労働契約法制立法提言
2005/5/19
労働契約法制立法提言
2005年5月19日
(日本労働弁護団・労働契約法制委員会)
労働契約法制立法提言にあたって
日本労働弁護団 会長 宮里邦雄
第1章 総則
第1 目的
第2 労働契約の定義
第3 労働契約の労使対等原則と労働者の意思表示
第4 労働契約における使用者の義務と労働者の権利
第5 労働契約における労働者の義務
第6 強行法規
第7 時効
第2章 労働契約の締結
第1 募集・採用
第2 労働契約の締結
第3 採用内定
第4 試用期間
第5 契約期間
第6 身元保証契約の無効
第3章 労働契約の内容
第1節 賃金及び拘束的制度
第2節 労働時間、休憩、休日及び年次有給休暇
第3節 配転
第4節 出向・転籍
第5節 人事考課、昇進・昇給、降格・降給
第6節 病気休暇・休職等
第7節 服務規律及び懲戒等
第8節 就業規則
第4章 労働契約の終了
第1 解雇の正当理由
第2 経営上の理由による解雇
第3 労働能力または労働者の行為を理由とする解雇
第4 解雇理由の告知
第5 解雇予告
第6 退職
第7 解約通知等の撤回
第8 みなし解雇
第9 違法解雇等の救済方法
第5章 組織変動と労働契約
第1 営業の移転の定義
第2 営業の移転における労働契約の承継と異議申立権
第3 労働関係上の債務についての連帯責任
第4 解雇の制限
第5 承継された労働条件の不利益変更の制限
第6 労働組合等との事前協議・意見表明
第7 労働協約の承継
第1 目 的
この法律は、労働契約関係において労働者が使用者と対等な立場に立つことを確保することにより労働者の人権の擁護を図るとともに、労働契約における権利義務の内容を明確にし、もって雇用及び労働条件の安定向上と労使関係の健全な発展に寄与することを目的とする。 |
【解説】
実質的に対等な契約当事者とはいえない労働者が使用者と対等な立場に立つことを確保しようとすることは労働者の人権擁護の観点からも労働契約関係において極めて重要であり、労働契約法は、そのような基本的趣旨から、労働契約における権利義務の内容を明確化することにより、雇用及び労働条件の安定向上と労使関係の健全な発展に寄与することを目的とした。
(井上幸夫)
1 「労働者」とは、使用者に対し自ら労務を提供しその対償として報酬を支払われる者であって、独立事業主ではないものをいう。 2 「労働契約」とは、契約の名称の如何にかかわらず、労働者が使用者に対して労務を提供することを約し、使用者が提供された労務又はその結果に対して賃金、報酬、その他の対価を支払う契約をいう。 |
【解説】
1 労働契約の定義と労働者の定義との関係
まず「労働者」の定義が先行し、この「労働者」が締結する労務給付に関する有償契約を「労働契約」と定義し、本提言の適用対象を「労働契約」に限定する。
2 労働契約法制の必要性及び労働者の定義
「労務を提供しその対償としての報酬の支払いを受けている者」は、例外的な一部の場合を除き、通常一般の場合には使用者に労働力を売って他人の下で働くこと以外に生活の手段を持たない。この意味において、「労務を提供しその対償としての報酬の支払いを受けている者」には使用者に対する経済的従属性がある。また、使用者に提供される労働力は、商品としてストックした上で需要に応じて供給することができず、就労せずに時間が経過すれば同時に労働力も消失していく。その上、一般に労働力は供給過剰であることが少なくないので、労働力と報酬との交換過程において、「労務を提供しその対償としての報酬の支払いを受けている者」は、労働力の買い手たる使用者と対等な立場で交渉することが困難であることが少なくない。この点においても、経済的従属性がある。
かかる二重の経済的従属性に起因して、「労務を提供しその対償としての報酬の支払いを受けている者」は、使用者との労務提供契約の締結・展開・終了の過程において、契約内容を対等な立場で決定することが困難であることが少なくない。そして、労務提供契約の締結・展開・終了の過程について、当事者間の契約自由や私的自治に委ねたときには、実質的に対等な契約内容を実現させることは困難であり、様々な不都合や正義・公正に反する状態が生じる。
これらの不都合等を排除するために、労働基準法が制定されたが、労働基準法による規制は、行政取締や刑事罰を課すに足りる事項に限定されざるを得ない。にもかかわらず、行政取締や刑事罰までは必ずしも必要ない事項について民事的な契約ルールを定める実定法は、これまで、整備されてこなかった。この空隙を埋めるために、民法1条(信義則・権利濫用)や民法90条(公序)等の一般条項を用いて、判例法理が形成されてきた。ではあるが、判例法理は、紛争の事後的処理を図るためのものであり、紛争発生前に各当事者が何をなすべきかという行為規範を確立することについては十分に期待し得ない。
そこで、労働契約法制を新たに創設し、「労務を提供しその対償としての報酬の支払いを受けている者」と労務提供を受ける使用者との間の労務提供契約に関して、従前の判例法理の到達点、学説の到達点、ILO条約等の国際労働基準、また、世界各国の法制の到達点等を踏まえつつ、労務提供契約の締結・展開・終了の過程における要件と効果を明確にし、もって、あるべき契約秩序の形成に資することとする。
この反面として、労務を提供しその対償としての報酬の支払いを受けている者であっても、独立事業主である者については、経済的従属性がないので、労働契約法制の適用対象から除外することとした。
かかる理由により、本提言においては、まず、労働契約法制における「労働者」について、「使用者に対し自ら労務を提供しその対償として報酬を支払われる者であって、独立事業主ではないものをいう」と定義することとした。そして、「労働契約」について、「契約の名称の如何にかかわらず、労働者が使用者に対して労務提供をすることを約し、使用者が提供された労務又はその結果に対して賃金、報酬、その他の対価を支払う契約」と定義して、本提言の適用対象を明らかにした。
3 「指揮監督」の必要性、労基法上の「労働者」との関係
日本労働弁護団の労働契約法制第一次案(1994年)では、労働契約の定義に「指揮監督の下で労働」との文言をいれていた。これは、賃金保護に関するILO95号条約1条の規定を根拠としていた。
しかし、同条約は、同条約の各条項の適用範囲を画するために、適用対象者について「指揮監督」を要件として加えただけであり、労働契約の普遍的・本質的要件として「指揮監督」が絶対に必要であると解することはできない。
また、日本では、使用者が労働者の同意を得ることなく一方的に制定する就業規則制度の正当性及び使用者の労務指揮権と呼ばれるものの根拠を説明するために、労働者の人格的従属が強調され、労働者の定義として「指揮監督」もしくは「使用従属」が言われることもあった。しかし、これらは、労働契約の普遍的・本質的要素とまでは言えない。
そもそも、使用者が如何なる指揮監督をなし得るかについては、本来、労使対等決定原則に照らしても、当事者の合意により決定されるべき性質のものである。そして、労働者の同意を媒介しない「指揮監督」を強調することは、当事者の合意とは無関係に、アプリオリに使用者が労務に関する指揮命令や指揮監督をなす権限を有するとの解釈を招きやすく、契約法制の本来の在り方と相容れない。また、「指揮監督」の強調は、請負的就労形態の就労者を保護対象から排除する効果をもたらす。そこで、本提言においては、労働者の定義に「指揮監督」「指揮命令」「支配従属」等の要件はいれないこととした。
この結果、本提言における労働契約法制上の「労働者」の範囲は、従前の実務において労基法上の「労働者」とされた範囲とは一致せず、これより広い。
ではあるが、本提言の中には、従前の労基法上の「労働者」に限定して適用するのが相当な条項(労働時間規制等)もあるので、これについては、該当箇所において適用対象者を労基法上の労働者に限定することを明らかにする。
4 「事業主」性が不要であること
労基法は、事業主を規制する事業主取締法である。
しかし、労働契約法においては、事業主に適用対象を限定する必要はない。この結果、この提言は、家事使用人や労働組合役員等も適用対象とする。
5 小規模使用者への特例の必要
本提言案の中には、小規模な使用者に適用するのが困難もしくは不適切なものが少なくない。そこで、かかる場合には、「但し、小規模使用者については、この限りでない」との適用除外条項を設けることとする。この場合の「小規模使用者」の範囲については、一つの法人または個人が使用する労働者の総数が10人に満たない使用者等が想定されるが、具体的な範囲については、どの条項に関して特例を設けるかをも勘案しながら、引き続き検討を行う必要がある。
(古川景一)
1 労働契約の労使対等原則 |
【解説】
1 契約が両当事者の自由な意思に基づき対等の立場で締結、変更、終了されるべきことは、契約法の大原則である。
労働関係においては、使用者と労働者の力関係が違い、労働者は使用者に従属せざるを得ない関係にあり、自由な意思に基づいて労働契約を締結することが実質的には困難であるのが実態である。しかし、近代法は、法の理念として、契約当事者は本来的に対等であり、その自由意思に基づいて契約を締結することを予定しており、労働契約についても、その法の理念を現実化するための立法として労働契約法が制定される必要がある。
そのために、労働契約は、労働者と使用者が対等の立場において締結、変更、終了されるべきものであるという原則を冒頭に定めるべきである。
2 労働関係において労働者は使用者に従属せざるを得ない関係にあるから、労働契約に関する労働者の意思表示の内容について争いが生じた場合は、その意思表示がなされたときの状況、その労働者の地位等の諸事情を総合考慮して、その労働者の表示した内容について慎重に解釈されなければならないという、裁判所がとるべき解釈基準を立法で定めておく必要がある。
3 労働者の使用者に対する従属的地位から、労働者が自由な意思によらずに不利益な意思表示を余儀なくされる場合が多い実態をふまえて、その労働者に不利益な意思表示についての有効要件を定め、労働者が使用者と対等な立場で自由な意思に基づきその意思表示をしたと客観的に認められる場合にその意思表示を有効とする規定を定めるべきである。
判例では、退職金債権放棄の意思表示について「右意思表示の効力を肯定するには、それが上告人の自由な意思に基づくものであることが明確でなければならない」とされ(シンガー・ソーイング・メシーン事件最判昭和48年1月19日判例時報695号108頁)、賃金債権との相殺の同意の有効性について「右同意が労働者の自由な意思に基づいてなされたものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在する」ことを必要としている(日新製鋼事件最判平成2年11月26日民集44巻8号1085頁)。また、既発生の賃金債権の放棄や相殺の場面だけでなく、就業規則に基づかない今後の賃金の減額についての労働者の承諾についても「賃金債権の放棄と同視すべきものであるから、それが労働者の自由な意思に基づいてされたものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するときに限り、有効である」旨判断した裁判例もある(更生会社三井埠頭事件東京高判平成12年12月27日労働判例809号82頁)。
このような判例の内容を、労働者にとって不利益な意思表示を有効と認める一般的要件として立法化することは、労働者と使用者が対等の立場で労働契約を締結、変更することを実現するために必要である。
4 消費者契約法では、民法の詐欺・強迫による意思表示の取消権の規定以外に、事業者の行為に基づく誤認による意思表示や困惑したことによる意思表示について消費者の取消権を認めている。
この消費者契約法は労働契約には適用しないと規定されているが、労働契約における契約当事者間の非対等性は消費者契約以上のものがあるから、労働契約法において、消費者契約法と同様に、使用者の行為によって誤認や困惑が生じたことによる意思表示についてはこれを取り消すことができる旨の規定を定めるべきである。
(井上幸夫)
1 使用者の労働者に対する一般的義務 |
【解説】
新しく制定される労働契約法は、労働者が人格的尊厳を持つ存在として、使用者と対等の地位にあることを確認するから始めなければならない。これにより、新しい労働契約法が労働者の権利章典としての基本的性格を持つことになるのである。そして、上記の観点を使用者の義務としてとらえた場合には、使用者は労働者に対して、労働契約上の基本的義務としてその人格的尊厳を最大限尊重し、その人格を保護する義務を負うのである。そして、これが以下の2~5の基礎となるものである。
また、裁判所に、使用者に対して、労働者の人格を保護する措置を命ずることができる権限を付与することにより、労働者は使用者に対して、単に労働者の人格を侵害する行為をしないように求める(不作為請求とその不履行に対する損害賠償請求)だけではなく、積極的に労働者の人格を保護する措置を取るよう求めることも可能となる。このように裁判所に対して適切な救済を命ずる権能を付与する例として、民法第723条(「他人の名誉を毀損した者に対しては、裁判所は、被害者の請求により、損害賠償に代えて、又は損害賠償とともに、名誉を回復するのに適当な処分を命ずることができる。」)を挙げることができる。
2 平等処遇の原則 |
【解説】
1 労働者が人格的尊厳を持つ存在であることは、直ちに、労働者が労働契約の締結、展開並びにその終了のいずれにおいても、使用者から不合理な差別を受けず、平等に取り扱われることを要求する。この点、労働基準法第3条は均等待遇の原則を定め、「労働者の国籍、信条又は社会的身分を理由として、賃金、労働時間その他の労働条件について、差別的取扱をしてはならない。」と定め、同法第4条は男女同一賃金の原則を定め、使用者は「労働者が女性であることを理由として、賃金について、男性と差別的取扱をしてはならない。」と定める。労働契約法においては、労働者の人格的尊厳をより貫徹する立場から、雇用された後の労働条件の内容に限ることなく、労働契約のあらゆる局面において差別の禁止を定めるとともに、差別の理由についても、国籍、信条や社会的身分に限らず「人種、性、宗教、思想、信条、社会的身分、国籍、家族的責任、雇用形態、年齢、労働組合加入の有無」にまで広げている。このうち、「家族的責任」については、ILOが1981年6月23日に第156号条約(家族的責任を有する男女労働者の機会及び待遇の均等に関する条約)を採択したこと、我が国も1995年4月14日に同条約を批准し、翌1996年6月9日から効力が生じたこと、同条約が家族的責任を有する男女労働者が差別されることなく、また、できる限り職業上の責任と家族的責任との間に抵触が生ずることなく職業に従事する権利を行使することができるようにすることを国の政策の目的としたこと、を受けて、差別的取扱の禁止の理由として盛り込んだものである。
もとより、使用者が雇用する労働者を他の労働者と区別して取り扱うことが合理的である場合があることは否定できない。しかし、条文に列記された「人種、性、宗教、思想、信条、社会的身分、国籍、家族的責任、雇用形態、年令、労働組合加入の有無」は、歴史的に見ても、差別の典型的理由とされてきた範疇であるから、これらによる区別は不合理な差別と推定されることになろう。したがって、使用者が、これらを理由とする区別が合理的であることを主張・立証できなければ、その区別は不合理な差別として違法・無効となる。
2 裁判所に、使用者に対して、労働者を平等に取り扱う措置を命ずることができる権限を付与することにより、労働者は使用者に対して、労働者を不平等に扱わないように求めその不履行に対して事後的に損害賠償を請求しうるだけではなく、積極的に平等に扱う措置を求めることが可能となる。
3 労務受領義務と就労請求権 |
【解説】
民法は、労務の受領拒否について、労働者が労働契約に基づいて労務を提供している(債務の本旨にしたがった労務を提供している)場合には、使用者はこれを受領しないことに正当な理由がない限り、賃金を支払う義務を負うとする。
