経済法制と労働者の権利
2007/10/4
1 M&Aの現状
06年の日本企業関連のM&A件数は、2775件と史上最高を更新した。日本企業による外国企業の大型買収案件も増えており、例えば、JTがガラハーを2兆2000億円で、ソフトバンクがボーダーフォン日本法人を1兆9000億円で買収するなど大型投資案件が目立っている。
一方、外国企業の日本企業に対するM&Aも事業目的での買収の動きが活発化しており、日本企業に対するグローバルな買収の動きが今後も活発化することが予想されている。事業目的での外国企業による日本企業の買収案件は、増加傾向にある(第3回M&A研究会議事録参照)。
米投資ファンド、スティール・パートナーズによるブルドックソースの敵対的買収(TOB)は、ブルドックソース側の防衛策の是非をめぐり、司法の場で判断がなされ、注目を集めた。司法の場においては、ブルドックソース側の主張が認められ、スティール・パートナーズの買収劇は不発に終わった。
ライブドアの堀江社長の逮捕、村上ファンドの村上氏の逮捕によって、国内での敵対的買収の動きにはブレーキが掛かったといわれている。しかし、経済のグローバル化に伴い、今後も企業規模を問わず、国内外の買収案件の増加は不可避である。三角合併の解禁により、今後は、企業価値に勝る中国企業等のアジア企業からの「挑戦」も取りざたされている。
M&Aにおいて、具体的に最も深刻な影響を受けるのは、株主などではなく、被買収企業で働く労働者とその家族である。株主は、投下資本の価値の増減・回収可能性がもっぱらの関心事であるにすぎないが、そこで働く労働者はM&Aにあたって、雇用・労働条件の変更により、生活そのものがどのように変わるのかが問題となるからである。
ところが、経済法制においては、依然として、労働者は視野に入っていない。内閣府経済社会総合研究所に設置されたM&A研究会では、当初、会社法、証取法、税法に関する法的な検討がなされるのみであったが、06年にようやく、独禁法、倒産法制、労働法制が追加検討課題に加えられた。また、倒産法制の再編等に伴い、労働組合等の意見聴取等の手続きが定められている。少しずつではあるが、労働法制と経済法制の架橋がみられるようになってきた。
しかしながら、これらは、あくまで、労働者・労働組合の言い分を「聞き置く」という程度の関与を認める「アリバイ」的なものにすぎず、依然として、労働者は、単なる雇用・労働条件調整の客体としてしか捉えられていない(EU基準は、合意を目指した協議を義務づけており、ILOの「多国籍企業及び社会政策に関する原則の三者宣言」26項違反として、「結社の自由に関する特別手続」がとられた例もある。また、OECDも「国際投資と多国籍企業に関する宣言」、「多国籍企業ガイドライン」を定めている。連合は9月、ファンドに対する組合の対応指針をまとめ、説明・協議の充実を求めている)。労働者は、株主と異なり、経済法制上の法的な主体としての地位は認められておらず、あくまで、ステークホルダー(利害関係者)のごく一部という地位にとどまっている。
しかも、M&Aには、リストラがつきものであり、被買収企業の非効率を理由に、大胆な企業再編を正当化する議論が横行している(前記M&A研究会でも「事業再編・再生にかかわらず、M&A活動においては、一般的に雇用調整も行わざるをえない」とする)。そして、その受け皿たりえる人材市場の構築が急務であると説かれている。この考え方は、労働ビッグバンを標榜する経済財政諮問会議の構想と同じである。
スティール・パートナーズは、東京高裁の判決によって、濫用的買収者(グリーンメイラー)とされたが、M&Aが短期的な投機的利益を狙って行われることは当然予想されるところであり、むしろ、それなくしては、資本市場のグローバルな活性化などありえないというのが、新自由主義理論である。
多くの労働者・家族、地域の生活がいとも簡単にファンドによって破壊されうる時代が到来した。「企業は誰のものか」という議論が活発になされている。その一方で、企業の社会的責任(CSR)が強調されるようにもなった。資本の論理を突き詰めていけば、企業は株主のものという論理に近づく。しかし、そこでいう株主とは、一般の個人株主ではなく、対象企業を支配するに足る力を持った巨大資本のことを意味する。堀江氏が「株主の利益」を声高に主張するとき、自らが最大の大株主であることが巧みに覆い隠されている。
「企業は株主のもの」という一見もっともらしい議論は、突き詰めていけば、資本がすべてを支配する世界につながっていく。
しかし、企業は、税制・雇用・環境を含めた広い意味での社会的基盤(インフラ)の恩恵の下で活動しているのであり、環境破壊・交通事故・ワーキングプア等の「外部不経済」を公的な対策に押し付けて、社会の犠牲と負担のもとに繁栄を享受している。
その意味で、企業は株主だけのものでないことは明らかであり、免罪符としてのCSRなどではなく、法的な意味での企業の社会的責任の構築を厳しく追及しなければ、国民の生活は防衛できない差し迫った局面にあるといえよう。
2 新・信託法の成立
規制緩和の流れの中で、一連の経済法制の改革が進められてきた。商法改正、倒産法制の再編、新・会社法の施行(06.5)等により、「経営の自由度」を高める方向で、法制度が「整備」されてきた。合併、会社分割、営業譲渡、アウトソースに加えて、さらに簡便な企業再編のツールが新たに加わった。1922年の旧信託法制定以来の新しい信託法の制定である(06年12月成立。概要については、「新しい信託法の理論と実務」金融商事判例増刊№1261、「特集新しい信託法」ジュリスト№1335参照)。
