「今後の労働契約法制について検討すべき具体的論点(1)(素案)」に対する意見

2006/11/28

 

「今後の労働契約法制について検討すべき具体的論点(1)(素案)」
に対する意見

労働政策審議会
労働条件分科会 御中

06年11月28日

日本労働弁護団
幹事長 鴨 田 哲 郎

はじめに
厚生労働省は、11月21日、労働契約法制定に関し「素案(1)」を貴分科会に提示した。本意見は、労働契約法に求められる基本的役割とその中での就業規則の効力を中心に意見を述べるものである。

1.労働契約法は労使対等の実現に資するものでなければならない

「素案(1)」は前文で「労働契約の内容が自主的に決定され」るための「ルールを明確化」すると契約法制定の目的を述べる。
しかし、労働契約は労使対等の立場で決定されるもの(労基法2条1項)でなければならず、「在り方研報告」(05年9月)もこれを強調していたところである。労使、ことに労働者個人と使用者との力関係が現状において対等性につき心配するほどのこともないというのであればともかく、前記「在り方研報告」を引用するまでもなく、また、当弁護団が機会ある毎に強調してきたように、その間の力関係の格差は圧倒的、歴然たるものがあり、それは単に情報量の差などといって済ませられる性格のものではない。この点を考慮せず、ただ単に「自主決定」(労使自治)によるルールづくりのみを立法目的とするのであれば、その結果は力が圧倒的に強い使用者が、力の弱い労働者(又はその集団)の意思を抑圧して労働条件を一方的に決定することとなり、法(国家)がこれを容認することとなる。
今次労働契約法は、労使対等による自主決定を促進するためにも、これが可能となる環境を、まず整備しなければならない。とりわけ就業規則に契約上の効力を法認する方向を目指すのであれば、この点は避けて通れない大前提である。
この点の検討――まずは、現行法上の過半数代表者制度を過半数組合と同等のものに抜本的に改革する――を何ら行わないままに労働契約法に就業規則の契約上の位置付けを盛り込むならば、それは労使の合意を規律する契約法ではなく、就業規則万能法となりかねない。
なお、貴分科会の審議においては、労使合意とか労使自治なる表現が頻繁に使われるところ、これを使用する各委員は、相当程度の規模の企業において、過半数を上回る労働組合が組織され、使用者と労働組合が団交、労使協議を重ねつつ労働条件の設定・変更を行っていくことをイメージしていると想定される。しかし、このような企業は極く少数であって、労働契約法が適用される事業場の圧倒的多数は過半数組合など存在せず、かつ、過半数代表者が民主的に選出されることもなく、使用者の意向に沿った者が過半数代表者となっているのが実状である。労働契約法は、このような事業場や労働者に適用される法であることに心して審議を尽くされるよう、強く要望する。

2 労働契約の合意原則は明確に定めるべきである

「素案(1)」も提起するように、労働契約が、労働者個人と使用者との合意によって、成立・変更されるものであることは、極めて当然のことである。
しかしながら、これを認識しない、あるいは潜脱しようとする使用者は多数にのぼる。ことに契約成立時の労働条件内容や労働条件の変更は自由に決定できると思い込んでいる使用者は極めて多い。合意原則の法定は、これら使用者に、労働条件の一方的決定はできないことを実定法に定めることによって知らしめる意義がある。
また、労働契約を締結した使用者は賃金支払義務を負うのはもちろんのこと、生身の人間をその指揮命令下におき労働させる以上、当然に、安全配慮義務を初め、労働契約に付随する様々な義務を負い、これを誠実に果たす責任を負う。これら付随義務は判例法理として形成されているが、これを実定法において明記し、使用者に知らしめる必要がある。合意原則に続けて、労働契約上の付随義務に関しても立法上の定めを置くべきである。

3 就業規則の契約上の効力を一律に定める前提を欠く

「素案(1)」は、労働契約締結時(1、(2)、③)及び就業規則変更時(1、(3)、①)の就業規則の労働契約法上の効力を定める規定を設けることを提起する。しかし、「素案(1)」は就業規則の現状に関する十分な考察をしておらず、効力規定を置く前提を欠いている。