しかし、労働は単に賃金を得る手段であることを超えて、労働者にとって、技能や熟練を向上させ、経験を積むことを通じて自らのキャリアを磨き、自己実現を図るために必要にして不可欠なものである。そこでまず第1項において、使用者に労働者を就労させる義務を規定し、労働者に、使用者が正当な理由なく就労させない場合の損害賠償請求権を認めることとした。ただし、使用者が労務を受領することが客観的に不可能であるやむを得ない理由のある場合、例えば、天変地異などにより停電となって工場を操業することができないような場合にまで受領拒絶に対する損害賠償義務を負わせることは妥当でないので、そのような場合には損害賠償義務を負わないものとした。
さらに、労務受領拒絶に正当な理由のない場合には、裁判所に、労働者の請求により、使用者に対し、現実に就労させることを命ずる権限を付与することとした。これにより、実際の紛争においては、解雇された労働者が、従業員としての地位保全・賃金仮払いの仮処分とともに、就労妨害禁止の仮処分を求めその被保全権利として就労請求権を主張することができることとなるだけではなく、さらに進んで、裁判所が使用者に対して就労を命ずることも可能となる(その強制執行の方法は間接強制による)。
4 労働環境整備義務 |
【解説】
1 労働者は、労務を提供するという労働契約上の債務を履行するためには、使用者が労務を受領するために設置する場所、設備、もしくは器具などを使用することを避けられない。また、使用者の指示があれば、それが労働契約に根拠をもつ限り、その指示の下に労務を提供する契約上の義務を負う。それ故、労働者の人格的尊厳を最大限尊重する立場からは、上記の過程において、労働者の生命および心身の健康が危険にさらされる場合には、使用者はその危険から労働者を保護する義務を負うことは当然である。この点、川義事件最高裁昭和54年4月10日判決以降、労働者が労務を提供するために設置する場所、設備、もしくは器具などを使用し、または使用者の指示の下に労務を提供する過程において、使用者は「労働者の生命および身体を危険から保護するように配慮すべき義務」すなわち、安全配慮義務を負うとする判例が確立している。労働契約法においては、使用者の義務をより実効性のあるものとするため、「配慮」ではなく、「保護」する義務とした。これにより、労働者は、その生命および心身の健康に危険が生じた場合には、使用者に「配慮」の抗弁を許さず、保護義務に違反したことを理由に損害賠償を請求することが可能となる。
2 第2項は、第1項の場合に限らず、使用者に対し、労働者が労務を提供することに関連して、労務提供に支障を来す事由が発生することを防ぎ、働きやすい環境を整備する措置を講ずる義務を負わせるものである。これにより、労働者は、その生命および身体に対する危険がない場合であっても、使用者に対し、労働環境整備に向けた措置を取るように求めることが可能となる。具体的には、労働者に対するいじめをしない、させない、いわゆるセクシャルハラスメント、パワーハラスメントをしない、させないということもこれに含まれる。
3 第3、4項は、第1、2項を実効あらしめるために、使用者がそれらの義務を怠る場合には、裁判所に対して、労働者の請求により、使用者がそれらの義務を履行するのに必要な措置を講ずることを命ずる権限を与えるものである。
4 第5項は、第1、2項の措置を使用者が取ったか否かに拘らず、なお、労務の提供に際して、労働者の人格的利益の中で最も根本的な位置を占める生命、身体に重大な危険が切迫した場合には、労働者に労務の提供を拒否することができる権利(いわば、逃げ出す権利)を付与することによって、労働者の生命身体を保護しようとするものである。
5 個人情報保護義務 |
【解説】
1 05年4月1日より、個人情報の保護に関する法律(以下、「個人情報保護法」という)が施行された。同法は、個人情報取扱事業者、すなわち「個人情報」(生存する個人に関する情報であって、当該情報に含まれる氏名、生年月日その他の記述等により特定の個人を識別することができるもの)をコンピュータを用いて検索できるようにしたもの(個人情報データベース)等を事業の用に供している者(但し、5000件以下の個人の情報を扱う小規模事業者は除外)に対して、個人情報保護に向けた様々な義務を課している。
使用者が「個人情報取扱事業者」に該当するか否かに拘らず、使用者が、労働契約の募集、締結、展開及びその終了のいずれかにおいて、労働者に関する個人情報(これは、個人情報保護法にいう「個人情報」に限られない)を不正に取得すること、あるいは取得した情報を不正に使用することから労働者を保護することは、労働者の人格を最大限尊重し、その人格を保護する上で必要不可欠なものというべきである。
これまで、労働者の個人情報については、労働基準法第22条第3、4項が労働者の退職にあたって使用者がそれ以前に当該労働者に関して入手した情報について、労働者の同意を得ないまま第三者に開示されることがないように配慮している程度であった。その意味で、労働者の個人情報を保護する一般的義務を労働契約法に盛り込むことの意義は大きい。
ただし、適法に取得した労働者に関する個人情報については、使用者がどの範囲でこれを保護する義務を負い、それを怠った場合に損害賠償義務を負うのかを予測できるようにすること、個人情報保護法との整合性も考慮して、労働者に目的を明示して、労働者の同意を得て収集した労働者に関する個人情報を当該目的の達成のために必要な範囲を超えて取り扱うことを禁止するにとどめた。
2 第3項は、使用者が第1、2項の義務に違反した場合に、労働者に、使用者による個人情報の取扱を差し止める権利を認めることで、労働者の救済の実を挙げることを意図したものであり、第4項は、さらに救済の実を上げるために、使用者が第1、2項の義務を怠る場合には、裁判所に、使用者に対して、労働者の請求により、個人情報の保護のために必要な措置を講ずることを命ずる権限を与えるものである。
(堀 浩介)
1 労働者の労務提供義務 |
【解説】
労基法2条2項は、「労働者及び使用者は、労働協約、就業規則及び労働契約を遵守し、誠実に各々その義務を履行しなければならない。」とする。
労働者は、使用者の労務提供に関する指示に従うことを承諾し、労務提供をすることで賃金請求権を取得する。これが労働契約の本質的要素であるから、労働契約に従い労務を提供する義務を当然に負っている。労務提供の内容・態様等については、それぞれの労働契約によって定められるものであり、その契約に従って労務を提供することで、債務の本旨に従って履行することとなる。なお、使用者の労務提供に関する指示は、法令に従うべきことはもちろん、労働者の人格的利益を侵害するものであってはならず、かかる場合には当該指示は無効であって、労働者は当該指示に従って労務を提供する契約上の義務を負わない。
2 兼業・兼職の制限 |
【解説】
労働者には、憲法22条1項により、職業選択の自由が基本的人権として保障されている。この職業選択の自由は、自己の従事すべき職業を決定するだけでなく、その職業を行う自由も含まれる。
したがって、労働者がある使用者と労働契約を締結していても、当該労働契約に定められた労働時間内は当該使用者に対して労務提供義務を負うが、それ以外の時間は自己が自由に使用できる時間であって、兼業・兼職の自由を有している。
そこで、原則として、使用者は労働者の兼業・兼職を禁止したり、制限することは許されないことを定め、不正な競業や労務提供に著しい支障が生じるなどによって、使用者の正当な利益を侵害する場合には、兼業・兼職を制限することができるとすべきである。
問題は、使用者の正当な利益と何かである。例示として、不正な競業と労務提供に著しい支障が生じる場合をあげた。例えば、労務提供に著しい支障が生じる例としては、高速深夜バス便の運転手が、休日に貨物便のトラック運転のアルバイトをする場合である。高速深夜バスの運転の安全を確保するのは使用者の正当な利益であるから、使用者は休日にこれに支障を生じうるアルバイトをすることを制限することができる。他方、事務職が、終業後に他のアルバイトをすることは労務提供に著しく支障があるとは言えない。
次に、不正な競業を検討する。競業とは、使用者と同種の営業の部類に属する取引又は同種の営業を目的とする事業に従事することを意味する。不正な目的・方法・態様で競業を行った場合を不正な競業と言う。この不正な競業により、使用者の正当な利益を侵害する場合には兼業・兼職を制限できる。例えば、自動車販売会社の営業マンが、自らの顧客に対して他の自動車販売の営業をアルバイトを行うことは不正な競業であり、使用者の正当な利益を侵害することになる。しかし、スーパーのレジ担当の従業員が、夜間に他のスーパーでアルバイトを行うことは不正な競業と言えず、また、使用者の正当な利益を侵害するとも言えないであろう。このような場合には、兼業兼職を制限することはできないことになる。
3 守秘義務 |
【解説】
1 労働契約においては、その労使間の信義に照らし、労働者は使用者の秘密を保持すべき、守秘義務を負うと解される。しかし、他方、社会の正当な利益・関心、消費者の利益、公益上の利益等により労働者が守秘義務を負うと解するのが不当、不適切な場面もあり、かかる場面は、コンプライアンスの高まり、公益通報者保護法の施行(06年度)等の状況の下、今後増加することが予測される。そこで、守秘義務に関し、労働契約存続中とその終了後を分けて、その内容を法定しておく必要がある。なお、「営業秘密」に関する民事上の権利義務関係については、当面、不正競争防止法に委ね、本提言では、特に触れない。
2 第1、2項は労働契約存続中(在職中)の規定である。前項指摘の通り、使用者・労働者・社会(いわゆるステークホルダー)のそれぞれの利益のバランスを図るべく、労働者は守秘義務を負うとはいえ、使用者の秘密を「みだりに」漏らして使用者の「正当な」利益を侵害してはならないとし、守秘義務の範囲を具体的に明確にするため、労働契約等において、守秘義務の対象となる情報、文書等を特定しておくこととした。
3 第3~5項は、労働契約終了後(退職後)の規定である。退職後も守秘義務を労働者に負わせるには、一定の要件を満たした労使の個別具体的な同意が必要であり、当該同意は、他の事項が記載されていない、独自の書面によるべきこととした。守秘義務の特約が退職自体の自由や退職条件とからめられることにより、労働者の真に自由な意思に基づかずに締結されることを防ぐ趣旨である。
4 退職後の競業避止義務 |
【解説】
競業避止義務は、実際上、退職後(労働契約終了後)に紛争が生じることが多い。現実には、労働者は、就職あるいは退職の際に労働契約終了後も競業避止義務を負わせるような念書や誓約書を提出させられることが多い。また、退職金の支払いの条件として、念書などに署名させられることがほとんどであり、労働者は拒否したくとも拒否できない場合が多いのが実態である。そこで、労働契約終了後の競業避止義務を約束する合意を一定の厳しい要件の下で独自の(他の事項が記載されていない)書面による場合のみ有効とすべきである。
(水口洋介)
この法律の規定に反する労働契約または合意で労働者に不利なものは、その部分については無効とする。この場合において、無効となった部分は、この法律で定めるところによる。 |
【解説】
労働契約法は、当事者の意思のいかんにかかわらず適用される強行規定が基本となる。労働契約関係は労働者と使用者が対等の立場で労働条件等を合意決定できる関係にはないのであるから、本法の規定を当事者がこれと異なる合意をすれば適用されない任意規定とすることは、労働契約関係上の権利義務の要件と効果を定めて労使紛争の適正解決の判断基準を示すという本法に求められる機能を果たし得ず、労働契約で定めのない事項だけにしか適用されないというものとなってしまう。本法を実効性のある法律とするために、本条項は必要不可欠である。
したがって、労働契約法の規定に反する労働契約または合意で労働者に不利なものは、その部分については無効とするものとし、無効となった部分は、法律で定めるところによるものとすべきである。
(井上幸夫)
労働契約またはこの法律に基づく権利は、その相手方を知り、かつ、権利の行使が可能であることを知った時から5年間行わない場合においては、時効によって消滅する。 |
【解説】
消滅時効は「権利を行使することができる時から進行する」とされ(民法166条1項)、一般の債権の消滅時効の期間は10年と定められているが(民法167条1項)、不法行為による損害賠償請求権については、被害者の立場を考慮して消滅時効(3年)の起算点を「損害及び加害者を知った時から」としている(民法724条)。
労働者のおかれた立場を考慮すれば、労働契約法上の権利の消滅時効の起算点を、労働者がその相手方を知り、かつ権利の行使が可能であることを知った時からとすべきである。
また、労基法115条は、消滅時効の期間について、賃金その他の請求権は2年、退職手当請求権は5年としているが、2年は短すぎ、労働者の保護を拡充するために、労働契約法上の権利の消滅時効の期間は5年に統一すべきである。
(井上幸夫)
第1 募集・採用
1 使用者は、労働者の募集及び採用にあたって、人種、性、宗教、思想、信条、社会的身分、国籍、家族的責任、雇用形態、年齢、労働組合加入の有無その他不合理な理由に基づく差別をしてはならない。 |
【解説】
1 募集・採用については、これまで、ともすれば採用の自由が強調され、雇用の入り口での差別が放置されてきた。裁判例では、労基法3条および4条も、雇用関係に入った以降の労働条件ないし賃金に関する差別禁止と狭く解釈されている。
しかし、労働契約締結段階、雇用の最も基礎となる部分での差別は、その後の処遇に決定的悪影響を及ぼす元凶である。それゆえ、ILO111号職業における差別禁止条約も、国連女性差別撤廃条約も、募集・採用段階からの差別を禁止している。各国レベルでも、アメリカの公民権法第7編・年齢差別禁止法・障害あるアメリカ人法、イギリスの性差別禁止法、障害者差別禁止法等、いずれも契約締結段階からの差別を禁止している。募集・採用において不合理な差別が許されないことは、国際的には自明のことであって、我が国でも、募集・採用における不合理な差別の禁止を法定すべきである。なお、三菱樹脂事件最高裁判決(昭48.12.12労判189号16頁)は、採用の自由を強調し強い批判を受けているが、同判決においても、法令により募集・採用差別を禁止できることが判示されており、現に、男女雇用均等法は、女性に対する募集・採用差別を禁止する(同法5条)。
本項と均等法等との関係は、本法は労働契約に関する基本法の性格を有する私法であり、均等法は性差別についての公法の関係に立つ。
差別禁止事由については、これまで差別として多く問題にされてきた事項を例示列挙したものであり、本条項は、包括的に不合理な差別を禁止するものである。
2 労働者の採用に際して、職務に関係のない個人のプライバシーや人権の侵害にあたる質問・調査を排除し、また、採用における不合理な差別を排除するため、使用者は、当該労働者が従事することが予定される職務に合理的な関連がある事項についてのみ質問・調査を行えること、不合理な差別事由に関する質問・調査は行うことができないことを法律で定める必要がある。また、情報収集手段の適法、公正さも要求される。
3 使用者の法違反に対する救済として、法による採用強制を認め、労働者に対し地位確認・当該地位から生ずる権利を保障すべきである。また、同時に、得べかりし賃金相当額その他の損害賠償請求を労働者の選択により行使できることを法定しておくべきである。
1 使用者は、労働契約を締結するにあたり、労働者との間で次の事項について合意し契約書を取り交わさなければならない。 |
【解説】
1 労働契約では、基本的な労働条件が規定されていなければならず、第1項はその旨を規定する。
同時に、成立した合意については、契約内容を明らかとするため、使用者に対し契約書の作成・取り交わしを義務づけた。なお、現行労働基準法第15条第1項及び労基則は、規則で定める事項について労働条件を書面で明示しなければならないとしているが、同条項も労働条件明示の行政取締の根拠規定として、併存させることが必要であると考える。実際には、労働契約書の交付により労基法15条による労働条件の明示が行われることとなろう。
2 2項は、使用者が募集時に示した内容と労働契約内容との関係に関する規定である。
