「国際裁判管轄法制に関する中間試案」に関する意見書

2009/8/17

「国際裁判管轄法制に関する中間試案」に関する意見書

2009年8月17日

厚生労働大臣

日本労働弁護団
幹事長 小島 周一

法制審議会国際裁判管轄法制部会は、国際裁判管轄を規律するための法整備をすることについての審議を重ね、審議の結果を中間試案としてとりまとめ、発表した。
そこで、日本労働弁護団は、「国際裁判管轄法制に関する中間試案」のうち、労働契約に関する部分について、次のとおり意見を明らかにする。

第1 総論/労働分野での国際裁判管轄法制の整備の必要性

1 従前の紛争の実情

労働分野での国際裁判管轄を巡る紛争、すなわち、労働契約を巡る紛争の裁判管轄をどこの国の裁判所が有するかという労働裁判の入口段階での紛争は、日本において、航空・金融・出版等の一部の業種で見られた。この入口段階での紛争は極めて激しく、これに多大な労力を費やさざるを得ないという特徴があった。
その原因は、第一に、明治民事訴訟法・大正民事訴訟法の立法者意思に反して、国際裁判管轄に関して民事訴訟法上に規定がないとの解釈がされ、「当事者間の衡平や裁判の適正・迅速の理念により条理で決定するのが相当」(最判昭和56年10月16日民集35巻7号1224頁)とされていたため、管轄が明確でなかったことにある。後に、「我が国の民訴法の規定する裁判籍のいずれかが我が国内にあるときは、原則として、我が国の裁判所に提起された訴訟事件につき、被告を我が国の裁判権に服させるのが相当であるが、我が国で裁判を行うことが当事者間の公平、裁判の適正・迅速を期するという理念に反する特段の事情があると認められる場合には、我が国の国際裁判管轄を否定すべきである。」と定式化されたが(最判平成9年11月11日民集51巻10号4055頁)、なお不明確であることを免れなかった。
原因の第二は、従前の紛争は日本人労働者が原告となり外国企業を被告として日本の裁判所に提訴したケースが大半であり、被告となった外国企業が日本の裁判所の裁判を回避するために本案前の抗弁として「日本の裁判所に裁判管轄がない」旨の主張を執拗に展開していたことにある。

2 今後の労使紛争について

国際裁判管轄法制の整備をせずに放置しておけば、経済取引の国際化に伴って労働契約関係の国際化がさらに一層進むことに伴い、今後、様々な分野で国際裁判管轄を巡る紛争が頻発するであろうことが予想される。
このため、国際裁判管轄を巡る法制を整備し、国際裁判管轄を巡る紛争の発生を未然に防ぐことは、労働分野においても急務である。

3 国際裁判管轄法制の整備の方法

国際裁判管轄法制の整備は、条約により国際的集団的になされる場合と、国内法により各国毎に個別になされる場合とがある。
EU諸国においては、ブリュッセル条約・ルガノ条約・EC規則等による国際的集団的な法律整備がなされた。日本においては、ヘーグ国際私法会議での国際裁判管轄に関する条約草案作成作業に期待がもたれていたが、最終的に成功には至らなかった。
このため、当面、国際裁判管轄法制の整備については、日本の国内法を整備し、日本の裁判所に訴えを提起することの可否を定める法律を整備する方法によらざるを得ない。そして、これらの定めは、外国裁判所の確定判決の日本国内における効力を左右する役割も担う(民事訴訟法118条、民事執行法22条・24条)。

4 労働契約分野での国際裁判管轄に関する基本的考え方

労働契約を巡る紛争の国際裁判管轄について、国内法の整備を行う際には、労働契約の特質を踏まえる必要がある。すなわち、労働者と使用者との間には、経済的な従属関係があり対等な交渉に基づく対等決定が困難であること、及び、提訴または応訴についての費用負担能力に著しい格差があることについて、十分な配慮がなされなければならない。

第2 労働者から事業主に対する訴えについて

1 中間試案の内容

(1) 通則

中間試案は、国際裁判管轄に関する通則的な定めとして、被告である人の住所・居所、又は法人の事務所・営業所の所在地が日本にある場合に日本の裁判所の管轄権を肯定する(第1)だけでなく、一定の要件の下で義務履行地、支払地、財産所在地その他が日本である場合にも日本の裁判所の管轄を認める(第2)。

