠である。特に、初期の段階では、労働審判委員会の解決能力も十全とはいえないし、使用者側には弁護士が代理人となることが想定されるから、労働者に対する相談から受任体制の整備が重要な課題となる。弁護士費用などコスト面の手当をどうするか。弁護士の数と質をどう確保するか(菅原一郎弁護士は「古手団員の活用」などを提案されているー季刊労働者の権利Vol.255・1)。制度スタートに向けて、各地の弁護団での準備と体制の整備が求められている。

(3) 労働審判員の選出と研修

 労働審判制度の成功の鍵は、裁判官である労働審判官と対等に議論が出来る能力と使命感を持った労使の労働審判員をどれだけ供給できるかにかかっている。現在のところ、スタート時の労働審判員は、申立事件数年間1500件の想定の下、労使各500名が予定されている(各地裁の割当ては、東京地裁が各115名、大阪地裁が各54名等で最低が各5名)。労働審判員の研修は、(社)日本労使関係研究協会(JIRRA)が受け皿となり、労使共同の研修事業として05年春からスタートする。研修は、全国8ブロック以上で、労働法の基礎、紛争解決の制度と技術、事例研究の13コマを4日間かけて行うことが検討されている。このうち特に事例研究の講師は弁護士が予定されており、各地の労働弁護士がその任に当たることが求められよう。さらに、労働団体や弁護士会、行政等との連携や研修内容の充実化等のために何をすべきか等について早急に検討を始めるべきである。

以 上