「時短」の旗を降ろす時短促進法改正に反対する意見書

2005/3/8

 

「時短」の旗を降ろす時短促進法改正に反対する意見書

                         日本労働弁護団幹事長 鴨田哲郎

                              2005年3月8日

意 見 の 趣 旨

1 「労働時間の短縮の円滑な推進を図」る法律を廃し、これに替えて、「労働時間等の設定の改善に向けた自主的な努力を促進するため」の法律を制定すべきではない。時短促進法の廃止ではなく、むしろ、一般社員の年間総実労働時間1800時間達成に向けた、より実効性のある立法を含めた時短推進措置を講じるべきである。

2 労働時間規制にとって、公的な規制は重要な柱となるべきものであり、安易に労使の自主的取組に委ねるべきではなく、ましてや、衛生委員会に労使協定に代替する決議権を付与すべきではない。使用者から独立した、恒常的で権限のある労働者代表機関の設置・整備が図られるべきである。

3 改正法案が長時間・過密・不規則労働による過労・過労死・過労自殺・精神障害の増大や家庭責任の放棄・家庭崩壊という現状をさらに悪化させることになることは明らかであり、今、必要なのは労働時間を規制する実効ある立法である。 

意 見 の 理 由

1 法案の骨子
 
厚生労働省は、労働政策審議会(会長西川俊作)の建議「今後の労働時間対策について」(平成16年12月17日)を受け、今国会に「労働時間の短縮の促進に関する臨時措置法」(時短促進法)を一部改正する法案を3月上旬にも提出する方針である。
  法案要綱によれば、①法律の目的を「労働時間短縮推進計画を策定するとともに、事業主等による労働時間の短縮に向けた自主的な努力を促進するための特別の措置を講ずることにより、労働時間の短縮の円滑な推進を図り、もって労働者のゆとりのある生活の実現(略)に資することを目的とする。」から「労働時間等設定改善指針を策定するとともに、事業主等による労度時間等の設定の改善に向けた自主的な努力を促進するための特別の措置を講ずることにより、労働者がその有する能力を有効に発揮することができるようにし、もって労働者の健康で充実した生活の実現(略)に資すること」に変更し、これに伴ない法律の名称も「労働時間等の設定の改善に関する特別措置法」と改める。②その決議に労使協定代替効が付与されている「労働時間短縮推進委員会」の名称を「労働時間等設定改善委員会」と改め、衛生委員会に設定改善委員会の機能を持たせるとの点が「改正」の骨子である。なお、施行は平成18年(2006年)4月が予定されている。

2 我が国の労働時間の現状
  時短促進法は、1992年(平成4年)の長期経済計画において政府が「年間総労働時間1800時間」の目標を掲げ5年間の時限立法として法制化されて以来、目標達成が進まず、期限が2度にわたって延長され、2006年3月末で期限を迎える。
  この間、年間総実労働時間は減少はしたものの最近は横ばい状態であり、1800時間を下回ったことはない。最近の減少の主要な原因も、90年代の平成不況と非正規労働者の急激な増加にあり、決して時短が推進され、定着したわけではない。一般労働者(正社員)の労働時間は相変わらず2000時間を超えたままである。しかも、厚生労働省の毎月勤労統計は企業の支払労働時間に基づいて集計されているため、不払残業は含まれていない(総務省の「労働力調査」では、年間労働時間は、2200時間である)し、これに加えて合法な不払労働(みなし時間制、管理監督者)も含まれていない。ILOの調査によれば、週に50時間以上働く労働者の割合は、日本が28.1%と最も多い(欧州で最も長時間労働とされるイギリスでも15.5%にすぎない。オランダはわずか1.4%である)。そして、この比率が異常に高いというだけでなく、そもそも「50時間」が長時間労働の目安とされていることに注目すべきである(EC労働時間指令(93.11.23)は週実労働時間の上限を48時間と規定している)。日本では、30代から40代の中堅労働者で週60時間以上働く者が20%以上も存在する。他方、欧州では25~30日の付与に対してほぼ完全に取得される、有給休暇については、付与日数18.0日に対し、取得率は年々低下を続け、47.4%(2003年)と過去最低を記録している。
  かかる状況において、長時間労働による脳・心臓疾患の発症を懸念する企業は、2年前の前回調査に比し、8.2%増の38.3%、精神疾患の発症を懸念する企業も6.4%増の33.8%にのぼる(05年2月東京労働局「従業員の健康管理等に関するアンケート調査」)。しかし、その対策として実施されたのは「労働時間の把握」(43.9%)であり、「時間外労働を月45時間以下に削減」は6.6%(45時間は36協定における「基準時間」である)、「年休を積極的に取得させた」19.2%にすぎない。時短促進法下でもこの状態であり、事業主の自主的努力や労使の自主的取組に期待しても、結果が出ていないことは明らかな事実である。労働弁護団の電話相談に寄せられる相談でも、長時間労働や過労死、精神障害に関するものが急増し、また、その内容は深刻化している。

