医師の「地域枠」制度の改善を求める意見書

2021/11/19

医師の「地域枠」制度の改善を求める意見書

 

2021年11月19日

日本労働弁護団 会長 井上 幸夫

 

1 「地域枠」制度の概要

医学部卒業後に特定の地域等で診療を行うことを条件とした医学部選抜枠(以下、「地域枠」という)が全国に広まっており、令和2年度の地域枠定員は1679人であった[1]。その目的は地域間での医師の偏在解消等にあるとされる。

地域枠は、都道府県が学生に対して奨学金を貸与する制度と一体となっている場合が多く、卒業後、都道府県の指定する区域で一定の年限従事することにより返還を免除されることになる。他方、当該都道府県外の病院に就職するなどして、当該都道府県指定の区域における指定年限の従事要件を満たさなくなる場合(以下、「離脱」という)には、貸与金を一括返済することが求められる上、各都道府県の制度によっては、遡って利息を付した返済が求められるなど、経済的な負担を背景に離脱が妨げられる仕組みとなっている。

また、厚労省としても、「県や大学に十分に確認することなく、県や大学が地域枠離脱を妥当と評価していない研修希望者を採用決定した臨床研修病院に対して、臨床研修部会でヒアリングを行った上で、規定に則り医師臨床研修費補助金の減額等を行う」こととしており[2]、事実上、離脱によって他地域で臨床研修を行うことは相当困難となっている。さらに厚労省は、専門研修について、専門医の認定と養成プログラムの評価・認定を統一的に行う機関である日本専門医機構に対して、「都道府県の同意を得ずに地域枠を離脱し、専門研修を開始した者については、原則、日本専門医機構の専門医の認定を行わないこと。認定する場合も、都道府県の了承を得ること」という要請を行い[3]、これに対して日本専門医機構は、2021年度の専門研修プログラムへ応募・登録した地域枠の専攻医について、都道府県の同意を得ないまま当該医師が地域枠として課せられた従事要件を履行せず専門研修を修了した場合、原則、当該医師を専門医として不認定とすることを決定している[4]。臨床研修は臨床医として不可欠のものである。また、専門医認定は、当該診療領域における標準的な医療を提供できる医師であること証明するものであり、今や医師としての基本的なキャリアとして位置づけられている。このように、国も、キャリア形成という側面から地域枠医師の離脱を制約している。

 

2 地域枠制度の問題点

かかる地域枠制度については、主に医師の退職の自由、ひいては居住移転の自由(移動の自由)及び職業選択の自由(憲法22条第1項)の観点から問題点が指摘されている。以下、令和3年度からの地域枠入学者から後述する違約金制度を導入した点で特徴的な、山梨県における地域枠制度を例にして地域枠制度の問題点を述べる。

(1)山梨県の地域枠制度の概要

山梨県における地域枠制度の概要は以下のとおりである。

ア 地域枠で入学した者は、山梨県知事との間で、入学時に医師修学資金貸与契約を締結する。特に山梨大学医学部の地域枠選抜は、第二種医師修学資金(月額13万円)の貸与を受けることが要件となっている。同契約において、離脱など「修学資金の貸与の目的を達成する見込みがなくなったと認められるとき」などには、翌月末日までに、臨床研修を開始した日から返還事由が生じた日までの日数に応じて年10%の利息を付して修学資金全額を返済しなければならない旨が定められている(山梨県医師修学資金及び医師研修資金貸与条例8条)。また、延滞利息は年14.5%である(同条例11条)。

他方、貸与期間の2分の5に相当する期間を経過するまでの間に、貸与期間の2分の3に相当する期間(第二種医師修学資金で貸与期間が6年間の場合、15年間のうち9年間)以上、県内の特定公立病院等[5]において医師の業務に従事するなどの要件を満たせば、貸与金の返還義務は免除される(同条例7条1項)。

イ 令和3年度以降に入学した学生については、医師国家試験に合格した後、上記の貸与金返還義務が免除される場合と同様、貸与期間の2分の5に相当する期間を経過するまでの間に、貸与期間の2分の3に相当する期間(第二種医師修学資金で貸与期間が6年間の場合、15年間のうち9年間)以上、県内の特定公立病院等において医師の業務に従事することなどを内容とする契約(以下、「キャリア形成プログラム契約」という)を締結することが予定されている。

