労働時間規制の緩和・裁量労働制の適用拡大に反対する声明

2022/7/21

労働時間規制の緩和・裁量労働制の適用拡大に反対する声明

2022年7月21日
日本労働弁護団幹事長 水野英樹

1 はじめに

 厚生労働省は、2021年6月25日に公表された裁量労働制に関する実態調査(以下「実態調査」という。)の結果を踏まえ、同年7月26日、「これからの労働時間制度に関する検討会」を設置し、裁量労働制の制度改革案、裁量労働制以外の労働時間制度の在り方について検討を進めてきた。

 そして、同検討会は、2022年7月15日、検討会における議論をとりまとめた「報告書」を公表した。

2 労働時間規制の緩和を進めるべきではない

 報告書では、少子高齢化や産業構造の変化、デジタル化による働き方の変化やコロナ禍等による労働者の意識変化が進む中で、働き方に対する労使のニーズもより一層多様化しており、こうしたニーズに対応できるような労働時間制度の整備が求められている、とされている(報告書2~4頁。以下同)。とりわけ、デジタル化の進展やテレワークの普及に伴い、従来型の実労働時間規制にはなじまない労働者が増加し、柔軟な働き方へのニーズが高まっていることが強調されている。今後、このような要請に応えるという形で、裁量労働制の適用拡大をはじめとする、労働時間規制の緩和に向けた議論が進められていく可能性が高い。

 しかし、労働基準法が実労働時間管理を前提とした労働時間規制を大原則としているのは、それが労働者の健康・生活時間を確保するために実効的であるからであり、これに対する例外は限定的でなければならない。働き方が多様化したとしても、労働者の健康・生活時間を確保する必要性は変わらないし、むしろテレワークのような働き方は私生活との境界が曖昧となり長時間労働となりやすいこと等を考えれば、労働時間規制の例外を安易に拡大することは認めるべきではない。

 このような理由から、日本労働弁護団は、裁量労働制の対象範囲拡大をはじめとする、労働時間規制の緩和を進める議論には、断固として反対する。

3 裁量労働制の適用を拡大すべきではない

 政府は、以前より、柔軟な働き方に対する労使のニーズを実現する制度として、裁量労働制の適用拡大の必要性を主張し、2018年の働き方改革関連法案では、企画業務型の対象業務の拡大が法案化された。同年の国会審議では、政府が裁量労働制を拡大する根拠としてきた統計調査の有意性・信頼性の問題点が指摘され、法案からは削除されるに至ったものの、その後、実態調査を経て、あらためて裁量労働制の制度見直しに向けた議論が進められており、裁量労働制の適用拡大を目指す方針が取られていることは明らかである。

 報告書も、実態調査の結果について、「裁量労働制の適用によって、労働時間が著しく長くなる、睡眠時間が短くなる、処遇が低くなる、健康状態が悪化するといった影響があるとはいえないという結果となった」「裁量労働制適用労働者は概ね、業務の遂行方法、時間配分等について裁量をもって働いており」「裁量労働制が適用されていることにも不満は少ない」などと評価した上で、「裁量労働制が、裁量をもって自律的・主体的に働くにふさわしい業務に従事する労働者に適切に適用され、制度の趣旨に沿った適正な運用が行われれば、労使双方にとってメリットのある働き方が実現できる」「こうした労使双方にとってメリットのある働き方が、より多くの企業・労働者で実現できるようにしていくことが求められる」と述べて、裁量労働制の積極的な活用を肯定している(12~15頁)。

 さらに、裁量労働制の対象業務の範囲について、「事業活動の中枢で働いているホワイトカラー労働者の業務の複合化等に対応するとともに、対象労働者の健康と能力や成果に応じた処遇の確保を図り、業務の遂行手段や時間配分等を労働者の裁量に委ねて労働者が自律的・主体的に働くことができるようにするという裁量労働制の趣旨に沿った制度の活用が進むようにすべきであり、こうした観点から、対象業務についても検討することが求められる」「対象業務の範囲については、前述したような経済社会の変化や、それに伴う働き方に対する労使のニーズの変化等も踏まえて、その必要に応じて検討することが適当である」と述べている(15~16頁)。