3 時短を目的とする法の必要
 このような中で、時短を目的とする法を廃して、実効が期待しえない自主的努力による労働時間の設定改善を目的とする立法をなすことは、「時短」の旗を降ろすものであって、改正の域を超えるものである。現状を直視するならば、かかる必要などないことは明らかであり、「改正」を期待する労働者・労働組合の声は存在しない。
 そもそも、国際公約でもある1800時間は正規労働者の時短目標であった(89年「1800労働時間社会の創造」によれば、年所定時間1654時間、所定外労働147時間、年休20日等によって、1801時間とのモデルが示されている。これが正社員を対象としたものであることは明らかである)。これが達成されなかった原因を正確に分析し、有効な対策を講じることこそ、時限立法たる時短促進法の期限切れにあたって、国、政府が行うべきことであり、未達成の目標を放棄し、法の目的を本質的に変更してしまうなど言語道断である。長時間労働の解消は、依然として、わが国の労働者にとって切実な要求である。
 
「建議」は、法改正の基本的な方向性として、「事業場における労働時間等の設定を労働者の健康や生活に配慮するとともに多様な働き方に対応したものへと改善するための法律に改めることが必要である」としているが、ここでいう「『多様な働き方』への対応」が、「職務内容に照らし労働時間規制が必ずしもなじまない仕事に就く者については、その者が希望するならば量的なものも含め労働時間規制にとらわれない働き方」(仕事と生活の調和検討会議報告書。04年6月)を指すことは明らかであり、労働者の自主性、希望、あるいは同意を過度に評価することは、後述のように、公的規制として労使の合意をも排する労働時間規制とは相容れず、ことに我が国においてその危険性は改めて指摘するまでもない。「多様な働き方」の法認することを口実に、恒常的に長時間労働をせざるを得ない労働者の存在を容認することは許されない。働き方や仕事の内容が多様化してからといって、そのことを根拠に長時間労働が当然に認められるわけではない。長時間労働は、いかなる労働者にとっても心身の健康を蝕むものである。

4 公的規制強化の必要
 本来労働時間規制は、労働者の心身の健康や安全に切実にかかわるものであるため、労働者が人たるに価する生活を確保できるよう、最低基準として、公的な規制が強く求められている領域である。すなわち、労使合意をも、労働者の希望や同意をも排除するものであって、これを、労使の自主的な取組みに安易に委ねてしまうことは不適切である。時短促進法制定以来、労使の自主的取り組みが強調されてきたが、長時間労働が解消されていないことは公知の事実であり、前述の通り、現在でも自主的取組みに実効が期待しえないことも明らかである。このような実情のもとで立法及び行政の両面での公的規制を弱める方向での法改正は、国による労働者保護の責務を放棄するものである。かかる背景に、長時間・不払労働に対する監督強化を阻止しようとする財界の意向(日本経団連「05年版経営労働政策委員会報告」51頁)があるとすれば、由々しきことである。
 
