サマータイム法案の上程に反対する意見

2005/3/23

 

サマータイム法案の上程に反対する意見

2005年3月23日

日本労働弁護団     
幹事長  鴨 田 哲 郎

1 はじめに
 99年に法案上程を断念せざるをえなかったサマータイム法案が再び浮上している。当弁護団は99年4月、労働時間延長の危険、省エネ効果試算への疑問、省エネ及び労働時間規制の抜本対策の必要の点からサマータイム導入に反対する決議を公表したが、同意見で指摘、危惧した点は今日も変更すべき状況には全くない。それどころか、労働時間の二極化が進み、中堅層では週60時間以上働く者が2割を超えるなど長時間労働化は増々進んでいると言わざるをえない。
  ところが、法案を推進する「生活構造改善フォーラム」(以下、「フォーラム」という)やサマータイム制度推進議員連盟(以下、「議連」という)は、法案の目的を省エネからゆとり創造・ライフスタイル変更へ変更して、今国会での成立をめざすとする。全く同一内容の法案の目的が変更されること自体、当該法案の必要性に疑問を抱かせ、制定理由の脆弱さを示すものである。

2 省エネ効果は期待できない
 まず、省エネ効果は、「フォーラム」が掲げる10項目の目的・提案の5番目に格下げとなり、「議連」のサマータイム実現「宣言」(3月18日)でも3項目の3番目に「(省エネの)具体的な実践につながるよう」と記されるのみである。これは省エネ効果が期待できないことを自ら認めたと評さざるをえない。

3 ゆとり創造にまず必要なこと
(1) ゆとりを生まなかった要因
  ゆとり創造目的については、時短が叫ばれて十数年、これが目標通りに進まなかった要因を分析し、これを除去しなければ、ゆとり創造など不可能であり、せいぜい時刻が1時間ズレるだけで終わってしまうであろう。ゆとりを生まない生活を労働者に強いてきたのは企業の利益至上主義、効率至上主義である。サマータイムを推進するとする日本経団連からこの点に対する反省・見直しは全く聞かれない。それどころか、競争激化を理由として、成果主義賃金制度への移行、労働時間規制の緩和撤廃、雇用の不安定化を強力に推進し、主張している。かかる労務政策により1人ひとりの労働者は無限定な競争を強いられ、精神的・肉体的に長時間過密労働を余儀なくされている。過労死・過労自殺や精神疾患の罹患は多くの労働者にとって他人事ではない。その不安にさらされながら、労働者は自己と家族の生活のためにギリギリまで働いているのである。

(2) ゆとりを生む前提条件
  かかる現状からすれば、サマータイム導入による労働時間増加が懸念されるのは当然である。
  しかし、この点、「フォーラム」は「残業時間の常態化は、本来サマータイムとは全く無縁である。無用な心配をする前に、この際、常態化した残業や不明朗なサービス残業をやめるといった思い切りが大切である。」そのために、「サマータイム制度の導入をきっかけに新しいワークルールを制定し、サービス残業といった構造的な問題点を解消するために労働基準法の厳格な適用を求めることによって、新しいワークルールを実現させ」るとするのみで、「新しいワークルール」を法として制定する考えは全く示しておらず、個別企業における「労使自治」に期待するのみである。
  「労使自治」によって、この十数年、時短が進まなかったのは客観的事実である。政府は一般労働者の1800時間労働社会を目指すとし、これは国際公約でもあったが、今日でも一般労働者の年労働時間は企業の支払労働時間による毎月勤労統計によってすら2000時間を超えている(現実の実労働時間は、これに合法・非合法の不払い労働時間が加算される)。にも拘らず、政府はこの公約、目標を放棄し、時短推進法を労働時間設定改善法へ変えようとしている(今国会に上程された、時短推進法改正法案。なお、同法案に対して当弁護団は3月8日付けで反対の意見書を公表している)。明るい夕方に帰れる、実効ある法律が制定されない限り、明るい夕方の残業と化してしまう危惧は到底、ぬぐえない。

4 地理的及び社会的条件
  「フォーラム」では、既に70カ国以上で導入され、グローバルスタンダードだと主張する。しかし、これは地理的条件と社会的条件を無視した議論である。まず、地続きで緯度の高い、ヨーロッパ、北米諸国と島国で中緯度の日本とは地理的条件が根本的に異なる。さらに、ヨーロッパ諸国との社会的条件の違いとして、通勤時間の短さ及び1日の実労働時間の短さとこれを保障する法制度(実労働時間の上限規制、勤務間隔時間の規制、閉店法等。いずれも日本の法は存在しない。36協定における「基準時間」は行政指導の根拠にすぎず、さらに特別協定時間という青天井の抜け道が用意されている。)の存在に留意しなければならない。これらの社会的条件なくして、夕方の1時間がゆとりの1時間となる保障などどこにもない。
  これを、全人口の1割を擁する東京を例にとって検証してみると、夏の夕方、屋外で活動できる程明るいのはせいぜい19時までである。今日、最もポピュラーな所定労働時間帯は9時・18時(または、8時半・17時半)である。通勤には1時間以上を要する。定時(18時)に退社できる者は少数派で、30分~1時間の残業は通常である。であれば、夏時間の18時(通常の17時)が終業時刻となっても、帰宅は夏時間の19~20時(通常の18~19時)であって、夏時間の20時(通常の19時)までに利用できる明るい時間はほとんどない。
  そして何よりも不可思議なのは、フォーラムでは、サマータイムの下でも労働時間も睡眠・食事等の生活必要時間もその長さは変わらないとする。では、夕方のゆとりの1時間は、何を削って創出されるのか?

5 十二分な国民的論議を
  ゆとり創造のためにも、省エネ推進のためにも、今、必要なのは利益・効率のみを追求する企業社会に組込まれた労働時間のあり様についての抜本的な是正であり、さらに、24時間社会の見直しである。かつて、完全週休2日制の実現を目指した西ドイツ(当時)の労働組合は、「土曜のパパは僕のもの」という秀逸なスローガンを掲げたが、我が国においても、「夕方のパパは僕のもの」を実現できる労働時間制度の実現がまず先である。
  「フォーラム」や「議連」等の主催によるサマータイム実現緊急大会においては、「錯覚」に基づく反対も多いとの発言がなされた。ゆとりが創出されるという「錯覚」と明るい夕方の残業と化すという「錯覚」といずれが正夢か、十二分に検討されなければならない。また、同大会では、成立後3年間リードタイムを置くので心配はないとの発言もなされた(その後の報道では「2年」に短縮されており、また、「フォーラム」が行った首長アンケートでは「1年」とされている)が、導入を決めてから「錯覚」だと不安を消そうとする手法は、批判を許さない傲慢な発想である。省エネにも経済にも即効のないことは推進勢力でも認めざるをえないところであり、なぜ今、十分な議論もなく、国民的コンセンサスをつくる時間を与えずに成立を急ぐのか、極めて疑問である。
  いずれにしても、サマータイムは、生まれたばかりの赤ちゃんからお年寄りまで、文字通り、全ての国民の毎日の生活それ自体に直接影響を及ぼす法律である。国民的コンセンサスを得てから国会が取り上げるべき問題であって、安易に立法すべき問題ではない。ゆとり創造と省エネ実現のために全国民的論議がなされ、その中でサマータイムについても十分に検討なされることを強く求めるものである。

以 上

(鴨田哲郎弁護士による補充意見)

「今、サマータイムは必要か?」弁護士鴨田哲郎