(1)就業規則の機能と制改定手続

就業規則の内容は大きく、労働者に契約上の権利を請求する根拠を付与する規定(所定労働時間等労働時制、賃金制度、退職金等。事業場内最低労働条件設定機能といいうる)と労働者に義務や不利益を課す規定(服務、配転・出向等の人事条項、懲戒・解雇等)とに分かれる。そして、就業規則が労働契約の一方当事者たる使用者が一方的に決定するものとの枠組みを維持――しかも、現行過半数代表への意見聴取というほとんど実効のない制度の改善・強化を全く検討しないばかりか、意見聴取を欠いても契約上の効力を認めうるとの「素案(1)」の立論によるとすれば、なおさらのこと――する以上、両者の規定の効力は明確に区別して論ぜられるべきであって、これを一律に論ずるのは、論議を混乱させる。
この点は、手続に関しても同様であって、労働者に義務等を課す規定に関しては、労基法上の手続が遵守されていることを絶対的な効力要件とすべきである。「素案(1)」の如く、この手続を欠いても義務付け規定の契約上の効力を認めうるとすれば、使用者に労基法遵守のインセンティブが働かないことは明らか――現在の使用者側委員の分科会での発言から容易に推認できる――であり、同じく厚労省の所管である労基法については手続の遵守を求めつつ、他方契約法では手続不要と宣言するに等しく、甚しく統一性を欠く。これでは監督官庁たる厚労省に労基法を遵守させる意思・意欲があるのか根本から疑わせる事態を招くことになる。

(2)過半数代表者制度の抜本的改革は不可欠

就業規則の制改定に際し過半数代表への意見聴取義務が定められたのは、「限りなく同意に近い」協議義務を課すことにより当該事業場の様々な意見を吸い上げ、労働者の「集団意思」のチェックをかけ、もって、就業規則内容の合理性を担保する一方策とすべく意図されたからに他ならない。そして、そこで想定された「集団意思」の表示者は過半数組合であった。過半数組合であれば、当該就業規則条項に関し、団体交渉を求め、ストライキ権を行使しうるのであるから実質的には協議義務を課したと同様である。過半数代表者の意見にも同一の効力を付与する以上、過半数代表者に過半数組合と同等の力を付与する方策が整備されねばならない。
その上で、労基法がチェック機能を期待したのは「集団意思」であって、労働者個々人の意思ではないのであるから、就業規則内容を労働者の「個人意思」に基づく契約内容にまで高めるのであれば、何らかの労働者個人の関与が考えられねばならない(過半数組合の場合における非組合員を想定するだけでも、その必要性は十分に理解しうるはずである。過半数代表者の場合にはなおさらである)。

(3)労働契約締結時の効力

素案(1)」は、「合理的な労働条件を定めて労働者に周知させていた就業規則」はその内容が「労働契約の内容となる」と提起する。
労働契約として、即ち、自ら約束したことを根拠として労働者に義務の履行を強制しうるとするのであれば、当該条項が発動される時点で当該条項を当該労働者が認知していたことが少なくとも不可欠である。換言すれば、「集団的」周知だけでは不十分で、「個人的」認知が必要である。かかる規定を設けるのであれば、個々の労働契約締結前に就業規則内容が知らしめられており、かつ、就労開始時に就業規則書が交付されているべきである。
「周知の方法は就業規則書の交付による」と具体的に明定すべきであり、このことによって、周知の徹底を図りうると共に労働条件明示義務(労基法15条)の実効を上げることにもなり、さらに、就業規則を上回る「特約」を締結する前提条件でもある(就業規則内容を知らなければ、「特約」と認識しての合意などなしえない)。
なお、当然のことながら、「特約」が効力を有するのは就業規則内容を上回る労働条件に限られること(素案1、(2)、①(現行労基法93条と同旨)は絶対的基準であること)を条文上明示すべきである。

(4)変更就業規則の効力

「素案(1)」は、「就業規則の変更が合理的なものであり」これを周知させていた場合は、「労働契約の内容は変更就業規則に定めるところによる」と提起し、「合理的なもの」の判断要素として、
i労使の協議状況、ii変更の必要性、iii変更の内容を挙げ、就業規則改定手続については「変更ルールとの関係で重要であることを明らかにする」とする(以下、判例法理を前提に意見を述べるが、本意見は判例法理を法文化せよとするものではない)。

①原則規定が必要

「素案(1)」は、就業規則の不利益変更に関する判例法理を意識したものであろう。であるとすればまず第1に、就業規則変更によって既得の労働条件を不利益に変更することはできないという大原則を明確に規定すべきである。判例法理は例外として効力を認めうる場合の法理に過ぎず、例外である以上その要件は厳格に解されねばならないからである。
「素案(1)」の「判断要素」の指摘及びその序列には重大な疑問がある。最も重要な要素は、不利益変更の程度とそれとの関連による変更の必要性である。一番目に労使の協議状況を挙げるのは判例法理に沿ったものとはいえず、「合理性推定」に代替させようとの意図も感じられる。

②「定めるところ」の法的意義は?