職業安定法は、使用者が労働者の募集を行うに際して労働条件の明示を義務づけており(18条、42条)、虚偽の広告や虚偽の条件を提示して募集を行った者は処罰される(65条)。しかし、募集の際に明示された労働条件が事実と相違する場合に、明示された労働条件が労働契約の内容になるか否かに関しては、職業安定法にも労働基準法にも規定がない。裁判例には、千代田工業事件大阪高裁判決(平2.3.8労判575号)、八州測量事件東京高裁判決(昭58.12.19労判421号)等があるが、前者は「公共職業安定所の紹介により成立した労働契約の内容は、当事者間において求人票記載の労働条件を明確に変更し、これと異なる合意をする等特段の事情がない限り、求人票記載の労働条件のとおり定められたものと解すべきである。」とし、後者は、「採用内定時に、求人票に基本給見込額と記載された額のとおり賃金額が確定したと解することはできない」、「求人者はみだりに求人票記載の見込額を著しく下回る額で賃金を確定すべきでないことは信義則からみて明らかであるが、本件では、入社時に提示され作成された労働契約書により確定した基本給額が労働契約に影響を及ぼすほど信義則に反するものと認めることはできない」としており、必ずしも見解は一義的ではない。労働契約の内容との関係について規定がない現行法制の不備を改善し、募集条件を信じて採用された労働者を保護するため、労働契約書の記載又は合理性ある特約の存在(労働契約書の法定事項でない事項の場合)が認められない限り、募集内容が労働契約の内容となることを明確に定める必要がある。
1 使用者が労働者に対して採用内定を通知した場合は、当該通知が労働者に到達した日に労働契約が成立したものとし、その効力は、特段の合意がない限り、契約により定める就労開始日より生ずる。 |
【解説】
採用内定により労働契約が成立し、内定取消について法的規制が及ぶことは、最高裁判例上も確立した法理である(大日本印刷事件最判昭54.7.20、電電公社近畿電通局事件最判昭55.5.30)。労働契約法においてもその旨を定めるとともに、採用内定取消には、内定時に内定の取消事由を文書明示することを必要とすべきである。また、内定取消は、法的には契約の解除であって違法な取消は無効とされ、労働契約の履行請求および/または損害賠償請求ができる。
内定期間中の法的関係については、当事者間に特別の合意がないかぎり、労働者に研修等の義務を発生させるべきではなく、内定は入社予定日を効力の始期とする労働契約が成立したとすべきである。
1 労働契約の締結に際し試用期間を定める場合には、6カ月を超える期間を定めることはできない。これを超える期間を定めた場合は、試用期間は6カ月とする。 |
【解説】
1 試用期間の長さに関する判例には、「労働者の労働能力や勤務態度等についての価値判断を行うのに必要な合理的範囲を越えた長期の試用期間の定めは公序良俗に反し、その限りにおいて無効である」と判示したブラザー工業事件名古屋地裁昭判決(昭59.3.23労判439号)があるが、合理的範囲を越える長期の試用期間の定めを排除するため、試用期間の長さを法律で制限する必要がある。その期間は、一般的な実態からみて6カ月を上限とすべきである。
2 なお、試用の目的で短期雇用契約を締結した場合には、特段の事情がない限り、試用期間と解すべきとの神戸広陵学園事件最高裁判決(平2.6.5労判564号)の内容を法律として規定すべきである。
3 試用期間中の解雇・本採用拒否については、労働契約が成立している以上、解雇規定(現行労基法18条の2。本提言第4章)が適用され、違法な解雇・本採用拒否は無効となる。
1 |
【解説】
1 雇用が安定して保障されていることは、労働者にとって生活を維持し自らの権利を行使していくうえで、最も基本となる事柄である。雇止めの不安をかかえていては、使用者の顔色を窺い、法律が保障する権利を行使することすらできなくなるのであって、有期契約の規制は労働者の権利を現実のものとするうえで必要不可欠である。また、解雇について法的規制を行っても、有期契約の雇止めを野放しにしておいたのでは、有期契約を悪用した実質的な解雇規制の脱法が横行することになる。この点からも有期契約規制が求められる。そこで、雇用の安定を保障するために、労働契約は、期間の定めがないものであることを原則とし、使用者と労働者の書面による合意がある場合でなければ、その契約は、期間の定めのないものとみなされ、かつ、正当な理由がなければ期間の定めのある労働契約を締結できないことを法律で定めるべきである。
EUでは、フランスが有期雇用を法的に規制し、ドイツが判例法により規制を加えてきたが、1999年6月38日に「有期労働に関する枠組み協定指令」が成立した。同指令は、加盟各国に対し、「期間の定めのなき雇用契約が雇用関係の一般的形態であり、関係労働者の生活の質に貢献するとともにその業績を改善する」(同指令「一般的考慮事項」)ことを前提に、契約の締結や更新にあたり客観的正当事由を要件とすること、最長継続期間や更新回数の制限等を行い、有期契約の濫用防止の措置を講ずることを義務づけている。ILO158号使用者の発意による雇用の終了に関する条約、同勧告においても、有期雇用の濫用による解雇規制の脱法を規制している。
2 有期雇用については、判例が「実質的に期間の定めのない場合」「雇用継続に合理的期待のある場合」には更新拒否を規制し、労働者の保護を試みてきた。しかし、近年、正社員を極力限定し使い捨てしやすい非正規雇用労働者に切り替える傾向は一層進み、厳格な更新手続をとる、更新回数を当初より限定する等の方法により雇止め規制を逃れ、事実上、解雇法理を脱法し労働者を使用者の恣意的支配の下においたり、事実上の若年定年制となっている例が多発している。もはや、有期契約の締結を規制しないかぎり、有期雇用労働者の権利は勿論、労働者全体の保護も図れない状況にある。労働契約法において有期契約の締結自体に規制を加えることが是非とも必要であるとともに、有期契約が更新された場合には、再び有期契約を締結する正当事由(初回における正当事由よりもさらに厳格な事由が求められる)がない限り、当該労働契約は期間の定めのない契約とみなすものとして、締結規制の実効が図られねばならない。
雇用に関する身元保証契約は無効とする。 |
【解説】
身元保証契約は前近代的制度であり、弊害も大きく廃止されるべきである。
(黒岩容子)
第1節 賃金及び拘束的制度
第1 賃金相殺の制限
使用者は、次の各号のいずれかに該当する場合に限り、労働者に対して有する債権と労働者に対して負担する賃金又は退職手当支払債務とを相殺することができる。 |
【解説】
1 立法措置の必要性
全額払いの原則を含む、労基法24条の各原則は、賃金支払留保による足留め等の前近代的拘束や中間搾取を防止するための定めであり、この遵守は刑罰をもって強制される。この原則は労働者保護の最低限の原則であり、労働契約法はこれを前提として、労働者保護のために必要な規定を補充すべきである。
まず、賃金全額払の原則に関しては、相殺を認めることが労働者にとって便宜な場合も存する。
ところが、現状は、賃金の相殺に関する実定法がないために、判例法理において、労働者の個別同意や社会通念によって労基法24条違反とはならないという形で対処されているが、判例は同意を以て安易に労基法24条の規制をはずし、さらに同意を安易に認定してしまう傾向にあり、労働契約法において、明確な基準が定められねばならない。
2 立法内容について
住宅融資の返済は相殺を認めることが労働者にとって便宜と考えられるので第1号に定めた(日新製鋼事件・最二小判平2.11.26)。
それ以外の使用者の債権については、労基法24条第1項但書にならい、労使協定の締結を要件とし、かつ、労働者保護という法の趣旨から、労働者の事前の書面同意を要件とした。もとより、かかる同意があったとしても、協定の内容が法の趣旨に反するものであれば効力を生じないのは当然である。
第2 損害賠償を予定する契約の無効
使用者は、労働契約の不履行について、違約金を定め、または損害賠償額を予定する契約を締結することはできない。これに反した約定は無効とする。 |
【解説】
本条の主たる趣旨は、前近代的雇用関係の下で、契約期間の途中で退職する労働者に対して違約金や損害賠償を課す旨を予め約定することで、労働者の拘束を図る取り扱いが見られたことにかんがみ、このような労働者の足止めを防止することにあるとされる。近年は、それにとどまらず、使用者が優越的交渉力を利用して労働者の仕事上のミス等に対して不相当に高額の違約金・損害賠償額を予定することを防止することも挙げられると考えられている(労働判例百選第7版28頁)。
第3 業務に関連する研修費用等
(1) |
【解説】
1 立法措置の必要性
かねてより、看護婦や美容師等の養成費用の支出とお礼奉公の義務付け、社員への研修費用等の貸付と研修後一定期間内に退職した場合の返済義務による拘束等が社会問題となっていたが、最近では、労働者の海外留学に支出した費用に関する使用者からの返還請求の紛争が相次いでいる(長谷工コーポレーション事件、富士重工業事件、新日本証券事件、野村證券事件、明治生命保険事件など)。
しかしながら、これについて直接的に規制する実定法は存在しない。
よって、労働契約法において、研修費用等の返還義務の存否及び返還義務を負う場合の拘束の上限について規定する必要がある。
2 留学費用に関する諸判例
留学費用に関する判例は、事案を微妙に異にし、結論も分かれるが、取得する学位等の業務への直接的関連性、労働者にとっての社会一般(転職先等)における有用性及び留学の実施や留学先の決定が労働者の自由選択に委ねられる程度などの点から判断される留学等の「業務性の有無」が結論を左右していると思料される。
3 あるべき立法内容
① 使用者負担の原則
明治生命保険事件(東京地判平16.1.26)も判示するように、業務遂行に必要な費用は、本来的に使用者が負担すべきものである。
労働者を留学、研修させる主体は使用者であって、使用者は何らかの業務上のメリットがあると判断して留学等を命じるのである。その際、労働者は退職の自由を有するのであるから留学後の労働者の退職は使用者にとって常に想定すべき内在的リスクであって、使用者としてはかかるリスクを踏まえつつ、対象たる労働者を選定できるし、その期間の就労内容について業務命令として定めることもできるのである。したがって、業務性を有する労働者の留学、研修等に伴い発生する費用は必要経費の一環として、使用者が負担すべきであり、名目のいかんに拘らず、これを労働者に負担させることは許されず、かかる約定は無効とすべきである。
② 例外
他方、業務性を有しない留学等の費用については、私的自治が妥当する。しかし、返済義務と拘束との関係については一定の上限が設けられるべきであり、2003年改正の労基法が契約期間の上限を3年としていることに鑑み、3年を上限とすべきである。
第4 年俸制
1 この法律で「年俸制」とは、賃金の全部または相当部分を、その労働者の業績等に関する目標の達成度を評価して年単位に設定する制度をいう。 |
【解説】
1 年俸制の定義
年俸制の定義は、様々にあるが、本提言においては、とりあえず、「労働者に対する賃金の全部または相当部分を、当該労働者の業績等に関する目標の達成度を評価して年単位に設定する制度」(菅野和夫「新・雇用社会の法」190頁)に拠ることとした。なお、「年俸契約」とせず、「年俸制」としたのは、その内容の大枠が、使用者の制度として予め定められているのが一般的であること、その制度上、使用者の恣意的運用がなされる可能性が内在しており、契約の前提条件である対等性が維持されにくい状況であること、それゆえに、制度やその運用に関する説明義務や、労働者の意向の反映の重要性を強調するためである。
2 年俸制についての立法措置の必要性
近年、「年俸制」が制度内容も様々であるが、その恣意的導入・運用により一方的かつ大幅な賃金切り下げを行う法的名目として、多用されている。現行法では、最賃法を除き、賃金内容を規定する実定法が存在しない。賃金が、何らかの法的根拠がない限り減額できない、保護されるべきものであるという要請は、一般の労働者であろうと、年俸制労働者であろうと変わりはない。よって、名目にすぎない「年俸制」の導入及びその恣意的運用を防ぎ、生活の資である賃金請求権を保護する契約法上の規定、ルール作りが急務である。
3 年俸制の要件について
① 第1号について
評価は常に客観的かつ合理的なものでならず、それを担保するためには、第2号以下の存在が不可欠である。
② 第2号について
具体的な最低保障額が、最低賃金法に定める額を上回らなければならないことは当然として、当該労働者の業績等に見合った適正な額を定めることが求められる。
③ 第3号について
目標の設定、期の途中での中間評価、達成度評価の各段階において労働者の意向を十分反映しうる制度が設定・運用されねばならず、最終的決定に対して異議申立制度(苦情処理制度)が実効あるものとして設定されていなければならない。
④ 第4号について
「年俸額の決定に関しては、成果や実績の評価をめぐって労働者の同意や了解を重視しながら、年俸制の導入それ自体については労働者個人の意思を無視するということは、明らかに一貫しない・・・年俸制の適用については、単に労働条件の不利益変更という観点のみならず、年俸制の趣旨・目的という観点からも、個々の労働者の明示・黙示の同意を要すると解すべきであり、労働者には、年俸制か、従来型の賃金かという選択の余地が認められるべきである」(盛誠吾「年俸制・裁量労働制の法的問題」日本労働法学会89号62頁)。
ただ、紛争の未然防止の観点からは、労働者の同意の形式については、黙示の同意では足りず、明示の同意を要するとすべきである。なお、ここにおける同意も、真に自由な意思に基づく同意でなければならないところ、書面等の提示をもって十分な説明がなされたものでなければ、そのような同意とは評価できない。
4 年俸額につき、労使間で合意が成立しなかった場合の賃金額
(1) 立法措置の必要性
年俸額を各年毎に合意により設定する年俸制の場合、労使が合意に達しなかった場合にその額がどうなるのかという問題があり、紛争回避の観点からは、かかる場合における賃金額確定のためのルールを定めておくことが必須といえる。かかる場合、労働者は最賃法による最低賃金を請求しうるにすぎないとの見解もあるが、これによれば、年俸制の賃金額につき合意に至らない場合、その額は自動的に最低賃金額にまで減額してしまうことになる。これはつまり、年俸制適用労働者の賃金の大幅減額を意図する使用者に、当期の年俸額について、ただひたすら合意をしないという方法を用いさせることで、当該労働者の賃金額を、最低賃金額にまで落とすという手段を与えることになるのである。あるいは、そこまで至らずとも、年俸制適用労働者は、合意に至らなければ最低賃金額になってしまうという心理的強制のもとにさらされ、結果として、自身の業績等に照らし不相応な賃金額の提案を受け入れざるを得ないという状況になることが容易に想定できよう。「いやなら辞めろ」と迫るなど、退職強要の手段として悪用されている現状も無視すべきでない。
このように、いわば使用者の言い値で恣意的に決定させられかねない状況に対し、少なくとも暫定的に紛争を防ぐ立法的解決が必要である。
(2) 提言
直前期より業績等が上がったと評価されるべき労働者にとっては、直前期の額を超える賃金請求の可能性を封じないよう「同額とする」とは定めず、また、使用者にとっては直前期と同額とすることが不合理な場合もあるため、「特段の事情」ある場合の除外の可能性をも付記した。
第5 出来高払の保障給
(1) |
【解説】
1 第1項について
労基法27条をふまえ、使用者に保障給を定める契約上の義務を課す。保障給は「賃金に関する事項」であるから、当然、労働契約書に記載されるべき事項である(第2章第2第1項1号参照)。
2 第2項について
民事上の請求を可能とするためには具体的な最低額を定める必要がある。
具体的な金額については、「常に通常の実収賃金を余り下らない程度の収入が保証されるように保障給の額を定める」べき(昭22.9.13発基第17号、昭63.3.14基発第150号、婦発第47号)とされており、少なくとも休業労働者以上の保護が必要であると解されるので(労働法コンメンタール347頁)、休業労働者の保障額(百分の六十)を上回る、百分の七十とした。なお、未だ就労していない場合などは、理論上平均賃金は算出し得ない。そこで、その場合は、最低賃金法に定める金額を基準とすることとした。