同契約の中で、離脱など「キャリア形成プログラムを満了する見込みがなくなったと認められる場合」には、翌月末日までに違約金を一括で支払う義務が定められている。違約金の金額は同契約に沿う形で就業した日数に応じて減額されるが、最大で842万4000円となる(同契約4条)。

キャリア形成プログラム契約は、医師修学資金貸与契約とは別であるというのが山梨県としての建前だが、国家試験合格後にキャリア形成プログラム契約が拒否されることは想定されていないという[6]。したがって、医師修学資金貸与契約とキャリア形成プログラム契約は実質的には一体のものといえる(以下、これらの契約内容からなる制度全体を「本件制度」という)。

(2)本件制度の問題点

本件制度については、以下の問題点が指摘できる。

前述のとおり、貸与金、利息及び違約金の支払いから免れるには、最も典型的なパターン(第二種医師修学資金で貸与期間が6年間)の場合、15年間のうち9年間を県内の特定公立病院等において医師の業務に従事する必要があり、長期間の拘束であるといえる。

また、利息は年10%、違約金も最大で842万4000円であり、勤務期間に応じた元本の逓減措置もないため、貸与資金の元本(第二種医師修学資金で貸与期間が6年間の場合は936万円)と合わせると、非常に高額の支払義務が生じることとなる(山梨県の説明によれば最大で2340万円)。利息自体、他の奨学金制度と比較しても高率であるし[7]、そもそも違約金の設定は利息制限法が定める上限を超えている[8]。しかも、この全額を返還事由が生じた翌月末日までに一括で返済しなければならない。返済が遅れた場合、14.5%とやはり高率の遅延損害金を合わせて支払う必要がある。

かかる義務を免れる事由がいくつか定められているものの、死亡や重度心身障害といった非常に限られたものであり、例えば結婚や介護といった理由で離脱する場合にはかかる義務を免れることはできないとされている[9]

そもそも、これらの内容は大学入学時点において契約させられるところ、大学1年生の時点で上記の問題点も含めて本件制度を正確に理解できるかは甚だ疑問であるし、都道府県や大学から十分な説明がなされることも担保されていない(キャリア形成プログラム契約は医師国家試験に合格した後に締結するが、医師修学資金貸与契約を締結する時点で、将来キャリア形成プログラムの締結も強制されることになることは前述したとおりである)。

(3)本件制度が労働基準法16条の趣旨に反する不適切なものであること

上記の問題点からすると、本件制度は労働基準法16条の趣旨に反する不適切なものといえる。

労働基準法16条は、「使用者は、労働契約の不履行について違約金を定め、又は損害賠償額を予定する契約をしてはならない。」と定める。同条の趣旨は、使用者が交渉力格差を利用して労働契約に付随して違約金や損害賠償額の予定を定めることにより使用者が労働者の身分的拘束・足止めを図ろうとすることを禁止することにあるとされており[10]、退職の自由、ひいては職業選択の自由や居住移転の自由を保障するための規定であるといえる。

本件制度を含む山梨県における地域枠制度は、山梨県、山梨大学などの大学及び特定公立病院等が連携して構築している制度である。キャリア形成プログラム契約(山梨県知事と地域枠医師が締結当事者)においても、山梨県は地域枠医師に「キャリア形成プログラムの適用を受け、これを満了する」ことを義務づける(第3条)とともに、地域枠医師の配置計画を決定する立場にある(第2条)。すなわち、山梨県は採用や配置の決定権を有しており、実質的には山梨県と特定公立病院等が一体となって地域枠医師を特定公立病院等で就業させており、山梨県は「使用者」と同様の極めて強い立場にあるということができる。

また、本件制度は特定の病院における就業を義務づけるものではなく、複数ある県内の特定公立病院等において指定年限従事すればよいものではある。しかし、例えば結婚や介護等の理由によって県外への移住が必要な場合においては、そもそも県内の病院での就業が困難になるのであるから、退職することが直ちに貸与金等の支払いにつながることになる。また、前述のとおり地域枠医師の配置権限は山梨県にあるところ、そもそも本件制度において地域枠医師が退職する場合に他の特定公立病院等に移れることは保障されていないのであり、退職によって指定年限の従事ができず、貸与金等を支払わざるを得なくなることが十分に予想される。これらのことからしても本件制度は退職の自由を制限するものであるといえるが、いずれにしても「特定公立病院等」という範囲内での転職しか許されないのであるから、退職の自由の根拠である職業選択の自由や居住移転の自由を大きく制限するものであることは明白である。