 このように、報告書では、裁量労働制について、対象業務の範囲の検討を含め、より利用しやすい制度に変えていくことの必要性が強調されている。

 しかし、裁量労働制は、実労働時間にかかわらず労働時間を一定の時間とみなす制度であり、実労働時間を規制して労働者の健康・生活時間の確保を図る労働基準法の大原則に対するあくまで例外の制度である。裁量労働制の適用対象業務が安易に拡大されるようなことがあれば、たとえ適法に要件を満たしていたとしても、実労働時間管理が行われなくなり、「みなし時間」の名の下で長時間労働を強いられるという危険性がある。既に現行の裁量労働制のもと、みなし時間と乖離した長時間労働を行っている例は少なくなく、このような危険性は現に存在している。さらに、裁量労働制は現状でも、要件を満たさない業務に適用されるなどの濫用事例は多数発生しており、対象業務が拡大されるようなことがあれば、このような濫用事例がさらに増えるだろう。そのため、裁量労働制の適用対象は、実労働時間規制を外すことの必要性・許容性が明確に認められる場合に限定される必要があり、かつ、適用の要件は厳格にチェックされる必要がある。

 実態調査においても、裁量労働制の適用労働者の方が、非適用労働者よりも1日の平均実労働時間数が長い、適用労働者の1割弱は1週間の労働時間の平均が60時間を超えている、といった結果が出ている。さらに、自己のみなし労働時間が分からないと回答した適用労働者は約4割もおり、業務の遂行方法や時間配分、出退勤時間について、労働者自身ではなく上司が決定しているという回答も少なからず見受けられた。このように、裁量労働制は、長時間労働・健康被害の危険をもたらす制度であり、本来の趣旨とは異なる濫用的な使われ方をされている実態があることは、実態調査の結果を見ても明らかである(このような実態の存在は報告書の中でも指摘されている)。

 また、実労働時間規制を前提としても、フレックスタイム制の活用等により、柔軟な働き方に対するニーズを満たしつつ、労働者が自律的・主体的に働くことは十分に可能である。濫用による弊害のおそれが大きい裁量労働制をあえて活用しなければならない必要性は認められない。

 裁量労働制の制度見直しの必要性があるとすれば、それは要件を満たさない労働者への違法な適用をはじめとする同制度の濫用による弊害を防止するための規制の強化や、対象業務の範囲の明確化・限定化にあるのであって、制度の適用を拡大する方向での議論を進めるべきではない。

4 裁量労働制の健康確保・濫用防止措置について

 報告書では、裁量労働制の下で働く労働者の健康確保や制度の濫用防止のために必要な措置を講じることの必要性についても言及されている。これらの措置を講じることはもとより重要であり、積極的に議論を進めていくべきである。

 もっとも、報告書で示されている方策では、労働者の健康確保や制度の濫用防止の実効性が十分に担保されているとは言いがたい。

 例えば、適正な制度運用を確保するための仕組みとしては、労使のコミュニケーションを促進し、労使委員会の活用や労使協議の実効性向上によって、制度の運用実態等を適切にチェックしていくという方向性が示されている。しかし、社内に労働組合が存在しない等、労使間の集団的コミュニケーションが十分に機能していない職場が多いのが本国の実状であり、制度の運用を労使自治に委ねるというだけでは、その濫用を防止する実効性には乏しい。そのような中で裁量労働制の適用が拡大されれば、さらなる労働者の健康被害を生み出す危険性が高いであろう。労使コミュニケーションの促進はもちろん重要であるが、それにとどまらず、濫用を防止するための規制を強化して、その実効性を確保することが必要不可欠である。

 また、健康確保措置については、「他制度との整合性を考慮してメニューを追加することや、複数の措置の適用を求めていくことが適当である」と言及されるにとどまっている。労働者の健康被害等を防止するという観点からは、現行の裁量労働制の適用労働者については、使用者による労働時間把握義務の強化や勤務間インターバル規制の導入義務化等が検討されるべきである。

 いずれにせよ、前記したとおり、フレックスタイム制の活用等、実労働時間規制の枠組で検討会のいう柔軟な働き方へのニーズに応えることは可能である。かかるニーズとの関係で必要性が乏しい上、濫用の弊害が現行制度のもとですら見過ごすことのできない状況にある裁量労働制の適用対象業務を拡大することを正当化するために、濫用防止策や健康確保措置について議論するということがあってはならない。あくまで現行制度を前提として、裁量労働制のもとで働く労働者を守るために濫用防止策・健康確保措置の議論がなされるべきである。

5 労働者代表不在の検討会の問題

 最後に、そもそも、労働時間制度のあり方など労働法制に関する重要なテーマについては、本来、労働者代表がメンバーに加わっている場において議論しなければならないテーマであり、労働者代表が検討会委員に加わっておらず公労使三者構成の取られていない検討会においてこのような議論を進めること自体、適切とはいえない。

 今後、労政審等で検討を進めるに当たっては、労働者代表が関与せず作成された今回の報告書の枠組みに縛られることなく、労働者側の意見も踏まえた議論を求める。

以上