労働時間法制

2007/10/3

1 法案上程断念

 昨年(06年)の権利白書では、労働政策審議会労働条件分科会に厚生労働省が提出した「労働契約法制及び労働時間法制の在り方について(案)」に労使双方の委員が反発し、審議がストップし、9月11日に仕切り直しとして「労働契約法制及び労働時間法制の今後の検討について(案)」が提出された時点までを報告させていただいた。そして、「今秋以降、審議がどのような展開を見せるのか、本稿執筆の時点では不明である。」と書いた。

 その後の展開は、恐らく法案に反対する労働者サイドも導入を目論む経営サイドも、法案成立に執念を燃やす厚生労働省幹部も、政府与党も予想しなかったものに違いない。

 ホワイトカラーエグゼンプション導入については、労働者・労働組合・市民団体等から広範な反対の運動が巻き起こり、これにマスメディアが「残業代ゼロ法案」として報道を重ねるなかで、政府与党は、柳沢元厚生労働大臣の「女性は産む機械」発言もあり、07年7月に控えた参議院選挙への影響を恐れ、法案上程を断念するという異例の展開とたどった。

 圧倒的に与党優勢の当時の国会状況の中で、経済界が導入に執念を燃やしてきた労働時間規制の適用除外層の大幅な拡大に歯止めが掛かったことは、この間の労働者・市民の運動の歴史的な成果である。

 しかし、この時点では、法案上程断念はいわば「死んだふり」であり、参議院選挙の結果次第では、復活する可能性が十分にあった。参議院選挙の結果は、与党の惨敗であり、野党は一致して労働時間規制の緩和には反対の立場を貫いていることから、労働基準法抜本的改正による労働時間規制の緩和は、現在の政治状況の下では、実現困難な状況となっている。

 長時間労働の問題が何ら解消されないままに、労働時間規制の保護を撤廃しようとする日米経済界の目論見に対して、国民が厳しい判断を下した結果といえよう。

2 「自己管理型労働制」

 厚生労働省が労働政策審議会に提出した最後の法案である「自己管理型労働制」は、紆余曲折の末、できあがったものである。「自律的労働」の概念に批判が集中するや、法案から自律の文言を消去するなどして、ネーミングの変更が再三行われた末、自己管理型労働制とされた。しかし、その本質は労働時間規制の適用除外の野放図な拡大にあることは覆い隠せなかった。

 同制度は、以下のように、一定の要件を満たす労働者については、法定労働時間(労基法32条)、休憩(同34条)、時間外及び休日の労働(同36条)、時間外・休日・深夜労働の割増賃金(同37条)の規定を適用しないというものであり、この制度の対象となると、時間外労働、休日労働、深夜労働という概念そのものがなくなる。要するに、何時間労働させたかは、法の関知しないところとなる。

 年収要件以外は極めて曖昧な要件であり、休日確保をうたっているものの、わが国の労働者の働き方(働かせ方)自体が変わらない限り、ヤミ出勤がはびこるだけであり、対象労働者にとっては、長時間労働を助長するだけの制度となることは目に見えている。

 このような法案に多くの労働者・市民が反対したのは当然である。特に、対象労働者とはなりそうにないフリーターや青年労働者が反対の運動に積極的に関わった背景には、正規労働者の長時間労働の問題が、非正規労働者の労働条件と密接な関係があることを鋭く見抜いていたからである。

対象労働者の要件は、概要以下のとおりである。

手続的要件

 ①事業場に労使委員会が設置されていること。

 ②労使委員会が委員の5分の4以上の多数によって決議対象事項につき、決議すること。

 ③使用者が決議を行政官庁に届け出ること。

対象労働者

 ①労働時間では成果を適切に評価できない業務に従事する者

 ②業務上の重要な権限及び責任を相当程度伴う地位にある者

 ③業務遂行の手段及び時間配分の決定等に関し使用者が具体的な指示をしないこととする者

 ④年収が相当程度高い者

労使委員会の決議事項

 ①対象労働者の範囲

 ②賃金の決定、計算及び支払方法

 ③週休2日相当以上の休日の確保及びあらかじめ休日を特定すること

 ④労働時間の状況の把握及びそれに応じた健康・福祉確保措置の実施

 ⑤苦情処理措置の実施

 ⑥対象労働者の同意を得ること及び不同意に対する不利益取扱いをしないこと

 ⑦その他厚生省令で定める事項

 当面のところ、労働時間規制の「法的」な緩和の危険性はやや遠のいたかにみえる。しかし、この自己管理型労働制のような労働時間規制の緩和への動きは、繰り返し試みられるに違いない。経済界にとっては、成果主義や年俸制と親和的なエグゼンプションは、決して諦らめきれない制度だからである。

 舛添要一厚生労働相は、エグゼンプション制度について、「名前を『家庭だんらん法』にしろと言ってある」などと述べ、「残業代が出なければ、早く帰る動機付けになる」とこの制度の導入に向けて意欲を示した。舛添氏の発言は目新しいものではない。長時間労働の原因は「労働者のダラダラした働き方」と「残業代稼ぎ」にあるという認識であり、これが痛烈に批判されて法案上程断念に追い込まれたことをまるで理解していない。影響力のある人物だけに、今後の言動を注視する必要がある。

 労働ビッグバン構想の中には、労働政策審議会のような公労使3者による審議方式を廃止すべきであるという意見も露骨に出されている。秘密裏に法案を練り、世論の批判にさらされることなく速やかに立法化につなげるという非民主的な方式を実現させてはならない。