ことに、衛生委員会の決議に労使協定代替効を付与するとする点は、容認できない。改正法案は、労働時間等設定改善委員会が設置されていない事業場において、一定の要件に適合する労働安全衛生法上の衛生委員会を、設定改善委員会とみなし、労使協定の代替決議の権限を付与するとしている。しかし、法案においても、かかる権限を付与するためには過半数代表との労使協定の締結を要すとせざるをえなかったように、そもそも衛生委員会とは、労働者の健康障害の防止、健康の保持増進等について調査審議する機関であって(労安法18条)、労使協定の主要な対象たる所定外・休日労働(36協定)、変形労働時間制、みなし時間制等の時制の設定を目的とする機関ではない。確かに、時制と労働者の健康との間に関連があることは事実であるが、衛生委員会は、事業主が指名した衛生管理者や産業医をいわば使用者側の構成員とし((同法18条2項)、その議長は事業の統轄管理者がなることが法定されている(同法18条4項、17条3項)機関であって、労使対等あるいはその下での労使交渉が保障された機関ではない。
 
法案は、本項の要件として労使協定の締結を掲げるが、もはや民間の労働組合組織率はわずか16.8%(99人以下の事業所では、1.2%)であり、本項の対象と想定される設定改善委不設置の事業場のほとんどは未組織職場である。かかる事業場における過半数代表者が事実上使用者の代理人であることは公知の事実であり、前記要件は、労働者保護を図るための要件として機能する前提を欠いていることは論を持たない。労使の力関係が到底対等とは言えない職場において、労働者の真意を反映した協定が締結される保障はどこにもない。かかる衛生委員会を労使協定代替効を有する機関に格上げすることは到底容認できない。
 
87年の労基法大改正以来、主として労働時間規制の弾力化、緩和の手法として労使協定の締結が多用されてきたが、その労働者側当事者たる過半数代表者についてはその基本的なあり様についての法整備が放置されてきた。労働時間問題に関し、当該事業場の労働者の意見を反映させる必要があることは明らかであるが、そのためにも今、何よりも先行されるべきは労働者代表機関の法整備である。既に、各ナショナルセンターや当弁護団より具体的提言がなされているところであり、使用者から独立した、恒常的で、権限(時間中の意見聴取、資料請求権、不利益取扱の禁止等)ある労働者代表機関の設置が図られねばならない。

5 実効ある労働時間規制を
 法案は、事業主の責務として、①業務の繁閑に応じた始業及び終業の時刻の設定、年次有給休暇を取得しやすい環境の整備などの措置をとるよう努めること、②労働時間の設定に当たっては、労働時間等に関する実情等に照らして、健康の保持に努める必要があると認められる労働者に対して、休暇の付与等に努めるほか、子の養育又は家族の介護を行う労働者、単身赴任者等特に配慮を必要とする労働者について、その実情を考慮するように努めること、などを定めている。
  しかし、①の「業務の繁閑に応じた労働時間の柔軟な設定」は、経営上の都合のみに基づき、労働者の犠牲のうえで、労働者に過酷な変則勤務を容認慫慂するものであって容認できない。始終業時刻の変更は原則として労働者の個別同意を要するものである。要件を満たさない違法な「変形労働時間制」や労働者の生活や都合を一切配慮しないシフト勤務、勤務ダイヤ制が横行している現状で、安易な変則勤務の拡大を奨励するかのような法改正には反対である。
  また、②の「健康の保持に努める必要があると認められる労働者」とは、長時間・過密労働をさせられている労働者そのものであって、このような労働者の存在を前提として事後的な配慮を求めるという法政策は、さらなる過労死・過労自殺・精神障害を生むことにつながる。労働安全衛生法の改正による時間外労働100時間以上の長時間労働者に対する医師による面談義務づけも、それ自体、違法な長時間労働者の存在を容認する議論であり、許容できないものである。
心身の健康は一度破壊されると取り戻すことは困難である。人間は機械ではない。
 
いかなる労働者に対しても、長時間・過密・不規則労働そのものを許さない方向での時短促進・あるべき労働時間規制を真剣に検討すべきである。その概要は、1日・1週の実労働時間の上限規制、所定外・休日労働の規制、深夜、交代制・シフト制勤務の規制、勤務間隔時間の導入などであり、また、労働時間規制の適用除外者を大幅に増やすエグゼンプションやオプトアウトの導入などは言語道断である。
 
今回の法改正は、長時間・過密・不規則労働の蔓延するわが国の現状に目をつぶり、さらなる労働時間規制の緩和・撤廃に道を開くものであり、反対である。

以  上