第6 休業と賃金
(1) |
【解説】
「労働者の責めに帰すべき事由」による場合を除いた休業は、次の3つの場面となる。
① 使用者の故意、過失又は使用者の支配領域にある事由による場合(民法上の「債権者の責めに帰すべき事由」にあたる場合)
② ①にはあたらないものの、使用者が不可抗力を主張し得ない場合
③ 使用者が不可抗力を主張しうる場合
そして、これに対して現行法上労働者が請求しうる賃金あるいは休業手当は、①100%、②平均賃金の60%以上、③ゼロである。労基法26条の「使用者の責めに帰すべき事由」が、①(民法上の「債権者の責めに帰すべき事由」)より広く、②をも含むとされること及び同条が民法の危険負担条項を排除するものでないこと(昭22.12.15 基発第502号)による。
しかしながら、同じく使用者の「責めに帰すべき事由」でありながら、民法と労基法でその範囲を異にするのは、混乱を来たしやすく、また、①の場面でも労基法上の平均賃金の60%以上支払えばよいと誤解しやすい。
したがって、労働者に判り易く、無用の紛争を未然に防止する見地から、労働契約法において統一的な規定を示す必要がある。
上記2点に加え、労働者保護を実効あるものとするため本条は、任意規定ではなく強行規定として定められなければならない。
具体的な文言としては、債権者の責めに帰すべき事由を、「使用者の故意、過失又は使用者の支配領域にある事由」とし、②の場面について第2項を設けることとした。
(圷由美子)
第2節 労働時間、休憩、休日及び年次有給休暇
【概説】
1 立法規制の必要性
日本労働弁護団労働契約法制立法提言「第1次案」(1994年)では、労働時間に関しては、時間外労働の規制(個別同意を要件とする―第3章第16)と病気休暇(6週間の有給私傷病休暇―同第17)・看護休暇(6日間の有給看護休暇―同第18)の創設を提言したのみであったが、労働時間規制の弾力化・規制緩和の進展、実労働時間の長時間化、長時間労働を主要な要因の1つとする甚大な健康障害(過労死、過労自殺、うつなどの精神疾患等)の多発という状況の下、上記に止まらず、労働時間に関する契約上の主要な諸問題をも視野に入れ、労働契約法として民事規制が必要である。労働時間に関しては、労働基準法第4章(32~41条)に定めがあるものの、同法は最低基準を刑罰の威嚇をもって遵守させようとする規定であって、労働時間に関する労働契約関係の推移に対応しきれない事項も多く、労働契約としての権利義務の定めが不可欠である。なお、本節は労基法上の労働者についてのみ適用されるものとして提言している。また、小規模使用者の適用除外については、必要に応じて検討する。
2 労基法等抜本改正の必要性
現行労基法(労働時間法部分)はその基準が低劣であり、今日のグローバルスタンダード(ILO諸条約やEC・EU水準)に遠く及ばないものであって、その抜本的改正が急務である。この部分は労働契約法において規定することも不能ではないが、その実効性の確保や現行法との整合等からして、労基法改正(あるいは労働時間法制定)及び関係法令の改正において行われるべきものと考える。
従って、抜本改正されるべき事項については、本提言では触れていない。上記事項として検討されるべき主要な事項は、(1)1日・1週の実労働時間の上限の法定、(2)所定外・休日労働の事由の規制、延長時間の法定、割増賃金率の向上、(3)勤務間隔時間制度の導入、(4)深夜労働、交代制労働に関する規制と保護、(5)閉店法、日曜営業法の制定、(6)年休付与義務(時季指定の有無に拘らず、年休として休ませる義務)と年休付与手続き、(7)育児・介護休業法上の短時間勤務の請求権化などである。
また、労働者代表制度が常設機関として整備された場合には、労働時間に関する契約内容の一時的変更(始終業時刻の繰上げ・繰下げ、所定外労働等)について、その関与が検討されることとなる。
第1 所定労働時間の定め
1① 労働契約において、1日ならびに1週の所定労働時間は、労基法所定の変形労働時間制が労働契約又は就業規則に具体的に定められている場合を除き、法定労働時間を超えて定めてはならない。 |
【解説】
「第1.所定労働時間」は、所定労働時間は原則として法定労働時間を超ええないこと(1項)、勤務ダイヤ制の要件(3項)、始終業時刻の一時的な繰上げ・繰下げ(4項)に関する規定である。
1 1項は、労基法上は当然のことであり、確認的規定であるが、この理解を欠く使用者もまま見受けられるので、契約法で改めて注意を促すと共に、法定時間を超える部分の所定時間の定めは無効であることを定め、この部分については時間外労働(第4)の要件を満たさない限り、労働義務が存しないことを明確にする。
2 2項は、1週の起算日(40時間規制等のために必要)について、労働契約又は就業規則の定めを欠く場合は、現行通達(昭63.1.1基発1号)を踏襲し、これを日曜日と定めた。
3 3項は、勤務ダイヤ制によって所定労働時間を定めうる場合の要件の定めである。通常は所定労働時間(始終業時刻及び休憩時間)は労働契約書において明示されるが(第2章、第2)、交通関係等勤務ダイヤ制によらざるをえない業種があるので、その要件を定め、濫用を防止し、所定時間の確定による個人生活の享受に資するものである。具体的内容は、現行通達(昭63.3.14基発150号)を踏襲し((一)、(二)ア~ウ)、さらに、労働者の意向や都合を尊重するための手続規定((二)エ)、できるだけ早い所定時間の確定のための規定((三)、(四))を加えた。
4 4項は、始終業時刻の繰上げ・繰下げに関する規定である。労基法に規定は存せず、関係通達もないが(但、休日振替に関する通達の趣旨から推し量れば、就業規則に根拠規定があれば、容認するものと想定される)、現実には、就業規則の存否に拘らず、業務命令として広く行われているものと推定される。提言は、本人同意と3日前までの通知の2要件を原則としたが、所定外労働規制の厳格さとのかねあいから、非常時(労基法33条参照)に限り、この要件を削除している。
第2 休憩の定め
1① 労働契約においては、所定労働時間が6時間を超える場合は45分以上、これが8時間を超える場合は1時間以上の休憩時間を、開始・終了時刻を明示して、定めなければならない。 |
【解説】
「第2.休憩」は、休憩時間の長さの規制(1項)と休憩時間の繰上げ・繰下げ(2項)について定めた。
1 1項①は、労基法の基準に沿って、開始・終了時刻の特定をもって、休憩時間の定めを置くべきことを定める規定であり、所定外労働が行われる場合については、労基法に委ねるものとしている。1項②は、休憩時間の上限・下限の定めである。労基法には規定がない。休憩(労働義務からの完全解放による短時間の休養、心身のリフレッシュ)の実質を有しない、5分、10分のコマ切れ休憩を排除し、休憩の実質を確保すべく最低時間を15分と定めた(ちなみにドイツの旧AZOは20分と定めていたが、94年労働時間法4条は15分と定めている)。他方、飲食業等にみられる長時間休憩(2時間、3時間など)による拘束時間の長時間化を防止すべく、1日の休憩時間の上限を120分(2時間)と定めた。なお、8時間を大きく上回る長時間労働に際しての休憩時間のあり方(例えば、12時間勤務に対しては、最初の8時間に対し60分、後半の4時間に対し30分など)についても検討課題であるが、労基法改正(労働時間法制定)に委ねるべく、本提言では割愛した。
2 2項は、休憩時間の繰上げ・繰下げに関する規定である。本人同意を要件とし、例外は認めていない。本人同意が得られなくても最大1時間のズレが生ずるにすぎないので、始終業時刻の場合とは異なり、非常時の例外は認めないものとした。なお、休憩の繰上げ等をせざるをえないケースは突発的なものが大半と思われるので、事前通知の要件は課さない。
第3 休日の定め
1① 労働契約においては、毎週1日以上の休日(以下、所定休日という)を定めなければならず、所定休日は、少なくとも毎週1日は特定の曜日をもって定めなければならない。定めなき場合はこれを日曜日とする。 |
【解説】
「第3.休日」は、休日及び法定休日の特定(1項)、休日振替(2項)、代償休日及び代休(3項)についての定めである。
1 1項は、休日の事前特定を契約上の義務とする定めである。現行通達(昭23.5.5基発682号)は、事前特定を要すとは解しておらず、いわば結果責任だけを問うものだが(結果として、1週間に1日休日があればよい)、これでは、休日労働の抑制が効かないばかりか、労働者の個人生活の予定が立たない。他方、通常の就業規則においては特定の曜日を休日と定めている。週休2日制が原則化する中、少なくとも週1日の休日は特定の曜日を以て定め、休日が確実に取得できるようにし、これによって、週1回は原則として必ず休める(連続労働の上限が原則として6日となる)ものとする。
また、所定休日労働が、労基法上の休日労働に該るか所定外労働に該るかによって、割増率が異なるので、事後の紛争を予防すべく、法定休日を契約上予め特定することを義務付ける。
②は変形休日制(労基法35条2項)による場合の規定である。なお、変形休日制の導入要件(例えば、「事業の運営上やむをえない場合」など)を定めることも検討課題であるが、労基法改正(労働時間法制定)に委ね、本提言では触れない。
2 2項は、休日振替の要件を定めるものである。現行通達(昭23.4.19基収1397号、昭23.7.5基発968号)は、前記のように休日の事前特定不要との考えを基盤として、就業規則に根拠規定を置けば自由にこれを認める立場である。しかし、これでは労働者の生活とのバランスを欠くので、労働者の個人生活の確保を図るべく、休日振替事由を事前に特定させることによって予測可能性を持たせる(ア。なお、JR東日本(横浜土木技術センター)事件・東京地判00.4.27労判782号参照)と共に当該労働者の個別具体的な同意(ウ)を要件とした。また、振替休日は、「近接している日」が望ましく(前記基発968号)、さらに賃金計算上も誤まりが生じないよう、同一賃金支払期間内の日を、振替時に特定すること(エ)とした。
3 3項①は、代償休日請求権を定めるものである。プレミアムである所定外労働・休日労働に対しては、時間で返してもらう権利を創設するものであって、労働時間短縮の有力なツールである(ドイツ、フランス等の制度参照)。なお、休日労働についてはその労働時間に係わりなく、休日が潰されたことの代償として1日の休日を請求しうるものとする。使用者は時季変更権(労基法39条4項但書参照)を一定の要件の下に行使しうるが、これが行使されなかった場合は、代償休日の請求によって、当該日の労働義務は消滅する。
3項②は、現在も相当数の企業で制度化されている代休制度(休日労働が行われた後、所定労働日の労働義務を免除する制度)に関する規定である。代休制度の最大の問題点は、制度はあるが、実際にはほとんど代休が取れないという実態にある。そこで、任意に設けられている代休制度を法認するとともに、できるだけ現実に代休が取得されるよう、付与期限(2ヶ月)を設定し、これを徒過した場合には休日労働賃金の(一部)不払を避けるため、速やかに(当期又は次期の賃金支払日に)休日労働賃金の支払を義務付けた。
第4 所定時間外労働及び所定休日労働
1 労働者は、所定の労働時間を越え、又は所定の休日に労働する義務を負わない。 |
【解説】
「第4.所定時間外労働・所定休日労働」は、残業及び休日出勤の規制である。
「第1次案」と同様、原則として労働者の個別具体的な同意を要件とし、非常時(労基法33条参照)に限って、同意なくとも所定外労働等を命じうるものとする。なお、当然のことながら、使用者が残業を申入れうるのは受理された36協定の範囲内(残業事由、人数、延長時間の上限等)であるので、この点を注意的に規定した。
第5 年次有給休暇
1① 使用者は、労働者から年次有給休暇の時季指定の通知を受けた場合、速やかに勤務の差繰りを行うなど時季変更権を行使しなくとも済むように誠実に努力しなければならない。 |
【解説】
「第5.年休」は年休に係わる諸問題のうち、時季変更権及び退職時の買取請求権についての規定である。年休はILO132号条約(‘70年)やヨーロッパ水準に則り、ストレスの多い現代人のリフレッシュに必要不可欠な権利として、連続休暇、病休利用の禁止等制度本来の内容に移行すべく強力な法政策が採られるべき分野であると考える。そのためには、条件・環境の整備が図られ、労使の休暇(バカンス)に対する意識が変わらなければならない。育児介護休業法の制定・改正をふまえ、本提言では、労働者本人の病気・傷害及び家族の看護の場合における就労義務の免除(本章第6節)の規定を設け、年休に関しては上記2点に留めた。連続休暇、時季指定の手続等のその他の諸問題は労基法改正(労働時間法制定)に委ね、本提言では触れない。
1 1項は、時季変更権の行使につき、その前提としての使用者の配慮義務、努力義務を定めると共に、変更権行使時期とその内容を規定するものである。時季変更権の行使にあたっては、判例上も使用者に配慮義務・代替要員確保努力が課せられており(弘前電々局事件・最87.7.10労判499号、横手統制電話中継所事件・最87.9.22労判503号など)、これを実定法化するものである。②は時季変更権行使の当否が後日争われる場合に、前提事実に関する無用な争いを避けるべく、変更権行使理由の通知を義務付けるものである。③は変更権行使の終期を限定することにより、不安定な状態をできる限り短くするとともに、一旦「了解」された長期休暇が後日の事情(ひどい場合は休暇中の事情)によって「変更」「取消」されることを防ぐ規定である。
2 2項は、未取得年休の買取請求権を、労働契約終了時(退職、解雇)に限り、労働者にのみ認める規定である。円満退職にあっては未取得年休を完全に行使して退職日を定めることも行われているが、次の就業が迫っている場合もあろうし、解雇の場合に未取得年休日数が考慮されることなど全くなく、年休権が簡単に消滅してしまうのも不合理である。従って、上記要件の下に、買取請求権を認めるべきである。
(鴨田哲郎)
1 職種及び就業の場所の変更を伴わない配転命令 使用者は労働者に対し、労働契約の範囲内において、就業の場所及び職種の変更を伴わない配置転換を命じることができる。 |
【解説】
1 配転命令の法的根拠
従前、判例上は包括的合意説か契約説かにかかわらず、労働契約において配転命令について定めがあれば、使用者は無制限の配転命令権を有するものと解され、それを権利濫用論で制限していた。
労働契約法においては、これでは不十分、不適切である。職種の変更も就業の場所の変更も伴わない労働者に不利益が考えにくい配転命令のみ労働契約において定めれば使用者が行使しうるものとし、問題がある事案については権利濫用論で制限すれば足りることとする(1項)が、職種の変更や就業の場所の変更を伴う配転命令については、労働契約において定めるだけでは配転命令権は発生せず、法定の要件を満たして初めて発生するものとして、配転命令権の発生に一定の制約を設けることとした(2項)。
2 職種または就業の場所の変更を伴う配転命令
労働者が受ける不利益が大きい類型の配転命令について、法定の要件を満たさない限り、配転命令権が発生しないとした。
要件については、過去の判例の基準を参考にしながら、それを整理して、①労働契約の範囲内の配転であること、②やむを得ない業務上の必要があること、③人選が合理的であること、④当該配置転換により労働者が受ける職業上及び生活上の不利益が軽微なものであることの全ての要件を満たしたときに限り、配転命令権が発生するものとした。訴訟で争われたときは、主張立証責任は、配転命令権の発生を主張する使用者側にあることになる。
3 職種または就業の場所の変更を伴う配転命令の行使方法(手続き)
現行法制においては、配転命令権の行使(手続き)について、なんらの法規制も行われていないが、職種または就業の場所の変更を伴う配転命令は、労働者に与える不利益が大きいことが通常であることから、労働者への事前通知を義務づけ、労働者への不利益を減少させるとともに、労働者の意見聴取を義務づけ、労働者の事情を配慮する機会を設けることによって、紛争を防止するとともに、労働者の利益を守ることとした。