今回の改正の目玉とされているのが、いわゆる「事業信託」と呼ばれるものである。法制度的にみれば、旧信託法においても債務引き受けを活用すれば、事業の信託自体は可能であった。新法において、事業信託が新たに可能とされたわけではない。しかし、新法では、明確に消極財産をも信託財産に含めることができる旨明示され、これによって、企業は事業信託という新たな企業再編のツールを手にしたといわれている。
事業信託は、例えば、企業の不採算部門やハイリスク部門を他企業等に信託することによって、経営効率を高めるなどの活用が期待されているとされる。これだけなら従前の営業譲渡と本質的には変わらない。
しかし、今回の信託法改正によって導入された限定責任信託をあわせ活用することによって、簡便なリストラツールとなりうる。限定責任信託は、受託者が自己の財産をすべて引き当てとする必要がなく、信託財産だけを債務の引き当てとすることを可能とする制度である。受託者にとってみれば、営業譲渡を受けるよりは、簡易でリスク回避が可能な手法となる。
さらに、今回の改正によって、自己信託が可能となった。自己信託とは、委託者が委託者自身を受託者とする信託である(国会の参考人意見陳述で「ライブドア事件で利用された投資事業組合に代わるハコを提供するだけ」とした公認会計士もいる)。事業信託の法認及び自己信託と限定責任信託の組み合わせにより、企業は不採算部門、ハイリスク部門の「社内隔離」が法的に可能となったといえる。
分社化の場合は、子会社はれっきとした別法人である。しかし、信託には法人格はない。転籍、出向といった労働法上の概念とは一見無縁の新たな事業分割(隔離)が可能となるのである。赤字部門や再編対象の部門を自己信託し、その部門の収益が悪化しても本体に影響を及ぼさない簡便な「社内隔離制度」が法的にも公認されたといえよう。
事業信託が行われた場合の労働条件の変更の問題が今後発生してくることは必須である。労働者の立場に立った法解釈及び法規制を検討する必要がある。
3 三角合併の解禁
「周回遅れ」と揶揄された三角合併が解禁され、07年5月1日から施行された。三角合併とは、会社の吸収合併を行う際に、存続会社の親会社の株式を対価として交付することによって行う合併である。合併の対価の「柔軟化」により実現されたものである。海外の企業が日本企業を買収する場合に、①親会社A社は、まず、日本国内に子会社B社を設立する、②A社はB社に対し、A社の株式を交付する。③B社が合併対象会社C社を吸収合併する、④その際、A社の株式をC社の株主に対価として交付し、C社は消滅する。C社の株主は、A社の株主となる、という手順が典型である。自社株を対価に用いることができるため、株式時価総額が大きい欧米企業にとっては、非常に有利な法改正となる。時価総額でみると、例えば、小売ではイトーヨーカ堂は、ウォルマートの1割に満たない。松下電器産業でさえ、ゼネラル・エレクトリックの1割程度にすぎない。金融機関でみても三菱東京フィナンシャルグループは、シティバンクの4分の1である。三角合併の解禁は、日本の経済界にとって脅威であると喧伝されているが、国際的な資本の選択的集中の被害を直接蒙るのは、日本の労働者である。三角合併が行われたからといって、ただちに労働条件の変更やリストラが法的に是認されるわけではないが、三角合併のメリットに対する障害として、日本の労働法制、特に解雇法制に対する欧米資本からの圧力が高まる危険性がある。労働ビッグバンを強行するための圧力が法改正によって後押しされることになろう。
4 動産担保の急増と電子登録債権法の成立
動産譲渡登記制度の施行(05年10月)に伴い、動産担保融資(アセット・ベースト・レンディング=ABL)が急増しており、06年度には153件(前年27件で約6倍)、131億円(前年の3倍弱)の融資が実行され、金融庁は自己資本比率規制を改正して(07年3月。従来の航空機等の他、適切は動産担保を不動産担保と同等に扱う)、その拡大を図っており、商社、銀行等はABL協会を6月に設立している(オリックスも参入した)。05年度の中小企業の保有資産は、土地17.4%に対し、在庫・機械設備は41.6%(不動産164兆円に対し、動産107兆円、売掛金201兆円)であり、不動産を有しない中小企業の資金調達法の拡大といわれる。
本年は、これに加えて電子的に債権を登録し、電子媒体を用いて指名債権(売掛金等)の流通の円滑化を図る電子登録債権法が成立した。手形が紙媒体として紛失・盗難のリスクがあり、しかも管理が大変だということから、ピーク時の9分の1まで利用が減っていることに対して、ITを利用した「電子手形」を法認し、中小企業等の資金調達に役立てようというものである。
電子登録債権を活用してのABLも議論されており、「終わらせる担保」から「生かす担保」へという担保概念の発想の転換を唱える向きもあるが、労働者にとっては、倒産時に労働債権に充てる資産が全くないという危険が増々拡大している。
5 倒産
05年度の法的整理による倒産(1,000万円以上)は、9.3%増の9572件、負債総額は8.6%減の5兆2500億円であり、負債5000万円未満の小規模倒産が22.8%増の4024件を占めた(帝国データバンク)。私的整理を含む倒産(同)は、1.2%増の13337件、負債総額は11.0%減の5兆4500億円であった(東京商工リサーチ)。中小零細の倒産も増え、増加基調が持続しており(帝国データバンクの07年1~6月調査では前年同期比16.6%増の5394件)、規模・地域・業種による二極化構造の深化が進んでいる。
以上