「定めるところによる」とは、判例法理の「拘束する」を踏襲するものであるのか不明確であるが、労働契約締結時と異なる書きぶりをするのであれば、その違いと理由を具体的かつ明快に説明すべきである。

③「合理性」判断の基準を明定せよ

例外の要件である「合理性」とは何に対する、あるいは何に関しての合理性であろうか。個々の労働者が負わされる具体的な不利益を容認するに足る合理性であることが明確に規定されるべきである。

④変更の「高度の」必要性を要す

合理性判断要素としての「変更の必要性」については、通常、賃金又は労働時間という基幹的な労働条件が対象になるのであるから、判例法理に沿って高度の必要性とすべきである。

⑤変更内容の「相当性」

合理性判断要素としての「変更の内容」はあまりに抽象的で規範的評価基準を含まない表現となっている。変更内容の「相当性」としたうえ、代償措置、経過(激変緩和)措置等、判例法理で指摘されている相当性判断に当たっての考慮事項を示すべきである。

(5)小括

「素案(1)」は就業規則に契約上の効力を付与しようとするものであるが、そのためには当弁護団がこれまで指摘してきたとおり、過半数代表制度の問題をはじめ多くの問題点の十分な検討を要する。これらの問題についての十分な検討を欠いたまま、今次立法において就業規則の契約上の効力に関する規定を置くことは、拙速に過ぎるものであり、反対である。

4 労働条件ルールについて

(1)はじめに

労働条件に関するルールとして「素案(1)」が提示するのは、以下の、わずか4項目に過ぎない。日々の労働契約の展開に限っても、労働時制の一時的変更、所定外・休日労働、配転や応援、成績査定、業務上与えた損害に関する賠償等々、本来、労使合意によって運用されるべき多くの事項が現実には使用者の一方的決定・命令によって処理されている。これらに関し、労使対等を実現すべく使用者の恣意・裁量を規制するルールを定めるのが契約法の制定趣旨である。政策提起者の及び腰はさびしい限りである。

(2)安全配慮義務

安全配慮義務は確定した判例法理であり、法定は当然である。

(3)出向

「出向を命じることができる場合」(出向要件)として、新日鉄事件最高裁判決の基準に基づき具体的に法定すべきである。

(4)転籍

合意とは、転籍の内容、条件を具体的に明示したうえでの個別合意を指すものであることを明示し、かつ、雇用主の変更という労働契約の根本に係わるものであるから書面によるものとすべきである。

(5)懲戒

「懲戒することができる場合」(懲戒要件)として①就業規則又はこれに準じるものにより、予め、対象行為と懲戒の種類及び程度が明定され、これが集団的に周知されると共に個人的に認知されていること、②行為と懲戒内容のバランスが取れていること、③事前の弁明機会の付与、調査義務等懲戒手続を整備すること等を法定すべきである。

5 労働契約の終了について

(1)整理解雇は4要件で

「素案(1)」は、労働者の数を削減する必要性等の事情を「総合的に考慮して」濫用性を判断するとの規定を置くことを提起し「4要素」論の実定法化を図ろうとする。
しかし、労働者に非があることを理由とする普通解雇と労働者に非はなく会社経営上の都合による解雇である整理解雇とは性格が大きく異なるのであり、規範としての明確性を確保するという点からも4要件として立法化すべきである。

(2)解雇の金銭的解決は、断固反対

素案(1)」は、「解雇の金銭的解決の仕組みに関し、さらに労使が納得できる解決方法を設ける」と提起するが、その枠組みすら示されていない。
使用者申立による解雇の金銭的解決制度は、当弁護団が何度も指摘してきたように、その本質は「金で解雇を買う制度」である。解雇規制の存在は、法定されあるいは約定された労働条件を使用者に遵守させる必須の条件であり、解雇規制の空洞化をもたらす金銭解決制度は、労働契約法の意義を没却させるものであって、いかなる意味でもこれを立法的に導入することには断固、反対である。

以上