本項の対象となるのは、労働者に与える不利益が類型的に大きい職種または就業の場所の変更を伴う配転命令である。
(1) 事前に通知し説明を要するとした事項は、①予定している配置転換の内容、②配置転換先の業務内容、③その就業の場所、④配置転換の必要性、⑤人選の理由、⑥不利益緩和措置をとる場合はその内容、とした。①②③は配転命令の内容であって、当然の事項である。④⑤⑥は、前項の要件を満たしているかどうかを労働者が検討するのに必要な事項である。
「事前」の程度については、解雇予告と同じ30日前とした。
事前通知ないし説明方法は、労働者に明確に伝わる必要があること、事後的に説明内容が変遷することを避け紛争を防止することが望ましいこと、労働者が第三者に相談するのに資することから、必ず書面によるものとした。
労働者の意見の配慮義務は、配慮の上、配転命令をどうするか決定すべしという趣旨であり、必ず労働者の意見を採用しなければならないという趣旨ではない。
(2)
これらの手続きを履行しない配転命令は効力を生じないものとした。労働者が異議なく配転命令に応じたときは、瑕疵が治癒するものと解することができると考える。他方、現実に配転命令に応じる前に異議が出たときは、配転命令は無効となり、使用者は改めて手続きを履行しなければ有効な配転命令権は行使できない。
4 労働者からの配置転換申し出
労働者側の職業上または生活上の事情から、労働者が配置転換を希望する場合もあることから、申し出権を認めることが相当である。
ただ、使用者は、全体の配置を考える必要があるので、効果としては配慮義務にとどめた。
(水野英樹)
第1 出 向
1 出向の定義 |
【解説】
1 出向、転籍あるいは派遣の区別は一般の労働者にはわかりにくいので、定義規定を置いた。なお、出向は出向元と出向先とそれぞれの間に二重に契約関係が生ずるが、派遣は派遣元と労働者の間に労働契約が成立するのみで派遣先と派遣労働者との間には契約は成立しない。
「相当長期間」か否かの範囲は、社会通念に従って判断される。一時的に他の事業所で働くにすぎない場合(いわゆる応援)は、出向ではなく業務命令の一環と評価される。ただし、そのような業務命令も労働契約上の根拠がある場合に限り有効である。
2 出向は、労働者にとっては重大な労働条件の変更であるから、使用者は、労働者に適切な判断のために必要な情報を開示しなければならない。同意の対象を明確にすると同時に、必要な情報を労働者に開示させることにより、同意の事実上の強制、あるいは錯誤を未然に防ぐ趣旨である。
出向の申し入れ、出向中の労働条件等の説明は、その内容を明確かつ統一したものとするため、出向元と出向先の使用者が共同して行なうこととすべきである。
3 出向命令に対する個別同意の必要
出向により、労働者は労務提供の相手方が変更され第三者の指揮監督に服さねばならいが、これは権利義務の一身専属性に抵触する。実際上も、出向によって賃金、労働時間等の労働条件、勤務環境、キャリア形成、雇用の安定等の面で重大な不利益が生じる場合が多い。したがって、使用者の出向の申し入れに対し、労働者の個別の承諾がない限り出向を命じても無効である(民法625条1項、強行規定)。
これに対し、裁判例は、事前の明確かつ具体的な同意がある場合に、出向命令を一定の範囲で許容している(日立電子事件・東京地判昭41.3.31労民集17・2・368、日東タイヤ事件・最二小判昭48.10.19労判189号53頁)。裁判例も、同意を無制限に許容しているわけではないが、そうした例はどちらかというと少数にとどまる(ゴールド・マリタイム事件・最二小判平4.1.2労判604号14頁、新日本製鐵(日鉄運輸第2)事件・最二小判平15.4.8労判847号14頁、興和事件・名古屋地判昭55.3.26労判342号61頁)。
しかし、労働者は、出向先、出向の期間、勤続年数の扱い、賃金その他の出向中の基本的労働条件、復帰条件に関する事項について、使用者から具体的な申し入れを受けた段階でなければ、同意すべきか否か判断しようがない。また、事前の同意を認める場合には、同意時(多くは採用時)以後の労働者のキャリア形成、家族関係の形成・変動、労使間の具体的なやりとりの積み重ね、企業慣行の積み重ね等が考慮されないという本質的な問題点がある。さらに、労働者は使用者に対して圧倒的に力の弱い立場にある。実際、労働条件の労使対等決定の原則を逸脱し、内容が著しく労働者に不利益なものや、将来不利益を招くことが明白な包括的な同意が横行している。とくに、就業規則という使用者が一方的に作成した規則が、労働契約の補充的内容にされることの弊害が大きい。
したがって、出向については、使用者の具体的な申し入れを受けた時点で労働者が個別的に同意することを効力発生要件と定める必要がある。
4 出向元使用者が、労働者に対して出向を強要する例が多々みられるので、そのような行為が違法であることを確認的に規定した。
5 出向期間中、労働契約上の権利の行使あるいは義務の履行(賃金の支払い等)を誰が行なうのかという点については、出向元が引き続き行なう場合と、さしあたり出向先が行なう場合とがある。
いずれの場合でも、出向元と出向先がその労働契約の範囲で使用者としての責任を負うこと、それには安全配慮義務等の付随義務等も含まれることは言うまでもない。また、出向元、出向先ともに、使用者であることの当然の結果として、労働基準法、労働安全衛生法等を遵守する義務を負う。これらの責任を、具体的にどちらが分担して履行するかは内部問題であって、労働者との関係ではその責任を重畳的に負担する。
使用者としての責任をさしあたり出向元が果たすのか出向先が果たすのかという区別は、出向先と出向元との間の「労働者出向契約」の中で定められるのが一般的である。労働契約上の権利義務が出向元と出向先に分属して行使・履行されることにより、出向元と出向先での責任の押し付け合いを生み、労働者が不利益を被ることが多いので、出向元の責任を確認的に規定した。
6 労働契約は継続的な契約であり、使用者は労働者の健康もしくは育児、介護の必要等家庭生活上の事由について配慮する義務を負っている。したがって、労働者がいったん同意して出向したとしても、やむを得ない事情があらたに生じた場合には、出向期間の定め如何にかかわらず復帰を申し出ることができることとし、使用者にはこの申し出に配慮しなければならないとした。
出向は、人事異動の柔軟性のメリットから広く利用されているのであるが、逆に、労働者に健康上あるいは家庭生活上やむを得ない事情が生じた場合には、その柔軟性を活かして元職場への復帰を積極的に検討すべきである。
第2 転 籍
1 転籍の定義 |
【解説】
1 転籍の定義規定である。
転籍の法的構成としては、①転籍元との間で従前の労働契約を合意解約すると同時に、転籍先と新たな労働契約を締結するとの構成、②転籍元が転籍先に対して労働契約上の使用者の地位を譲渡するとの構成の2つを区別して法的効果を検討する考え方がある。しかし、いかなる方法によろうとも、転籍という労働契約関係の変動が生ずる場合について、その要件、効果、手続について統一的な規制を及ぼすのが妥当である。本立法提言では、そのような基本的立場に立って、実体的・手続的規制を設けることとした。
2 転籍は、労働者にとっては重大な労働条件の変更であるから、使用者は、労働者に適切な判断のために必要な情報を開示しなければならない。同意の対象を明確にすると同時に、必要な情報を労働者に対して開示させることにより、事実上の強制、あるいは錯誤を未然に防ぐ趣旨である。
また、転籍条件についての説明、転籍の申し入れは、転籍元と転籍先が共同して行なうものとする。転籍元の説明と転籍先の説明とが異なることが往々にしてあるので、これを防ぐ趣旨である。なお、労働組合は転籍条件に関して、転籍元と転籍先と双方に対して団体交渉を申し入れることができると考えるべきであろう。
退職金については、労働者の不利益にならないように配慮されるべきであり、とくに転籍先が転籍前の勤務期間を通算して退職金を支払うこととされた場合には、転籍元が転籍後も引き続いて転籍先の負う退職金の支払いについて、連帯して支払う義務を負うものとすべきである。
3 転籍に本人の個別同意を要することは、既に確立した判例法理であり、これを明文化した(三和機材事件・東京地裁平7.12.25判決等、多数)。
4 使用者が、労働者に対して転籍を強要する例が多々みられるので、そのような行為が違法であることを確認的に規定した。
5 転籍に同意した労働者が、転籍先から受け入れを拒否されたり、実際に就労してみると当初の説明と異なって不利益を被るケースが多い。このような場合には、転籍に対する同意を撤回するとともに、転籍元で従前の条件で就労を請求できる権利を認めるべきである。
(菅 俊治)
1 使用者の公正評価義務 |
【解説】
1 昇進・昇格、降格・降給の意義
「昇進」とは企業組織内のラインにおける役職(管理・監督職)の上昇又は役職をも含めた企業内の職位(職務遂行上の地位)の上昇のことをいい、これに対し、役職や職位を引き下げるものを(昇進の反対措置としての)「降格」という。
また、職能資格制度上の資格の上昇が「昇格」、級の上昇が「昇級」であり、これに対し、職能資格制度における資格を低下させるものも(昇格の反対措置としての)「降格」と呼ぶ。職能資格制度においては通常、資格・等級にリンクした賃金表によって賃金額(職能給)が決定される。
90年代後半から日本企業において、いわゆる「年功型賃金体系」に代えて「成果主義賃金制度」を導入する企業が増加しており、本項では成果主義賃金制度における「降格」「降給」の問題も規制の対象となる。
他に懲戒処分としての降格と業務命令による降格(人事異動の措置)があるが、この二つの問題は本項での規制範囲ではない。
2 使用者の公正評価義務(1項)
人事考課とそれに基づく人事権の行使が恣意的、濫用的に行われてはならないことは労使の信頼関係を基礎とする労働契約関係においては信義誠実の原則に照らして当然のことであり、使用者は労働者の職務に関連して客観的かつ公正な人事考課とそれに基づく人事権の行使をなすべき義務を労働契約の信義則上負っていると解すべきである(エーシーニールセン・コーポレーション事件東京地裁判決平16.3.31労判873号参照)。その意味で、使用者の人事権に基づく裁量権も人事考課に関する公正評価義務によって一定の法的規制を受けることになる。
3 昇進・昇格・昇給(2項)
昇進・昇格と昇給についても、適切な処遇がなされるため、他の労働者との公平が担保されるために、予め労働者の職務と関連した客観的で合理的な基準が定められ、労働契約の内容になっていることが必要である。
また、労働者は、使用者に対し、客観的で合理的な基準に基づいてなされるべき昇進・昇格・昇給を請求する権利が認められるべきである。
4 降格・降給に対する法規制(3項)
①
職能資格の格下げに連動して賃金が引き下げられる場合、成果主義賃金制度における成果査定によって賃金が引き下げられる場合及び昇進の反対措置としての降格によって職務手当等の賃金が減額になる場合などに対する法規制である。また、職能給制度や成果主義賃金制度などの賃金規定に基づかずに、使用者が一方的に行う賃金の減額措置も本項の法規制の対象となる。
② 労働者の賃金その他の労働条件は、当初の労働契約及びその後の昇給の合意等によって、使用者・労働者とも相互に拘束されるのであるから、原則として、労働者の同意がある場合でなければ(ただし、労働協約及び就業規則に反しない限り)、使用者において一方的に賃金額を減額したり労働条件を引き下げることは許されず(デイエフアイ西友事件・東京地裁決定平9.1.24判例時報1592号)、降格・降給も同様である。
③ 労働契約又は就業規則や労働協約において賃金減額(降給)の可能性が予定され、使用者にその権限が留保されていなければ、一方的に降格・降給を行うことはできない。職能資格等級の見直しによる降格・降給について判例はこのように解している(チェースマンハッタン銀行事件・東京地裁判決平6.9.14労判656号、アーク証券事件・東京地裁決定平8.12.11労判711号など)。
また、成果主義賃金制度における基本給の降給について、判例は、「もとより、労働契約の内容として、成果主義による基本給の降給が定められていても、使用者が恣意的に基本給の降給を決することは許されないのであり、降給が許容されるのは、就業規則等による労働契約に、①降給が規定されているだけでなく、②降給が決定される過程に合理性があること、③その過程が従業員に告知されてその言い分を聞く等の公正な手続きが存することが必要であり、降給の仕組み自体に合理性と公正さが認められ、・・個々の従業員の評価の過程に、特に不合理ないし不公正な事情が認められない限り、当該降給の措置は、当該仕組みに沿って行われたものとして許容される。」としている(エーシーニールセン・コーポレーション事件東京地裁判決平16.3.31労判873号)。
④ 以上をふまえ、使用者が降格・降給を行いうるには、労働契約上の根拠を要し、かつ、公正評価義務に基づく実体的な要件として、予め就業規則等で定められた労働者の職務と関連した客観的で合理的な基準に該当すること及び社会通念上相当の理由がなければならないと解すべきである。
5 手続
能力・成果の評価について、労働者の理解と納得を得るためには、その具体的な評価の過程と結果を全て当該労働者に公開して、手続の透明性を担保すべきである。その上で、使用者は労働者に対し評価根拠について十分に説明協議を尽くし、仮に労働者に自己の評価について不服があるときは異議申し立てができる機会を与えるべきである。この異議申し立てに関して使用者は苦情処理機関を設けて公正中立に判断すべきである。
また、人事考課を行う人材の教育、訓練も重要である。
(棗 一郎)
第1 傷病による就労義務の免除
1 使用者は、労働者から業務外において負傷し又は疾病に罹患したために労務の提供ができなくなった旨の通知を受けた場合は、当該労働者の就労を免除しなければならない。 |
【解説】
1 制度の創設の必要性
(1)
業務外で負傷したり、病気になったときに、年次有給休暇を充てて休む労働者が多い。欠勤扱いとされると、人事考課や査定に影響することを恐れるためである。わが国の年休取得率は、50%を割り込み過去最低を更新しているが、年休取得が進まない理由の一つに、「病気などのときのために取っておく」という労働者が多いことが指摘されている。
労働者が安心して療養につとめることができるために、また、年次有給休暇を本来の目的に使用できるようにするためには、有給の病気休暇制度が創設される必要がある(ILO条約6条2項参照)。
(2)
労働者が業務外で負傷したり、疾病に罹患してある程度継続した期間、労務提供が不可能になった場合は、労働協約、就業規則、労働契約等で就労免除の規定(休職制度等)や合意がない限り、労働者は労働契約上の債務不履行によって、解雇される可能性がある。
近年、精神疾患の激増により、就労不能に追い込まれる労働者が増えているが、労働協約、就業規則等の規定の欠如ないし不備によって、十分な治療期間を与えられないまま、解雇に至る例は現実に増加している。
精神疾患の多くは、職場のストレスなど業務に起因している可能性が高いが、精神疾患を業務に起因したものと認める使用者は少なく、労働者が労災申請をしても業務上として認定される割合はいまだ低いため、ほとんどが私傷病として扱われている(2004年度上半期で労災申請246件中認定件数は47件)。また、精神疾患以外の負傷・疾病についても、労働災害と認定できるような業務との因果関係までは認められないまでも、仕事が疾病の誘発・憎悪の一因となっている場合もある。
このような現状からすれば、労働者が安心して健康回復のために療養に専念できる制度が必要であり、この観点から、短期の病気休暇とは別に、無給で一定期間の就労免除を受けられる制度の創設が不可欠である。
以上を統合したものとして、1年間の就労免除制度と内14日間の有給制度を提言する。なお、本項は労基法上の労働者を対象とし、小規模使用者については適用除外を検討する。
2 就労免除期間
就労を免除すべき期間は、労務提供ができるまでの間が原則である。しかし、療養期間が著しく長期間に及ぶ場合に使用者がいつまでも労働契約を解約できないとすると、酷な場合があるので、就労免除期間は継続して1年とした。つまり、療養が長期に及び1年を超えて、労務提供ができない場合は、解雇もやむを得ないものとした。この期間については、就業規則等でさらに長期の定めをすることは何ら差し支えない。