本件制度による貸付が「将来、県内の特定公立病院等に医師として勤務する意思がある」者を対象としており、離脱の際には元本のみならず利息及び違約金を直ちに支払う義務を発生させていることは、県内の特定公立病院等で医師として勤務させ、容易に離脱させないことを目的とし、その効果が認められるものであるといえる[11]

そして、上記(2)で述べた、拘束期間の長さ、返済義務にかかる金額が高額であり、かつ一括返済を求められること、かかる義務を免れる要件が非常に限定されていること等からすれば、山梨県における利息及び違約金の設定を伴う貸付(本件制度)は、貸付金の返還義務が実質的に地域枠医師の退職の自由を不当に制限するものとして、労働契約の不履行に対する損害賠償額の予定であると評価できる。

よって、本件制度は労働基準法16条の趣旨に違反する不適切なものである。

 

3 医師の人権を制約しない方法で地域への定着を図るべきであること

ここまでは山梨県における地域枠制度を例にして問題点を指摘したが、他の都道府県の地域枠制度においても利息を含めて貸与資金の一括返済を求めることは一般的に行われており、地域枠医師に対して、離脱防止のために重大な経済的制約を課していることは同様である(ただし、山梨県においては、少なくとも他の都道府県にはないと思われる違約金の設定については早急に撤回すべきである)。

また、国としても、離脱防止のためにキャリア形成の側面から重大な制約を課していることは前述したとおりである。

憲法22条1項は「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。」として、居住移転の自由(移動の自由)及び職業選択の自由を保障しており、ここから退職の自由も保障されると解されている(労基法5条が不当な拘束による強制労働を禁止していることも参照)。山梨県の制度をはじめ、地域枠医師に対する制約はこれらの権利を過度に制約しているおそれがある。

各都道府県及び国においては、離脱者に対して課される不利益を強めることで地域の医師を確保するのではなく、根本的な問題である医師不足への対応を強化することを前提に、例えば適正な労働環境・労働条件を確保したり、各医師が望むキャリアを形成できるようなプログラムを整備すること等を通じて医師の定着を図るべきであり、間違っても、山梨県における違約金設定のような過度な制約がこれ以上波及することのないよう警告する。

[1] https://www.mhlw.go.jp/content/10800000/000683719.pdf

[2] 同上。

[3] https://www.mhlw.go.jp/content/10800000/000748479.pdf

[4] 日本専門医機構HP(https://jmsb.or.jp/senkoi/#an16

[5] 公立病院等のうち医師の確保が特に必要であるものとして「山梨県医師修学資金及び医師研修資金貸与条例施行規則」で定めるもの。

[6] 全日本医学生自治会連合の山梨県に対する公開質問状に対する回答書。https://www.igakuren.jp/topics/%e6%b4%bb%e5%8b%95%e5%a0%b1%e5%91%8a/750.html

[7] 例えば、独立行政法人日本学生支援機構が貸与する利息付奨学金(第二種奨学金)の利息はいずれの算出方式においても1%を下回る(平成27年度以降に貸与が終了した場合)。

[8] 元本が936万円の場合、利息制限法上、違約金の上限は年21.9%である。なお、この点に対して山梨県は、キャリア形成プログラム契約は医師修学資金貸与契約とは別物であり、利息制限法の適用対象となる「金銭を目的とする消費貸借」ではないとの見解を示している(前掲注6の回答書)。

[9] 前掲注6の回答書。

[10] 水町勇一郎『詳解労働法【第2版】』(2021年9月・東京大学出版会)265頁

[11] 労働基準法16条をめぐっては、事業主が労働者の留学や研修の費用を負担した場合に、当該労働者が一定期間勤務を継続しないときには同費用を返還させる取り決めが同条に違反しないかが問題となっており、主に当該留学や研修と業務との関連性の強弱を基準に判断されるものとされている。地域枠制度における貸付は、医師を養成するための貸付であり、医師としての業務との関連性が優に認められる。

以上