(意見書)労働訴訟における敗訴者負担についての意見書(3)

2003/6/27

労働訴訟における敗訴者負担についての意見書(3)

2003年6月20日

日本労働弁護団    
幹事長 鴨 田 哲 郎

司法制度改革推進本部
司法アクセス検討会
座長 高橋宏志 殿

 当弁護団では、標記につき、本年3月7日付及び5月30日付にて意見書を提出したところであるが、5月30日の貴検討会においては敗訴者負担制度の原則導入を前提に、例外として導入しない範囲に関し労働訴訟についていくつかの意見が出され、これらの意見が司法アクセスの促進の視点からではなく、当事者間の力の格差の存否と導入の可否を直接連関させるものであったとのことであり、その議論の進め方に強い危惧を抱かざるをえない。
 本意見書では、貴検討会での議論の状況をふまえ、(1)権利の目減り論の視点から導入を可とする意見が出された賃金・退職金請求訴訟、(2)力の格差が存在しないとして導入を可とする意見が出された労働組合と使用者との間の訴訟、(3)行政訴訟について貴検討会の一部委員の現状認識の誤りを指摘し、これら訴訟についても敗訴者負担制度を導入すべきでないことを論じる。

第1 賃金、退職金請求訴訟の実状 
 労働者個人と使用者との間の労働訴訟においては、証拠・情報量や証拠収集能力、訴訟対応能力に大きな格差があり、この点は一見労働者が容易に勝訴するようにみえる未払賃金や退職金請求訴訟においても同様である。
 賃金等請求訴訟においても、下記のように使用者側から様々な抗弁が出されることも多く、必ず労働者側が勝訴するとは限らず、逆に労働者側が(一部)敗訴することもまま見られる。つまり、こうした訴訟においても、勝訴の見通しの予見は難しいのが通例なのであって、敗訴者負担を導入することによる労働者の訴訟提起上の萎縮効果、アクセス障害の弊害は大きい。

 わが国では労働契約締結の際に労働契約書を作成しないことが、企業規模を問わず多く、労働条件明示義務を定めた規定はあるものの、明示方法が書面とされたのはようやく98年改正においてであり(労基法15条)、現在でもこれが遵守されている状況にはない。そうした場合に合意された賃金額がいくらなのかあるいは退職金制度の存否等が不明確な場合が多い。そのため、求人票や求人広告の賃金額等の記載が契約内容となるか否かが争われることになる。

敗訴判決の例
① 八洲測量事件・東京地裁判決(昭54.10.29)
  求人票記載の初任給は見込み額であって、その後景気の変動等があっても右見込み額を基本給として決定することを保障したものとまで認めることはできない。
② キャストシステム事件・東京地裁判決(平10.10.19)
  求人情報誌上の退職金有りの記載は、労働契約の内容とはならない。

 時間外手当請求訴訟では、労働者が時間外労働の存在及びその個別具体的な時間を裏付ける明確な証拠を所持していないことが多く、立証上の困難性を伴う。またそうでなくても、使用者は営業手当等の支払により時間外手当は支払済みと主張して争うこともある。

敗訴判決の例
① 三好屋商店事件・東京地裁判決(昭63.5.27)
  タイムカードの打刻時刻と就労時間とが一致していたとみなすことは無理があり、タイムカードに打刻された時刻から直ちに勤務時間を算定することはできないとして、時間外賃金の請求を棄却。
② 関西ソニー事件・大阪地裁判決(昭63.10.26)
  セールスマンにセールス手当(基本給の17%)が支払われ、同手当受給者には超過勤務手当を支払わないとの規定がある場合、時間外労働の大部分がセールス手当に相当する時間数を下回っており、時間外労働に対する賃金はセールス手当として支払済であるとして割増賃金の請求を棄却。

 賞与請求訴訟では、就業規則に「賞与は、会社の業績と労働者の成績を勘案して支給する」旨規定されていることが多く、その場合に裁判例は賞与額が具体的に決定していないとして請求を棄却することが多い。

敗訴判決の例
① ヤマト科学事件・東京地裁判決(昭58.4.20)
  賞与の具体的請求権が発生するためには、支給細目についての組合と会社間の労使協定又は労使の合意がなされる必要があり、そのような細目の約定がなされていないときは確立された労働慣行があるなど特段の事情がなければならないとして、賞与請求を棄却した。

 また、支給日に在籍する労働者にのみ賞与を支給する旨の支給日在籍要件を定めている就業規則が多く、判例上はその有効性を認めて請求を棄却する傾向にあるが、具体的事案への適用を巡っては判例・学説が分かれており、判断が一定していない。

敗訴判決の例
① 大和銀行事件・最高裁判決(昭57.10.7)
② 京都新聞社事件・京都地裁判決(昭58.9.12)
③ カツデン事件・東京地裁判決(平8.10.29)
退職日を自発的に選択できない定年退職者についても請求を棄却した例