3 有給となる日数
就労免除を受けた日数のうち年間14日までは有給とする規定である。例えば、風邪を引いたり、怪我をしたり、体調不良によって休まざるを得ない場合に、年間14日までは、有給で就労免除を受けられるものとした。
4 使用者の復職させる義務
労働者に復職請求権を認めたものである。一定期間の不就労後、労働者が復職を希望しても使用者がこれを認めないというトラブルが多いことから、使用者の復職させる義務を定めた。
最近の裁判例は、労働契約において職種が特定されていない場合は、現職復帰が困難であっても現実に配置可能な業務があればその業務に復帰させるべきだとして、復職を広く認める傾向にある。このような場合も、配転によって労務提供が可能である以上、「債務の本旨に従った労務の提供が可能となった場合」に該当する。現職復帰が不可能であっても、他に代替可能な職種がある場合には、復職させなければならない。
5 配置にあたっての使用者の配慮義務(5項、6項)
復職時及び復職後の使用者の配慮義務を規定したものである。
① 規模、業種、職務、地位など使用者の実情と労働者の回復の程度等に応じて、復職時の配置にあたって、労働者の不利益とならないよう配慮すべき義務を規定したものである。
② 配置後においても、回復が必ずしも万全でない労働者についてリハビリ勤務を認めることや継続的経過観察が必要な労働者に対する通院時間の保障などの措置を採りうるよう、労働時間の短縮等の配慮義務を定めるものである。
6 業務上災害への適用
復職を認めるべき義務及び復職にあたっての配慮義務は、業務上災害の場合にも必要であるから、明記した。
第2 看護のための就労義務の免除
1 使用者は、労働者から当該労働者の同居の家族の傷病により当該労働者が看護をなす必要がある旨の通知を受けた場合は、年間通算7日間、当該労働者の就労を免除しなければならない。 |
【解説】
疾病等による場合と同様、同居の家族の傷病により看護をする必要がある場合に、年次有給休暇を充てて休む労働者も多い。労働者が安心して家族の看護につとめることができるために、また、年次有給休暇を本来の目的に使用できるようにするためには、有給の看護のための就労免除の制度が創設される必要がある。
この就労免除制度は、有給で7日間とした。それ以上に休む必要がある場合で育児介護休業法に基づく介護休業を取得しうる場合はこれによることとなろう。また、未就学児については、育児介護休業法上の看護休暇(年間5日)の申出をするということになるであろう。
なお、小規模使用者については適用除外を検討する。
(小川英郎)
第1 服務規律
1 使用者が就業規則で定める服務規律の対象は、事業の運営に支障を及ぼし、かつ企業秩序を乱すおそれがあると客観的に認められる労働者の行為に限定されるものとする。 |
【解説】
判例は、「労働者は、労働契約を締結して企業に雇用されることによって、企業に対し労務提供義務を負うとともに、これに付随して、企業秩序遵守義務その他の義務を負うが、企業の一般的な支配に服するものということはできない」と判示している(富士重工事件最高裁昭和52年12月13日判決)。
使用者が就業規則で定める服務規律の内容は、業務の遂行に関する規律、企業施設の管理に関する規律、企業施設内での労働者の行動に関する規律、企業施設外での労働者の行動に関する規律など広範囲に及ぶことがある。しかし、使用者が労働者の行為を服務規律によって制限しようとする場合に、その制限は無制限に許されるものではなく、労働者の労務提供義務に関連したもので、使用者の事業運営上必要かつ合理的な範囲に制限されるべきである。
使用者が定める服務規律に労働者が従う義務があるかどうかについては、その個別的ケースに応じた判断が裁判所においてなされることになるが、その判断の一般的な基準を法文化しておく必要がある。使用者は事業の正常な運営と企業秩序の維持のために服務規律を定めるのであるから、その目的に照らして必要かつ合理的な範囲に服務規律の対象が限定されるという一般的条項を労働契約法において定めることは、これを労使関係当事者に周知するうえでも必要である。
第2 懲 戒
1 使用者は、あらかじめ就業規則において、懲戒の種別及び事由を定めている場合に限り、労働者に対して懲戒を行うことができる。 |
【解説】
(1)
懲戒については、判例で使用者の懲戒権限を制限する法理が形成されているので、これを整理・補充して労働契約法に定めるべきである。
判例が判示する内容には、次のようなものがある。
「使用者が労働者を懲戒するには、あらかじめ就業規則において懲戒の種別及び事由を定めておくことを要する」(フジ興産事件最高裁平成15年10月10日判決)
「使用者の懲戒権の行使は、客観的に合理的な理由を欠き社会通念上相当として是認できない場合に、権利の濫用として無効となる」(ダイハツ工業事件最高裁判決昭58.9.16)
「懲戒当時使用者が認識していなかった非違行為は、特段の事情のない限り、懲戒の有効性を根拠づけることはできない」(山口観光事件最高裁判決平8.9.26)
このほか、懲戒の程度と懲戒事由との均衡が保たれていなければならないこと等は懲戒の法理として規定されるべきである。
以上の内容について、労働者は企業の一般的な支配に服するものではないこと、懲戒は労働者の非違行為を理由とするものであるが労働者に重大な不利益を課すものであること、懲戒権の行使が労働者の使用者に対する従属を余儀なくさせることのないようにする必要があること等を考慮して、判例法理の内容を整理・補充した1項及び2項が規定されるべきである。
(2)
使用者の懲戒権の行使は、懲戒の事由を認識した後の合理的な期間内になされるべきであって、懲戒の事由を認識してから一定期間を経過した後は懲戒権の行使を制限するべきである。また、懲戒の事由が発生して長期間が経過した後になって懲戒が行われることは、懲戒事由の存否の確認が困難になり、労働者の弁明に実質上困難をもたらすことにもなるので、行為から長期間が経過した懲戒事由に基づいた懲戒権の行使も制限するべきである。
以上の観点から、3項に、使用者が懲戒の事由を認識してから3ヶ月以内、懲戒の事由が発生してから2年以内の期間内に、使用者の懲戒権の行使を制限する規定を置く。
なお、労働者の非違行為について刑事訴追がなされている場合は、その刑事事件の判決の結果により懲戒処分の是非や程度を決定するのが適切である場合があるから、その判決確定から3ヶ月以内に使用者が懲戒を行うことができるものとした。
(3)
懲戒は労働者に重大な不利益を課すものであるから、その手続が適正に行われなければならず、適正手続が保障されることにより、懲戒事由の確認や懲戒の種別の公正な決定も確保されることになる。
使用者が懲戒の事由を労働者に書面で告知したうえで労働者の弁明を聴取することは、懲戒を行う適正手続として必要なものであり、これを行った後でなければ懲戒することができないことを規定すべきである(4項)。
また、適正手続の一環として、懲戒は、懲戒の事由と種別を記載した書面を労働者に交付する方法をとることによって効力を生じるものとすべきである。ただし、労働者が書面交付を拒否するなどやむを得ない事情がある場合は除かれる(5項)。
(4)
懲戒の種類や内容に対する規制については、労働基準法91条の減給の上限規定しか存在していないが、過酷な懲戒を避けるために懲戒の内容について制限する規定が補充されるべきである。
出勤停止については、日数の上限を定めないと労働者は過酷な不利益を受けるので、上限を3ヶ月と定めるべきである。ちなみに、労務行政研究所の調査によると、出勤停止処分を定めている上場企業等の86.7%が出勤停止日数の上限を1ヶ月以内に設定しているとされている(6項)。
懲戒解雇の場合に退職金を不支給または減額するものとされていることが多いが、退職金は功労報償的な性格を有するとともに賃金の後払い的な性格を有し、従業員の退職後の生活保障的な意味合いもあるのであるから、使用者の全くの裁量によって不支給または減額を決定できるとすることは、労働者にあまりに過酷な結果となることもある。そこで、懲戒の事由及び労働者の勤続状況に照らして合理的と認められる範囲で不支給または減額が認められるものとし、個別のケースに応じて裁判所が判断できることを規定すべきである。
第3 労働者の損害賠償責任
1 使用者が、労働者の業務遂行上の加害行為により直接損害を被り、または使用者としての損害賠償責任を負担する損害を被ったことを理由としてその損害の賠償を労働者に請求する場合には、使用者は、損害の公平な分担という見地から信義則上相当と認められる限度において、労働者に対し損害の賠償または求償の請求をすることができる。 |
【解説】
労働者が業務遂行上の加害行為により使用者に損害を与え、または第三者に損害を与えて使用者が民法715条等によりその損害を負担した場合に、使用者が労働者に損害賠償請求をし、または求償権を行使することがある。
この請求について、判例は、損害の公平な分担という見地から信義則上相当と認められる限度において、労働者に対し損害の賠償または求償の請求をすることができるとし、その判断において考慮すべき事情を摘示している(茨石事件最高裁昭和51年7月8日判決)。これは、労働者の業務遂行から経済的利益を得ており、業務遂行や施設の管理責任を有している使用者が、労働者の業務遂行から生じる可能性のある損害のリスクの全部または一部を労働者に負担させることは公平を欠くことがあり、また資力に乏しい労働者にとって過酷な結果を生じさせるためである。
この判例法理を労働契約法に規定することは、裁判規範として明確化するとともに、労使関係当事者に周知するために必要である。
(井上幸夫)
第1 就業規則の効力
1 就業規則は、その内容が法令または当該事業場について適用される労働協約に反する場合には、効力を有しない。 |
【解説】
1 就業規則の効力については、労働基準法第92条(法令及び労働協約との関係)及び第93条(労働契約との関係)の規定しかなく、就業規則の効力や不利益変更の効力等について一連の判例法理が形成されている。
この判例法理は、労働者の同意なくして作成、変更された就業規則の労働者に対する拘束力を認めるものであり、契約当事者である労働者の意思を考慮せず、労働条件労使対等決定の原則の背理ともいえる。しかし、この判例法理は、現行労働基準法の就業規則作成、変更の方式を前提として、就業規則の内容や変更内容の労働者に対する拘束力について裁判所の判断で制限を加えるというものであり、これまでの裁判例の中で、一定の判断基準も形成されている。そこで、本提言では、判例法理を労使関係当事者に周知することに意義があるという観点から、判例法理を整理・補充して労働契約法として規定すべき内容をまとめた。
2 1項、2項は、労働基準法第92条、93条の規定を労働契約法に移すものである。
3 就業規則の労働者に対する拘束力について、判例は、労働者は、就業規則の規定内容が合理的なものである限り、就業規則の内容を現実に知っていると否とにかかわらず、個別的に同意を与えたか否かを問わず、就業規則の適用を受ける(秋北バス事件最高裁昭和43年12月25日判決)とし、また、就業規則の拘束力を生ずるためにはその内容を、適用を受ける事業場の労働者に周知させる手続が取られていることを要する(フジ興産事件最高裁平成15年10月10日判決)としている。
これは、当該労働者が現実に知っていることまでは必要としないが、事業場の労働者に周知させる手続が取られていなければ就業規則の効力は労働者に及ばないということを意味するものである。しかし、使用者が一方的に作成、変更することができる就業規則の効力を当該労働者に及ぼすためには、労働基準法第106条に記載されている周知手続のうち就業規則を書面で当該労働者に交付する方法をとった場合に限定されるとするのが最低限必要と考えるべきである。これに、就業規則の内容が合理的なものであることとあわせ、就業規則の労働者に対する効力についての一般的条項として3項の内容を規定すべきである。また、労働基準法第89条(就業規則の作成または変更に関する届出)及び第90条(意見聴取)の手続は、労働基準法により罰則付きで強制されるものであるから、その手続がとられていない場合には労働者に対する拘束力を生じないとすることは当然である。
なお、就業規則作成義務のない労働者10人未満の事業場においても、就業規則を作成した場合には労働基準法第93条(最低基準の効力)の規定は適用されると解されているが、この場合も3項の要件を満たさない限り、労働者の個別の同意なしに労働条件を設定、変更することはできないことになる。
4 就業規則は使用者が作成、変更するものであるから、自ら作成、変更しておきながら、意見聴取・届出の手続や周知の手続をしていないことを理由にして、使用者が自らに対する就業規則の拘束力を否定することを認めるべきではない。そのことを明確にするために4項を規定すべきである。
第2 就業規則と労働条件の変更
1 就業規則の作成または変更によって、労働者の既得の権利を奪いあるいは不利益な労働条件を一方的に課すことはできない。ただし、就業規則の当該条項が合理的なものである限り、労働者に対して拘束力を有する。 |
【解説】
1 就業規則による労働条件の不利益変更の効力については、一連の判例(秋北バス事件最高裁判決昭43.12.25、大曲市農業協同組合事件最高裁判決昭63.2.16、第四銀行事件最高裁判決平9.2.28、みちのく銀行事件最高裁判決平12.9.7等)による法理が形成されているので、これを整理して1~3項として規定すべきである。
なお、みちのく銀行事件最高裁判決が示しているように、不利益を受ける労働者について不利益性を緩和するなどの経過措置は、合理性判断の要素として重視されるべきである。また、過半数労働組合との合意を合理性を推認する要素として重視すべきとする見解があるが、合理性判断の基本は、労働者が被る不利益の内容・程度と使用者の変更の必要性の内容・程度の比較考量にあるのであり、そのうえ、雇用・労働条件の多様化が進行する状況において個別労働者が受ける不利益性を軽視することは妥当ではないから、労働組合等との交渉の経緯は総合考慮の一要素と捉えるべきである。
2 なお、ドイツ法の変更解約告知を日本でも制度化すべきであるという意見がある。しかし、ドイツには、使用者が一方的に作成、変更できる就業規則によって労働条件を設定、変更できるという制度は存在せず、労働条件の設定は、労働協約、使用者と従業員代表委員会とが合意した事業所協定、労働者との個別的契約により行われている。また、労働条件の変更も、労働協約の改定、事業所協定の改定など、使用者と労働者側との合意を基本として行われており、その例外として変更解約告知の制度を設けているのである。
日本では、使用者が一方的に作成、変更できる就業規則によって労働条件を設定、変更できるという法制度と法理が存在するのであるから、使用者にそのような変更手段を認めておきながら、使用者が労働条件変更の受け入れか解雇かの選択を求めるという新たな労働条件変更手段を使用者にさらに認める必要性はない。
日本の就業規則の法制度と効力を抜本的に改定し、使用者と労働者との合意による労働条件の設定、変更を制度化するのであればともかく、そのような制度改定をしないでおいて、法制度が異なるドイツの制度を安易に日本に導入することは、混乱を招き、労働者の立場をさらに弱くする危険性が強い。
(井上幸夫)
第1 解雇の正当理由
使用者は、労働契約を維持しがたい正当な理由が存在しなければ、労働者を解雇することができない。 |
【解説】
1 EU諸国等では、正当事由がなければ解雇できないこととし、かつ、正当事由の証明責任を使用者に負担させる旨の立法が整備されている。
2 日本では、かかる解雇法制が存在しない状況下で、1975年の日本食塩製造事件最高裁判決により、解雇権濫用法理が確認された。その後、2003年の労基法改正により、労基法18条の2が制定された。
これは、「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする」というものであり、解雇権濫用法理を法文化したものと理解されている。しかし、この規定では、立証責任がはっきりしないなどの問題点がある。