(2) 個別労働関係民事紛争の場合における管轄の拡張

中間試案では、「個別労働関係民事紛争」に係る労働者から事業主に対する訴えに関して、日本の裁判所の管轄が肯定される範囲を拡張する特別な定めを設け、労働契約における「労務の提供地(その地を特定できない場合にあっては、当該労働者を雇い入れた事業所の所在地)」が日本にあるときも、日本の裁判所に労働者が訴えを提起することができるものとすることを提起している(第4の4①)。
ここでいう「個別労働関係民事紛争」とは、労働契約の存否その他の労働関係に関する事項について個々の労働者と事業主との間に生じた民事に関する紛争と定義されている。

2 中間試案への評価と今後の検討課題

(1) 管轄の拡張について

通則が定める国際裁判管轄要件に該当しなくても、個別労働関係民事紛争に関して労働者が提訴する場合において日本の裁判所の管轄が肯定されるための要件について、中間試案にいたる審議の初期段階で示された案では、「労務を提供すべき地」(=契約上定められた労務を提供すべき地[法の適用に関する通則法12条の用語])が日本でなければならないとされていたが、審議の過程で、「労務の提供地」(=労働者が現実に労務を提供した地)が日本であれば足りるものと改められた。
これにより『契約上定められた労務を提供すべき地が日本である』ことが肯定されない場合であっても、『現実に労務を提供していた地が日本である』ことが肯定される場合には、日本の裁判所の管轄が肯定されることとなった。
かかる中間試案の提案は、労働者が日本の裁判所に提訴することが可能な場合を拡張するものであって、積極的に評価できる。

(2) 「労務の提供地」の意義を明確化すべきこと

「労務の提供地」の意義について、勤務の内容が国際的な移動を伴うものである場合には複数の場所を「労務の提供地」と認定することが可能であること、及び、転勤があった場合には最後の勤務地だけでなくかつての勤務地も「労務の提供地」とすることを肯定する議論がなされたが、これらの点について中間試案の文言では必ずしも明瞭とは言い難いので、上記2点が肯定されることを明瞭にする必要がある。

(3) 「個別労働関係民事紛争」の定義を改めるべきこと

中間試案では、「個別労働関係民事紛争」の定義に関して労働審判法の定義をそのまま用いており、労働契約の一方当事者に関して「使用者」とせず「事業主」としている。しかし、労働契約法では、労働契約の一方当事者について「事業主」よりも範囲の広い「使用者」としており、使用者が「事業主」ではなく個人である労働(例えば、家事労働、ベビーシッター等)も労働契約法の適用対象となる。
労働契約法の適用対象については国際裁判管轄法制の適用対象とされるべきであるから、「個別労働関係民事紛争」の定義に関して、労働契約の一方当事者を「事業主」に限定するのではなく「使用者」と改めるべきである。
また、中間試案では、「個別労働関係民事紛争」の定義に関して、労働契約締結後の紛争に限定をしているが、労働契約締結前の採用等を巡る紛争をも含むように改めるべきである。

(4) 雇入地が日本である場合に関して限定を設けずに管轄を肯定すべきこと

労働契約が締結された雇入地が日本である場合に関して、中間試案では、「労務の提供地」が特定できず、労働者を雇い入れた事業所の所在地が日本国内にある場合に限って、日本の裁判所の管轄権を肯定している(第4の4①)。しかし、かかる限定をせずに、労働契約が締結された雇入地が日本である場合には、日本の裁判所の管轄を認めるべきである。
国際裁判管轄を定めるのではなく適用法を定める『法の適用に関する通則法』の12条2項は、「労務を提供すべき地」を特定することができない場合にあっては、「当該労働者を雇い入れた事業所の所在地の法」を準拠法とすることにしており、国際線の客室乗務員がこの典型例と解されている。労働契約が締結された雇入地が日本である場合において、「労務の提供地」が特定できない場合に限って日本の裁判所の管轄権を肯定する中間試案の内容は、『法の適用に関する通則法』12条2項の定めに準じるものである。
しかしながら、新たに制定される国際裁判管轄法制において、労働者から使用者に対する訴えに関して、前述のように、「労務を提供すべき地」ではなく「労務の提供地」が日本である場合に日本の裁判所の管轄権を肯定し、しかも「労務の提供地」が1つに限定されないとすれば、客室乗務員は「労務の提供地」が「特定できない場合」には当たらないことになる。また、管轄の問題としては、日本国内に「事業所」が存在すれば、「その事務所・営業所に関するもの」であれば、中間試案の第2の4の規定により日本の裁判所の管轄権が認められるので、本規定を待つまでもないことになる。このため、労働契約が締結された雇入地が日本である場合に関して、中間試案の提起するように「労務の提供地」が特定できない場合に限って日本の裁判所の管轄権を肯定することとした場合には、実際にこれが適用される場面を想定するのは困難である。
したがって、労働契約が締結された雇入地が日本である場合に関して、試案のごとく「労務の提供地」が特定できない場合に限って日本の裁判所の管轄権を肯定するのではなく、かかる限定を付さずに日本の裁判所の管轄権を肯定すべきである。
労働者から使用者に対する訴えに関して、「雇入地」が日本であることのみを理由に日本の裁判所の管轄権が肯定されるべき場合とは、具体的には、「労務の提供地」が日本になく、かつ、日本国内に「事務所・営業所」もないか(日本で職業紹介を行う者の下で労働契約の締結がなされた場合)、または、日本の事務所・営業所に関わりのないとき(本国の担当者が直接日本に来て契約したが、日本の支店等は関与しなかった場合)になる。労働力移動の国際化は職業紹介や募集採用活動の国際化を伴うのであるから、雇入地が日本である場合にも日本の裁判所の管轄権が肯定される必要がある。