 他方、須賀工業事件・東京地裁判決(平12.2.14)は、支給日在籍要件を有効としつつも、団体交渉がもつれて賞与支給が遅れたために内規上の支給予定日には在籍していたが現実の支給日には退職していた労働者について、内規の「支給時点」を「支給予定日時点」と解釈して賞与請求権を認容した。

 単純な賃金請求訴訟においても、使用者が労働者の腕章・プレート等を着用しての勤務は債務の本旨に従った労務の提供とは言えないなどとして労務の受領を拒否し、賃金を支払わないこともあり、「本旨に従った労務の提供」か否かが争いになることがある。

敗訴判決の例
① 東京急行電鉄事件・東京地裁判決(昭60.8.26)
  組合プレートを着用して就労しようとしたところ会社が就労を拒否し賃金を支払わなかった事案につき、これが債務の本旨に従った労務の提供とはいえないとして請求を棄却。
② 新興工業事件・神戸地裁尼崎支部判決(昭62.7.2)
  QCサークル活動のための作業ミス報告書の提出指示は正当な業務命令であり、これを拒否している労働者の就労の申し出は債務の本旨に従った労務の提供とは評価されないとして請求を棄却。

 退職金請求を受けた後になって、在職中のあれこれを取り上げて「懲戒解雇を行った」或いは「懲戒解雇事由が判明した」として、退職金支払の拒絶・減額を主張する使用者も見られる。

敗訴判決の例
① 大器事件・大阪地裁判決(平11.1.29)
 自主退職の成立後、会社が懲戒解雇の意思表示をして退職金の支払を拒んだ事案で、懲戒解雇の場合の退職金不支給規定は、現に労働者を懲戒解雇した場合だけでなく、雇用契約終了後に退職金不支給に相当とするような懲戒事由が存在したことが判明した場合にも及ぶとし、退職金請求を棄却。
② アイビ・プロテック事件・東京地裁判決(平12.12.18)
 退職金の支払に関する合意が成立した後で、在職中の背信的な行状(顧客データの流失等)が発覚したとして退職金の支払を拒絶した事案で、その背信性次第では退職金請求が権利濫用に当たることもあるとし、退職金請求を棄却。
③ 他にファースト商事事件・東京地裁判決(昭48.1.29)など多数

 また、退職後の競業避止義務や秘密保持義務を定める就業規則やその旨の誓約書を根拠として上記義務違反を主張し、退職金の不支給・減額をしてくる場合もある。

敗訴判決の例
① 三晃社事件・最高裁判決(昭52.8.9)
  退職後一定期間内に同業他社への転職の場合は退職手当の2分の1のみ支給するとの就業規則の条項は、退職手当が功労報償的性格を合わせ有することに鑑みれば合理性があって有効と解釈し、退職手当残額の請求を棄却。
② 福岡県魚市場事件・福岡地裁久留米支部判決(昭56.2.23)
  営業課長が競業会社の設立に関与し、従業員の引き抜きをした行為は、会社に対して著しく背信的なものであるから、懲戒解雇事由に当たるとして懲戒解雇を有効とし退職金請求を棄却。

 取締役に選任されている労働者(使用人兼務取締役)の退職金請求については、労働者としての実態を巡って争いになりその立証を強いられることもある。

敗訴判決の例
① ジャパン・スイス・カンパニー事件・東京地裁判決(平8.3.26)
  会社の常勤取締役が原告ら2名に過ぎないこと、会社の設立・運営に積極的な役割を果たしたこと、原告ら取締役の役員報酬は自身で決定しておりかつかなり高額であったことなどから、退職金規定の「従業員」には該当しないとして退職金請求を棄却。
② 国際電信電話事件・東京地裁判決(平3.3.8)
  原告(前社長)が会社と雇用関係を持ち使用人としての給与を受けていた事実はないとして、使用人としての退職金を請求できる使用人兼務取締役ではないと判断し退職金請求を棄却。

 就業規則(賃金規定・退職金規定)を不利益に変更して賃金や退職金を切り下げた場合に、労働者が差額の支払を請求する訴訟では、不利益変更の合理性を巡って争いとなるが、その判断は同一事件でも審級により区々になることが多く、労働者は訴訟の見通しを立てえない。

敗訴判決の例
① 大曲市農協事件(合併に伴う退職金切下げ事件)
〈事案〉1973年8月1日に7農協が合併し、74年3月29日に新規程発表(73年8月1日に遡及して適用)。新規程により退職金減額。例えばAは、1172万円のところ178万円減
〈結果〉労働者側敗訴  秋田地裁大曲支部 1982.8.31
          勝訴  仙台高裁秋田支部 1984.11.28
          敗訴  最高裁      1988.2.16
② 羽後銀行事件(時間外賃金相当額請求事件)
〈事案〉1988年銀行法改訂による完全週休2日制移行につき、89年1月31日、平日10分、特定日60分の所定時間延長を就規変更。翌日実施。89年提訴
〈結果〉労働者側敗訴  秋田地裁     1992.7.24
          勝訴  仙台高裁秋田支部 1997.5.28
               29人4年分2