そこで、正当な理由がなければ解雇できないものと明確に定めるべきである。
3 最高裁の裁判例の中には、就業規則所定の解雇事由に一応該当する事実があっても、だからといって直ちに解雇とするのでは苛酷な場合に、使用者の解雇権行使を権利濫用として規制するものがある(アナウンサーの寝坊を理由とする解雇に関する高知放送事件を巡る1977年の最高裁判決)。この最高裁判決をも考慮し、使用者が解雇をするには、単に「正当な理由」があるというだけでは足りず、その程度が「労働契約関係を維持しがたい」程度に達していなければならないことを条文上も明確にすることとした。
1 経営上の理由による解雇が正当となるためには、次の各号がいずれも充足されていなければならない。 |
【解説】
1 使用者が行う解雇の類型としては、①経営上の理由による解雇(経営上の困難、技術革新、事業再構築等を理由とする解雇)、②労働者個人の能力や行為を理由とする解雇、③ 労働組合との間で締結された労働協約(ユニオン・ショップ協定)に基づく解雇等がある。
そのうちの第1の類型である経営上の理由による解雇については、『整理解雇』と呼ばれ、日本の多くの裁判例では、1975年以降『整理解雇4要件』を充足するのでなければ、解雇無効と判断する手法が広くとられてきた。また、韓国の勤労基準法31条には、日本の整理解雇四要件とほぼ同じ内容の規定が存在している。
本条1項の(1)ないし(4)号は、従前の『整理解雇4要件』を基礎に、整理発展させたものである。
2 整理解雇4要件のうち第1要件については、「人員整理の必要性」と表現されることがある。この表現の場合、希望退職募集等を開始する時点で「人員整理の必要性」があれば足り、整理解雇通告時点では解雇の必要性を改めて検討する必要がないとの誤解を招きやすい。そこで、このような誤解を招かないようにするため、「解雇時に人員削減しなければならない」必要性と表現することにした。
3 3号の但書の部分すなわち「但し、使用者は、人選基準の設定及びその適用に際しては、再就職の難易及び生活上の打撃など労働者の蒙る不利益に配慮しなければならない」との部分は、日本の判例法理(整理解雇4要件)の中で十分表現されているとは言い難い内容ではある。しかしながら、被解雇者選定基準が策定される際には、使用者側の都合に基づく判断要素(勤務成績、忠誠心、年齢等)だけでなく、労働者側の不利益(再就職の難易、生活上の打撃等)についても判断要素に加えられるべきである。
4 整理解雇4要件のうち、第4要件の労働者、労働組合との説明・協議については、これまでの裁判例では労働者やその所属する労働組合との説明・協議が誠実に行われたかを問題にしている。本提言では、これに加えて、労働者代表(過半数組合又は過半数代表者)との説明・協議も行わなければならないものとした。それは、職場に労働組合がないなど当該労働者が労働組合に加入していない場合には当該労働者が単独で協議することは困難であり、労働者代表との協議によって手続上の適正が確保される必要があること、整理解雇は職場全体の雇用と労働条件に影響を及ぼすものであるから、当該労働者の組合所属の如何を問わず労働者代表との協議も行わなければならないとすることが適当であること等の理由によるものである。
また、説明に際しては、具体的な資料を示した上での説明をしなければならないものとした。単に口頭で説明するだけでは解雇の必要性等について労働者、労働組合が判断できないからである。
5 第2項では、整理解雇に際しての不利益緩和措置を規定した。労働者に責任がない経営上の理由に基づく解雇に際しては、仮に解雇が有効であると判断される場合でも、一定の不利益緩和措置を講ずるものとするのが妥当である。
経営状況が悪化している場合には、労働者において、当該企業での就労を続けることよりも、新たな就職先を見つけるなどして生計の安定を図るのもひとつの選択肢である。このような選択をした場合には、解雇の効力そのものについての争いを回避し、本項に基づき不利益緩和措置を求めることが可能となる。
なお、不利益緩和措置を整理解雇の有効性判断の「要素」のひとつであるとして、解雇を有効とした裁判例がある(ナショナルウェストミンスター銀行・第3次仮処分事件)が、不利益緩和措置を講じたことをもって、第1項記載の4要件を緩和することは妥当でない。そこで、不利益緩和措置は整理解雇の有効要件とは区別することとした。
労働者の労働能力または行為を理由とする解雇が正当となるためには、次の各号がいずれも充足されていなければならない。 |
【解説】
1 労働者の労働能力又は行為を理由とする解雇に関して、これが許容される要件を包括的に類型化して明示した判例はなく、個別事案毎に様々な事項が判断要素とされる。本条の1号と2号は、過去の裁判例に現れた判断要素を類型化したものである。
2 解雇が労働者に対する不利益処分である以上、解雇手続の過程において、当該労働者に対する説明協議、弁明の機会付与及び集団的労使関係での説明協議がなされるべきである。こうした手続を行うことは、解雇の公正さを確保する上でも必要なことであり、また、誤った解雇による無用な紛争を回避するためにも必要である。そこで、これらを3号と4号とした。なお、手続の対象となる労働組合の範囲については、前掲第2の解説4記載のとおりである。
1 解雇の意思表示が、解雇理由及び解雇日を記載した書面によらずになされたときは、使用者は、解雇の効力を主張することができない。 |
【解説】
1 日本での解雇を巡る労働裁判の長期化の原因の一つとして、解雇後に使用者が解雇理由を追加する問題がある。解雇後に紛争になってから、解雇理由をだらだら追加することがしばしば行われ、これが適切に制限されてこなかった。
しかるに、懲戒解雇に関しては、1996年の山口観光事件最高裁判決により、懲戒当時に使用者が認識していなかつた非違行為を懲戒の理由として追加主張することはできないとされた。この考え方は、懲戒解雇だけでなく、解雇全般にも適用されるべきである。
2 そもそも、仮に、使用者に「解雇の自由」があるとの立場に立つのであれば、使用者は、明確な解雇理由がなくても解雇することが可能であり、解雇を不服として争っている労働者に対して解雇後に『あとづけ』『あと知恵』で解雇の理由を主張して、解雇の正当性を主張することも可能であろう。
しかしながら、本提言では、使用者に「解雇の自由」はなく、正当な理由がなければ使用者は解雇できないこととした(現行労基法18条の2の規定も実質的に同義である)。である以上、使用者が労働者を解雇をするには、解雇理由が解雇時に明確にされていなければならず、また、解雇を巡る紛争が発生してから解雇理由を追加することは許されない。このことを明確にするために、本条を設けた。
3 解雇理由を使用者に書面で明らかにさせ、かつ、解雇理由の追加を認めない方法については、次の幾つかの方法がある。
① 使用者が解雇の効力を主張できないことを原則としつつ、所定期間内に労働者が書面によらない解雇に異議を唱えないときは、使用者の解雇を有効とする(02年5月の当弁護団の立法提言)。
② 使用者が解雇理由を記載した書面を交付しない場合には、そのことだけで直ちに解雇無効とする。
③ 第一段階では、使用者が口頭による解雇通知をなすことを許し、第二段階で、使用者に対し解雇理由を記載した書面の交付を求める権利を労働者に認め、第三段階として、労働者の請求後一定期間内に使用者が解雇理由を記載した書面を交付しない場合に、初めて解雇無効とする(当弁護団「労働契約法制立法提言第一次案」(1994)、同「労働法制立法提言 緊急五大項目」(1995))。
これらの選択肢の中で、今回の立法提言では②を採用した。書面によることを義務づけても使用者に過大の負担を課すとは言えないこと、書面によることの負担については、第3項により一定緩和できることがその理由である。
4 現行労基法でも、労働者から求めがあった場合に、解雇理由を記載した書面の交付を義務づけている(22条)が、現実には、就業規則の条文を引用しただけのものが交付される場合が大半である。このような抽象的、概括的な理由を示されただけでは、解雇訴訟において、いくらでも解雇理由が追加できることになり、本条の目的が達成できない。そこで、解雇理由の記載は、具体的な事由を明らかにしたものでなければならないものとした(2項)。通常は、就業規則の該当条項とこれに該当するに至った事実関係が記載されるべきものである(なお、平15基発1226002号)。
但し、企業秩序違反が著しく即日解雇せざるを得ないような場合、解雇通告と同時に具体的な解雇理由を記載した書面を交付させることは、使用者に酷であることも考えられる。そこで、具体的な解雇理由は2週間に限り追完可能とした(3項)。
1 使用者が労働者を解雇するには、次の予告期間をおくか、次の予告期間の平均賃金に相当する額以上の解雇予告手当を支払わなければならない。但し、天災事変による事業の継続不能その他これに準ずる場合又は予告期間中引き続き労働契約関係を維持できない程度の重大な非違行為が労働者にある場合は、この限りでない。 |
【解説】
1 民法627条には2週間の解雇予告に関する定めがあり、労働基準法20条では、民法の規定を修正して、30日間の解雇予告期間または30日分の解雇予告手当について定めている。
解雇予告の期間は、労働者が次の仕事を探すための不利益緩和措置として重要な意味を有する。各国の立法例をみても、勤続期間が長くなれば予告期間も長くなる。ドイツの場合最長6カ月、イギリスでは最長12週間、フランスでは最長2カ月である。本提言では解雇を言い渡された者が長期間職場で勤務を続けるのは人間関係その他で苦痛となる面もあることを考慮して、最長を3カ月とした。
2 解雇予告手当は、解雇に伴う労働者の経済的不安を緩和することを目的とするものであるから、その支払いは解雇日(即日解雇であれば、解雇通告日)までに支払わなければならないものとした(第3項)。
3 第4項では、解雇予告もせず、解雇予告手当も支払わない場合には、解雇の有効性を主張できないものとした(所定の解雇予告がない場合に、労働者が解雇の効力を争わず、予告手当の支払いのみを求めることは可能である)。
現行労基法20条に違反する解雇について最高裁判例は、「即時解雇としては効力が生じないが、使用者が即時解雇に固執する趣旨でないかぎり、通知後30日の期間を経過するか、または通知の後に予告手当の支払をしたときはそのいずれかのときから解雇の効力が生じる」として、相対的無効説をとっている。しかし、解雇予告制度を徹底させるために、解雇予告をなさず、かつ解雇予告手当を支払わない場合には、解雇の有効性を主張できないものとした(例えば、即日解雇の場合は、第3項により解雇通告日に予告手当を支払わなければならず、その支払いを怠った使用者は、改めて解雇予告もしくは予告手当の支払をしなければならず、「再度の」解雇予告(予告手当の支払い)までの間の賃金は支払わなければならない)。
1 労働契約が期間の定めのないものであるときは、労働者はこれをいつでも解約することができる。 |
【解説】
1 民法627条により期間の定めのない労働契約については、労働者が解約告知をしてから2週間を経過した時点で当該労働契約は終了する。
これに対し、有期雇用については民法628条により「やむをえない事情」がなければ契約の途中解除ができないばかりか、その事情が一方の過失により生じた場合には相手方に損害賠償の義務も負担する。すなわち、有期雇用の場合、期間途中での労働者の契約解除の自由が著しく制限されている。有期雇用制度は、長期の人身拘束の温床となる危険があるので、労働者の解約の自由を広く認める必要がある。
2 そこで、有期雇用に関して、最初の1年間は「やむをえない事情」ではなく「合理的な理由」があれば労働者は解約できることとした。また、有期雇用の契約期間が元々1年以上であるか又は1年未満の契約が反復更新される等して最初の契約締結時から1年以上経過したときには、「合理的な理由」がなくても、退職の自由があることを規定した。
1 労働者は、労働契約の解約又は労働契約の合意解約の申込もしくは承諾の意思表示(以下「解約通知等」という)について、これをなしたときから8日を経過するまでの間、これを撤回することができる。 |
【解説】
使用者の退職勧奨を巡るトラブルが頻発している。その多くは、「使用者の執拗な退職勧奨に根負けして退職届や退職願を書いてしまったが、冷静に考えてみれば納得できない」という内容のものである。
かかる紛争に対応するため消費者保護のクーリングオフと同様の制度を設けることにした。
使用者の作為又は不作為によって労働者が退職せざるを得ない状況におかれ、その結果として労働者が退職したときは、労働者の解約の意思表示または労働者と使用者との合意解約であっても解雇とみなす。この場合、労働者は第9の救済を請求することができる。 |
【解説】
1 日本においては、使用者の退職勧奨、いじめ、セクハラ等に起因して、退職届を出してしまい退職願が受理された場合には、法律形式上は、労働者の自発的意思に基づく労働契約の解消とされ、使用者が一方的に行う解雇とは全く別の性質のものであると処理されてきた。そして、これらの場合、強迫や錯誤などの特別な事情があって退職願や退職届が失効する場合か又は執拗な退職勧奨、いじめ、セクハラについての使用者の不法行為責任もしくは配慮義務違反が認められる場合でなければ、法的救済は困難であった。
2 しかしながら、英米法においては、使用者の執拗な退職勧奨、いじめ、セクハラ等に起因して、退職届や退職願を出した場合に、その法律形式にこだわらずに、その実質が「解雇」であることに着目して、これらを「準解雇」「みなし解雇」として扱い、解雇の場合に準じて使用者に賠償責任を負担させる法理が発達してきた。
日本でも、これらと同様の制度を設ける必要がある。なお、「準解雇」という言葉より「みなし解雇」の方が判り易いので、この言葉を用いることとした。
3 いかなる場合に救済対象とするかについては、次のとおり幾つかの選択肢があり得る。
① 使用者に追い出し意図(排除意思)(故意)があり、それに基づき「労働者が退職せざるを得ない状態」が作り出された場合
② 「使用者の作為又は不作為」に起因する「労働者が退職をせざるを得ない状況」があり、この状況の結果として「労働者が退職」した場合
本提言においては、②を採用した。
4 救済方法については、英米法のように金銭賠償に限定せず、通常一般の解雇の場合と同様に、原職復帰または原職相当職への復帰も可能とすることにした。
但し、セクハラ事件等のように従前の職場にそのまま復帰させるのが望ましくない場合には、使用者側に配置転換等の適切な措置を講じる義務が生じるであろう。
5 なお、「解雇とみなす」ことの効果としての救済は、第9に限られるとして、解雇予告(第5条)および解雇理由の告知(第4条)は適用されないものとした。本条は、労働者の一方的解約もしくは使用者との合意解約の場合にも、解雇の場合と同様の救済を与えることを目的とするものであるが、解雇の意思表示がなされていない自主退職、合意退職の場合に、解雇予告や解雇理由の告知を求めることは現実的でないからである。
1 この法律もしくは他の法律に違反して解雇が行われた場合又は解約通知等が撤回もしくは取消された場合、労働者は使用者に対して、次の各号の何れかを選択して請求することができる。 |
【解説】
1 違法な解雇の救済を求める場合、これまでの日本では、解雇無効を主張して、労働契約上の地位確認と賃金支払を求めることが多かった。解雇無効を主張せず、労働契約上の地位確認も請求せず、金銭賠償の請求だけを求める例は多くはない。
それと言うのも、金銭賠償を求める場合、かなり高額の慰謝料が認められている一部のセクハラ事件の例を除き、一般的には判決で認容される賠償金額の水準が低いからである。その理論的背景として、一つには、違法な解雇の場合に労働関係を解消して金銭賠償に転換させる法律上の規定がないことがある。また、日本の裁判例では、いじめやセクハラによる解雇の場合に、本人に就労して労務を提供する意思がないから使用者の賃金支払義務もないとの理由で、将来の賃金相当額の損害賠償を否定する裁判例もある。このため、賃金相当額以外の慰謝料だけでは、一部の極端に悪質な事例を除き、賠償額の高額化が困難であるという事情があった。