3 今後の労働時間法制についての課題

 (1)労働時間法制の問題は、単に適用除外拡大の動きが阻止できたからよいというものではない。現実に、多くの職場では不払残業、偽装管理監督者、偽装裁量労働制が蔓延しており、長時間労働により健康被害は一向に減っていない。

 JILPTが平成19年7月17日に公表した「経営環境の変化の下での人事戦略と勤労者生活に関する実態調査」によれば、正社員のうち長時間労働を行う者(週あたりの労働時間がおよそ60時間以上になる者)の割合は3年前と比べて、「増加している」が16. 5%、「変わらない」が47.6%であり、「減っている」は31.8%であった。依然として、過労死ラインを超えて働く労働者は減っていない。また、長時間労働が最も多い年齢層では、30代が56.3%と半数を超え、圧倒的に多い。

 企業に対するアンケート結果によれば、長時間労働が発生する要因については、「所定労働時間では対応できない仕事量」が47.6%でトップであり、「事業活動の繁閑の差が大きいため」(38.4%)、「突発的な業務がしばしば発生するから」(36.3%)が続いている。

 企業自身が仕事量の多さが長時間労働の要因であることを認めているのである。

 逆に、エグゼンプション導入の際に経済界が強調した長時間労働の原因である「組織又は個人の仕事の進め方に無駄が多いから」は、16.2%、「従業員が残業手当や休日手当を当てにしているから」は、13.2%にすぎない。

 業務量や突発的な仕事をこなしていくだけの人的体制が取れていないことが長時間労働の原因であることは、企業の認識でもあることがこの調査からわかる。

 (2)一方、従業員を対象にした調査で、仕事と生活の優先度については、現実には「仕事を優先している」と答えた従業員が63.8%と圧倒的に多く、「同じくらい」が19.7%であり、「生活を優先している」は、15.9%にすぎない。

 逆にこれからどちらを優先させたいかという希望については、生活優先が39.5%で、同じくらいが37.9%、仕事優先は22.1%にすぎなかった。

 多様な働き方がまことしやかに喧伝されているものの、現実には生活を犠牲にして仕事をしている労働者の姿が浮かび上がってくる。

 (3)サマータイム導入論が再浮上

 07年6月19日に閣議決定された「経済財政改革の基本方針2007」(骨太の方針)では、環境立国戦略として、「国民運動の一環として、サマータイムあるいはそれに準じた取組み(勤務・営業時間の繰上げ)の早期実施について検討する」とされている(37頁)。経済界からは、「洞爺湖サミットでサマータイムを導入していないのは日本だけ」などとして、早期の実現に力を入れている。

 しかし、サマータイム導入については、省エネ効果が期待できないこと、結局は残業時間が増える危険性の方が高いこと、日本の地理的条件からサマータイムによる「ゆとり」効果は期待できないことは当弁護団が指摘したとおりである(「サマータイム法案の法案上程に反対する意見」05年3月23日)。残業と睡眠不足が増えるだけに終るサマータイムの導入には、引き続き反対していかなければならない。

 (4)テレワークの普及を狙う

 骨太の方針では、平成22年までに「テレワーク人口倍増」の実現がうたわれている。

 07年5月にテレワーク推進に関する関係省庁連絡会議が決定した「テレワーク人口倍増アクションプラン」では、テレワークを「情報通信技術を活用した場所と時間にとらわれない柔軟な働き方」と定義し、ワーク・ライフ・バランスを可能とし、多様は就労機会や起業・再チャレンジ機会を創出するものとされている。

 テレワークが通勤困難者や育児期の親、介護者、障害者、高齢者等の就業対策として一定の有効性を持つことは否定しない。しかし、テレワークが、ワーク・ライブ・バランスどころか、かえって長時間労働につながる危険性があることには注意しておく必要がある。

 在宅勤務の場合、生活空間と職場とが渾然一体となっていることを理由に、厳格な労働時間管理がなされない可能性が高い。長時間・不払残業が、単に会社から自宅に移され、より一層見えなくなっていく危険性がある。

 また、モバイル型勤務についても、通信機器の高度な発達により、事実上、会社からの厳格な管理を受けつつ、顧客ニーズの名のもとに、24時間拘束型の勤務を強いられる労働者がすでに出現している。会社や顧客から時間を問わず、連絡を受けなければならない状態(常に「オン」の状態)で働くことが当たり前になるようでは、仕事と生活の調和に逆行する。

 企業が、労働者を「社外」に出すだけで、事実上、労働時間規制の緩和がなされてしまう可能性がある。テレワークの実情について調査するとともに、必要な法規制のあり方を検討することが重要である。

 (5)仕事と生活の調和は、官民挙げてのスローガンであるが、現状のままでは実現性に乏しい。使用者、労働者の意識を変えることの重要性が説かれているが、意識の問題としてとらえる限り、この問題は解決しない。

 長時間労働の解消は、労働者の心身の健康や家庭生活を保全するばかりでなく、少子化対策、失業対策、環境対策としても有効であり、生産性の向上をも生む。JILPTの企業調査でも、仕事と生活の調和を図る制度の効果として、就業意欲の向上や有能な人材確保の効果が期待できるとする企業が約8割にのぼっている。

 当面必要な労働時間政策は、現行労基法を日本の隅々まで徹底する政策の採用である。

 例えば、36協定の締結と遵守の徹底、違法な管理監督者としての処遇を禁止する施策である。そして、業務量や責任を法で直接規制しえないとすれば、労働時間制度が遵守されるような実効ある法的措置として、労働時間の上限規制、完全週休2日制の法定、休息時間(勤務間隔時間)の導入などの法規制が急務である。

以上