第3 事業主から労働者に対する訴えについて

1 中間試案の内容

(1) 通則

中間試案は、国際裁判管轄に関する通則的な定めとして、被告である人の住所・居所、又は法人の事務所・営業所の所在地が日本にある場合に日本の裁判所の管轄権を肯定する(第1)だけでなく、一定の要件の下で義務履行地、支払地、財産所在地その他が日本である場合にも日本の裁判所の管轄を認める(第2)。

(2) 個別労働関係民事紛争の場合における管轄の制限

中間試案では、個別労働関係民事紛争に係る事業主から労働者に対する訴えに関して、前掲(1)の通則に制限を加える特別の定めをおき、日本国内に労働者の住所・居所がないときは、原則として日本の裁判所の管轄を認めないこととし、例外的に、労働者が応訴した場合、又は、管轄合意が効力を有する場合に限り、日本の裁判所を管轄裁判所とすることができることを提起している(第4の4②)。

2 中間試案への評価

(1) 管轄の制限について

個別労働関係民事紛争に係る事業主から労働者に対する訴えに関して、提訴時に労働者の住所又は居所のない国の裁判所が裁判管轄を有することを肯定した場合には、労働者の応訴のための負担が過大となり、労働者の裁判を受ける権利を実質的に保障することは事実上困難である。
このため、中間試案では、個別労働関係民事紛争に係る事業主から労働者に対する訴えに関して、提訴時に労働者の住所又は居所のある国の裁判所においてのみ裁判管轄を肯定することを原則としている。
中間報告の提起している管轄制限は、労働者と事業主との間の応訴能力の格差に配慮し、労働者の裁判を受ける権利の実質的な保障に資するものであって、積極的に評価できる。

(2) 今後の審議会での検討について

中間試案に至る審議の過程では、一部の委員の中から、個別労働関係民事紛争に係る事業主から労働者に対する訴えに関する規制を緩和すべきとの意見が出されたが、かかる緩和は行うべきではない。

第4 管轄の合意について

1 中間試案の内容

(1) 通則

中間試案は、国際裁判管轄に関する通則的な定めとして、当事者が合意によって、訴えを提起できる日本又は外国の裁判所を予め定めることができ、当事者がこの合意に拘束されることを肯定している(第3)。

(2) 個別労働関係民事紛争の場合における合意管轄の制限

中間試案では、労働者と事業主との間の個別労働関係民事紛争を対象とする管轄権の合意について、前掲(1)の通則を適用せず、原則としてこれを無効とし、例外的に、紛争発生後になされた合意である場合か、労働者が管轄合意を自ら有利に援用して裁判所の管轄権を否定する抗弁を提出した場合においてのみ、管轄合意の効力を肯定することを、提起している(第4の4③)。

2 中間試案への評価

労働契約の場合、労働者と使用者との間の力関係の格差に起因して、使用者が労働契約の中に使用者に有利な内容を盛り込むことが少なくない。とりわけ、採用の際には、労働契約内容を一方的に使用者が決定し、労働者はこれに応じざるを得ないことがほとんどである。このため、国際裁判管轄法制をいくら整備しても、管轄の合意を規制せずにその効力を肯定した場合には、労働者は使用者が一方的に決定した国の裁判所で裁判を受けることを強いられる。中間試案は、かかる弊害を除去するものであって積極的に評価できる。
なお、審議の過程では、管轄の合意の効力を広く肯定する意見も出されていた。しかしながら、仲裁法付則第4条は、法律施行後に成立した仲裁合意であって将来において生ずる個別労使紛争を対象とするものを無効としており、これとの均衡からしても、中間試案の内容より後退させることは認めがたい。

以上