2 しかしながら、解雇を巡る紛争においては、「解雇は納得できないが、さりとて人間関係が破壊されているので職場復帰したくない。でも、企業に法的責任をとらせたい」という要求が多数存在する。このため、職場復帰を求めなくとも金銭賠償を請求することを可能とする方途を講じる必要があり、かつ、将来の賃金相当額の賠償も認めて、金銭賠償総額の水準を引き上げる必要がある。
3 ドイツでは、解雇無効であっても、職場での人間関係の破壊等により職場復帰が困難で雇用関係の継続が期待できないとき、裁判所は、労働者の申出により、雇用関係を解消する代わりに賃金18カ月分までの補償を命ずる判決を言い渡すことができる(なお、使用者は、労働者との有益な協力を期待し難いときに限り、解雇判決を請求できる)(解雇制限法9~10条)。イタリアの労働者憲章法と解雇制限法では、違法解雇の場合、判決では労働者の原職復帰を命ずるが、労働者は原職復帰を放棄して事実上の総報酬の15カ月分に相当する代替手当の請求を選択することができる。
日本においても、これらと同様に法律を整備する必要がある。但し、ドイツのように違法な解雇を行った使用者に金銭補償の申出権を認める必要はない。
4 日本では、労働契約上の地位確認と賃金支払の判決を得ても、使用者が賃金支払だけを行い、労働者を職場に復帰させず、あるいは職場復帰を拒絶して自宅待機を命ずることが少なくない。労働者は、職場の中で労働をしてこそ人間としての誇りをもつことができる。賃金だけ支払われていわば飼い殺しの如き状態に置かれるのは、場合によっては人権侵害でさえある。
このため、就労請求権の有無についての労働契約を巡る解釈上の問題があること等も考慮し、就労請求権を規定することとした(1項1号)。
5 就労請求権に関して、解雇後に事業所の組織変更等がなされた場合等において、解雇前の原職が存在するのか否か、また、原職が存在しないとしても原職相当職が存在するか否かが争点となることがある。
この場合、次の三つの選択肢がある。
① 原職や原職相当職の存在について、労働者が主張立証に成功したときに、就労請求権が発生する。
② 原職や原職相当職の一時的喪失等一時的なやむを得ざる事由があるときは、使用者に履行猶予の抗弁権を認め、法人の解散決議など原職や原職相当職の恒久的な喪失事由があるときは、使用者に履行免除の抗弁権を認める。
③ 原職又は原職相当職が存在しない等客観的かつ合理的な理由があるとき、使用者に就労請求権消滅の抗弁権を認める。
本提言では、③を採用した(2項)。
6 さらに、事業所閉鎖等により原職や原職相当職がなくなっており、就労請求権が認められない場合においても、なお、労働者の地位確認と賃金請求を認めるのか、それともこれらを認めずに金銭賠償へ移行させるべきかが問題となる。この場合でも、労働者には、労働契約上の地位を確認することによって社会保険上の年金受給資格等を確保する等のメリットもあるから、原職や原職相当職がなくなっているからといって、直ちに、金銭賠償に転換させることは相当ではない。
(君和田伸仁)
第1 営業の移転の定義
本章における「営業の移転」とは、ある企業又は事業(以下「企業等」という)の営業の全部または一部の、他の企業等への移転のすべてをいう。 |
【解説】
「営業の移転」には、営業譲渡のほか、営業全部の賃貸、経営委任等(以上商法245条1項2号)、合併(商法56条以下、98条以下、408条以下、有限会社法59条以下等)や会社分割(商法第2編第4章第6節の3及び有限会社法第6章)などの様々な形態のものを含む。
「企業、事業、又は、企業、事業の一部の移転の際の労働者の権利保護に関する加盟国法の接近に関する2001年3月12日の2001/23EC理事会指令」(以下「EC理事会指令」という)やドイツ民法では、後述のとおり、これらの「営業の移転」全体について、労働者保護のための法整備が図られている。我が国においても「営業の移転」全般について共通の法整備が必要である。
そこで、本章では「営業の移転」全般に関して労働者保護のために整備すべき規定を挙げた。第1は、本立法提言における「営業の移転」の定義規定である。
1 企業等の営業が他の企業等に移転されるときは、当該移転される営業に従事する労働者が営業を移転する企業等との間で締結している労働契約は、当該営業の移転の効力が生じたときに、営業の移転を受けた企業等に承継される。 |
【解説】
1 労働契約の承継
ある企業等の「営業」を構成していた労働契約については、「営業」の一部として丸ごと別の企業等に承継させることもできるが、労働契約の一部(即ち、従事していた労働者の一部)だけを「営業又は営業を構成する財産」として別の企業等に承継させることもできるし、労働者の全部を元の企業等に残してそれ以外の諸設備、商権、取引先との契約関係等を別の企業等に承継させることも法的には可能である。
しかし、そもそも「営業」は、これを構成する労働者の労務提供なくして形成されなかったものであり、また、「営業」により形成された様々な設備、商権、取引先との契約関係等々との有機的関連性なくして、労働者の労働契約は存在し得ない。「営業」により形成された様々な設備、商権、取引先との契約関係等々と労働契約との有機的関連性を自由に切断できるようにした場合は、労働契約の存在基盤はその根底から脅かされることになる。
そのため、ヨーロッパ諸国においては、企業や事業の全部または一部について経営主体が変更される場合において、新たな経営主体が従前の労働契約関係を承継するものとされている(EC理事会指令、ドイツ民法613a条、フランス労働法典第1巻23条8項など参照)。
また我が国では、2000年の会社分割法制創設に伴って制定された労働契約承継法において、設立会社等に承継される営業に主として従事していた労働者の労働契約は、原則として設立会社等に承継されるとの規定が定められた(3条)。会社分割は、講学上は企業組織の変動に関する事柄であり、企業間での取引行為である営業譲渡等とは別の種類のものであるが、社会的実態としては会社分割も営業譲渡等も、いずれも異なる経営主体への「営業の移転」の一手法であり、両者の間で労働者保護の必要性には何ら異なるところはない。また、営業譲渡に伴う労働契約承継に関する裁判例も、営業譲渡に際して譲渡人の労働者の大部分が譲受人に引き受けられたような場合には、労働契約の譲渡を推定する(新旧使用者間の労働契約譲渡及び労働者の承諾の推定)という考え方に立つものであり(原則承継説)、労働法学説上も多数の支持を受けている。そこで、営業譲渡等の営業の移転についても、労働契約の承継に関する規定を設けることに合理性がある。
なお、合併の場合は、判例・学説とも、合併後の存続会社や設立会社が「合併により消滅したる会社の権利義務を承継す」るとの商法103条(416条で株式会社に準用)を根拠に、合併前の会社との間の労働契約も包括的に、合併後の存続会社(設立会社)に承継されると解している。しかし、この点を直接明確にした規定は存在しない。そこで、合併をも含んで、明文で労働契約等の承継に関する規定を定めるべきである。
2 労働者の異議申立権とその効果
ある企業等と労働契約を締結している労働者を別の企業等に転籍させるためには、当該労働者の同意が必要不可欠である。このように、転籍について労働者の個別同意が必要とされているのは、労働者が誰の指揮命令を受けて誰に労務提供をし、誰から賃金支払いを受けるのかという点は、労働契約の最も本質的な要素であり、これを企業等が一方的に変更することは許されないからである。民法625条では、使用者は労働者の承諾を得なければ雇傭契約上の権利を第三者に譲渡できない旨が規定されており、転籍について労働者の個別同意を要することは、今日確立された判例法理である。しかも、最近まま見られるように、不採算部門のみの営業の移転の場合は承継された労働者が整理解雇や労働条件の不利益変更等の重大な不利益を被る危険性もあり、労働者に自己選択権が保障されなければならない。
そこで、労働者が、営業の移転に伴って自己の労働契約が別の企業等に承継されることに異議がある場合は、合併の場合を除き、当該労働者の労働契約は別の企業等に承継させず、従前の企業等との労働契約を存続させるべきである。
EC理事会指令は、事業移転に際しての労働契約の自動的移転を定めるものであるにもかかわらず、EC司法裁判所は、Katsikas事件において、労働者の基本権及び使用者選択の自由を根拠に、一般的に労働者の承継拒否権を認めている(但し、拒否権行使の効果は、加盟国の国内法に委ねている)。またドイツの場合も、判例により労働者の拒否権が認められている。
次の労働関係上の債務(賃金・退職一時金・退職年金・解雇予告手当等、以下同じ)の支払については、合併の場合を除き、営業の移転をした企業等と営業の移転を受けた企業等とが、連帯して責任を負う。 |
【解説】
労働者の賃金・退職金等の「雇用関係に基づき生じたる」労働債権については、企業等の全財産の上に法定の担保権たる先取特権が存在している(民法306条、308条)。このように、労働債権は労働者保護の観点から、企業等の一般債権者に対して優先性が認められているのである。労働者保護を十全にするためには、労働者の賃金・退職金の確保のための先取特権は、企業等の財産の名義に変動が生じても、それと無関係に保護されるとする必要がある。
実際、営業の移転の場合、権利義務を承継する営業の移転を受ける企業等が、資産より負債を多く承継して純資産が著しく少なくなることもあれば、それとは反対に営業を移転する企業等が負債より資産を多く別の企業等に承継させることにより純資産を著しく減少させることもあり得る。これによる担保価値減少のリスクを、企業等の資産の形成に寄与した労働者に負わせるのは不合理である。
ドイツ民法では、事業所譲渡に関して、譲渡前に生じ、かつ、弁済期の到来した債務については無制限に、譲渡前に生じたが譲渡後に弁済期が到来する債務については事業所譲渡から1年以内に弁済期の来るものに限り、譲渡人の連帯責任を認めている(613a条2項)。我が国においても、営業の移転から1年間は、企業等の資産形成に寄与した労働者の賃金・退職金等の労働債権を保護するため、営業の移転をした企業等と営業の移転を受けた企業等の両方に連帯して支払義務を負わせるべきである。
また、将来にわたって分割払となる退職年金(税制適格退職年金その他外部拠出制企業年金を含む)についても、営業の移転から1年間はその支払を十全ならしめるため、営業の移転をした企業等と営業の移転を受けた企業等の両方に連帯して支払義務を負わせるべきである。会社分割に関しては、承継法に関する指針(平12労告127号)第2の2(4)のイ(イ)で、税制適格退職年金その他の外部拠出制企業年金について、設立会社等に労働契約が承継される労働者の受給権は労働条件として維持されるとされている。営業の移転を受ける設立会社等において受給権が維持されるのは当然であるが、前記のとおり設立会社等の資力が乏しく支給が困難・不可能になる場合に備える必要がある。また、右受給権の保護は営業の移転全般について共通するものであって、会社分割に限られない。
営業の移転をするか若しくはこれをした企業等、又は、営業の移転を受けるか若しくはこれを受けた企業等は、いずれも、営業の移転を理由に労働者を解雇することはできない。 |
【解説】
営業の移転を行えば、その結果として、営業の移転をした企業等・受けた企業等の一方が、他方と比較して相対的に余剰な人員、不良な資産、過大な債務などの不利益を抱えるケースが少なくない。その結果、営業の移転後は、一方の企業等で、過剰人員、過剰設備、過剰債務の問題が営業の移転の前よりも深刻化する可能性が高い。このため、営業の移転は、人員整理の問題をどうしても孕む。また、営業の移転により、一方の企業等に不良部分を背負わせて経営状態の悪化を意図的に作り出すことも可能であるし、余剰人員の受け入れ余力のある優良部門を切り離すことにより解雇回避の方策を失わせることも可能になってしまう。この場合には、「整理解雇の4要件」を適用して、整理解雇を規制することは困難となる。そこで、営業の移転にあたっては、営業の移転を理由とする解雇を、制限する必要がある。
EC理事会指令の4条1項、ドイツ民法613a条4項に、同旨の規定が存在する。
営業の移転を受けた企業等は、営業の移転の効力が生じたときから1年間を経過するまでは、承継された労働契約の労働条件を、営業の移転を理由に、労働者に不利益に変更することはできない。 |
【解説】
前記第4で指摘した事情は、解雇に止まらず、営業の移転後、移転を受けた企業等が、承継した労働者の労働条件を不利益に変更する例としても出てくる。
しかし、営業の移転がなければそのような不利益変更はなかったのに、労働者が決定に直接関与できない営業の移転を理由とすれば、不利益変更が自由に許されてしまうというのでは、不合理である。営業の移転によって、当該営業に従事する労働者の労働契約上の権利義務も、従前の内容のまま当然に営業の移転を受ける企業等に承継されるのを原則とする以上、承継された労働契約を、営業の移転を理由に、一方的に労働者の不利益に変更することが許されないこととすべきである。
会社分割にかかる労働契約承継法の指針(平12労告127号)には「会社分割の際には、会社は会社の分割を理由とする一方的な労働条件の不利益変更を行ってはならず、また、会社の分割の前後において労働条件の変更を行う場合には、法令及び判例に従い、労使間の合意が基本となるものであること。」との規定があるが(第2の2(4)のイ(ロ))、指針には法的拘束力はなく、不十分である。
1 営業の移転をする企業等は、当該営業の移転に関する決定をする前に、当該営業の移転の内容について、労働者の過半数で組織する労働組合又は労働者の過半数を代表する者(労働組合等、以下同じ)と協議のうえ、理解と協力を得る努力をしなければならない。 |
【解説】
営業の移転は、労働者の雇用や労働条件に重大な影響を及ぼす。それ故、民事再生法に基づく営業譲渡においては、労働組合等は営業譲渡の許可をする裁判所に対して事前に意見を述べる機会を与えられている(民事再生法42条3項)。また最近の会社更生法の改正に際しても、これと同様の規定が置かれた(会社更生法46条3項)。さらに、労働契約承継法7条は、会社分割につき労働者の理解と協力を得る努力義務を定めている。指針(平12労告127号)によれば、分割会社は、過半数労働組合等との協議その他これに準ずる方法によって、労働者の理解と協力を得るよう努めるものとされ、会社の分割を行う背景及び理由や、分割後の分割会社及び設立会社等の負担すべき債務の履行の見込み等の事項につき労働者の理解と協力を得るよう努めるものとしている(第2の4の(2)のイロ)。
これらの規定等及びその趣旨に照らし、営業の移転の場合全般について、労働組合等との事前協議及び意見表明の機会を設けるべきである。また、営業の移転につき議決権を行使する株主等に、その意見を知らしめることも必要である。
1 営業の移転をする企業等と労働組合との間で締結されている労働協約のうち労働条件その他労働者の待遇に関する部分は、当該労働組合の組合員である労働者と営業の移転をする企業等との間で締結されている労働契約が営業の移転を受ける企業等に承継されるときは、当該営業の移転の効力が生じたときに、営業の移転を受ける企業等に承継される。 |
【解説】
営業の移転によって、当該営業に従事する労働者の労働契約上の権利義務も営業の移転を受ける企業等に承継されるのを原則とする以上、承継される労働契約は労働協約に規律されるのであるから、労働協約のうち労働者の労働条件その他の待遇に関する部分については、営業の移転を受ける企業等に承継されるとするのが当然である。
労働協約の民事上の取扱については、会社更生法や民事再生法の適用という企業経営上の非常事態の場合においてさえ、管財人等は労働協約については解除することができない(会社更生法61条3項、民事再生法49条3項)。労働協約は、会社更生や民事再生という非常時においても、尊重され遵守されるべきものだからである。従って、営業の移転に関しても、同様の規定を設ける必要がある。
また、労働協約所定の労働条件については、既得権保護および激変緩和措置として、承継の時点における労働協約所定の労働条件を、これが適用される労働者の労働契約の内容とした上で、1年間はこれを不利益に変更できないとすべきである。同旨の規定はドイツ民法613a条に存在する。
(山内一浩)
以 上