労働時間法制

2005/10/3

1 エグゼンプション「導入」の動き

(1)正面場迎える労働時間法制改悪の動き

 戦後労働時間法制にとって、今年(2005年)から来年にかけて、非常に重要な時期を迎える。政府・経済界は、ホワイトカラー労働者層の多くを労働時間法の保護の枠外におく、適用除外層の大幅な拡大を目論み、具体的な法案作り向けた動きが急を告げている。労基法の法定労働時間、休憩、休日、深夜労働規制の保護をとっぱらい、使用者に対する労働時間管理義務を免除し、人件費の増加を伴うことなく、ホワイトカラー労働者を際限なく働かせても労基法上何らの制約(罰則、労基署の指導)がなくなるような制度を創ろうというのである。

 その根拠として、ホワイトカラー労働者の働き方と意識の多様化を挙げ、「自律的な働き方」をする労働者の「労働時間の規制にとらわれずに働きたい」というニーズに応える必要があると強調している。

(2)「ホワイトカラー・エグゼンプション」は単なるコストカットの正当化

 政府・財界は、アメリカの「ホワイトカラー・エグゼンプション制度」を参考にするべきであると従来から主張してきた。あたかも、アメリカの制度がグローバルスタンダードであるかのように描き出し、やる気のある優秀な労働者が能力を発揮できるための進んだ制度であるかのように印象付けを試みている。

 しかし、アメリカの制度には、自律的な労働者に能力を発揮させようなどという法目的はない。もともと、アメリカの公正労働基準法(FLSA)は、労働者の保護を目的とした法律ではなく、企業間競争の「公正」(Fairness)を確保する目的の法律であり、労働時間を直接規制するものではない。労働時間を直接規制するドイツ型のわが国の労基法とは、法構造、法理念が異なる。従って、当然適用除外の考え方も異なるのである。ホワイトカラーエグゼンプションは、公正労働基準法(FLSA)上の適用除外規定であるが、詳細は労働長官が作成する規則に委ねられ、2004年8月にブッシュ政権の下、経済界の要請に沿って規則が改正されたばかりである。

 その内容をみると、合理性があるとはとてもいえないような制度である。まさに、単なるコストカットの制度であって、労働者のニーズとは何の関係もなく、規則改正にあたっては、広範な労働者が反対に立ち上がり、大統領選の争点の一つにもなった。

 改正規則では、例えば、バーガーキングの副店長(管理職とされる)、保険会社のアジャスターなど、わが国ではおよそ適用除外とされ得ない人たちが、割増賃金の支払い対象から合法的に除かれている。

 1999年の統計では、全労働者の21%がエグゼンプトとされており、しかも制度を悪用した違法なエグゼンプトのケースも多発して多くの集団訴訟が起きている(堀浩介「ホワイトカラー・イグゼンプション制度」、小川英郎「アメリカにおける不払残業集団訴訟の実情」、日本労働弁護団訪米調査団「訪米調査インタヴュー集」本誌260号)。

政府・財界の議論は、こうしたアメリカの制度の実態を伝えない極めて不誠実かつ無責任な議論であり、労基法にエグゼンプトを持込むのは木に竹を接ぐものである(なお、ドイツでは、適用除外の対象労働者は2%にすぎないが、これを拡大すべきであるという議論はまったくない。鴨田哲郎「ドイツの労働時間法と適用除外」本誌260号)。

(3)労働時間の規制改革の流れ

 90年代半ばより、エグゼンプションを指摘する動きはあったが、2002年7月に政府の総合規制改革会議が「中間取りまとめ」の中で、「米国のホワイトカラー・エグゼンプションの制度も参考にしつつ」「裁量制の高い業務については労働時間規制の適用除外を採用することについて検討すべきである。」と提言し、これを受けて、2003年12月の労働政策審議会建議で、わが国の労働時間法制について、「アメリカのホワイトカラー・イグゼンプション等についてさらに実態を調査した上で、今後検討することが適当である」とされた。

 2004年6月に厚生労働省の「仕事と生活の調和に関する検討会議」の報告は、「自主的な労働時間管理等について」として、一定層の労働者に対して「希望」すれば自主的な労働時間管理を可能とする新たな仕組みの導入を認める方向性を打ち出した。ここでは、「労働者の個別同意」を要件に持ち込み、「働きたい人は、何時間働いてもいいじゃないか」という一見するともっともらしい議論であるが、労働時間規制が公的な規制であることを忘れている。働きたい人が何時間も働くことは、本人が結果として健康を損ねたり、家族生活が営めなくなるだけでなく、他の労働者を長時間労働の競争に巻き込むことになり、社会全体としては容認しえないのである。労基法には、労働者間の公正な競争という理念もあるのである。

 同報告は、イギリスが採用するオプト・アウトの制度を念頭に置いたものと思われる。イギリスでは、EC労働時間指令を国内法化するにあたって、週48時間労働制を受け入れつつ、本人の個別同意でこれをはずすことができる「オプト・アウト」制度を採用し、約3割の労働者がこれに同意させられた。この「事実上の強制された同意」の存在が問題とされ、EU内では非難の的となっている(詳しくは、菅俊治「イギリスにおける労働時間法の適用除外」本誌260号)

 さらに、「今後の労働契約法制の在り方に関する研究会」の報告書(2005年9月)は、「仮に労働者の創造的・専門的能力を発揮できる自律的な働き方に対応した労働時間法制の見直しを行うとすれば、実質的に対等な立場で自主的に決定できることを担保する労働契約法が不可欠」と指摘している。

 政府の「規制改革・民間開放推進3か年計画」が2005年3月に閣議決定され、その中で「2004年8月に改正規則が施行されたアメリカのホワイトカラーエグゼンプション制度を参考にしつつ、現行裁量労働制の適用対象業務を含め、ホワイトカラーの従事する業務のうち、裁量性の高いものについては、改正後の労働基準法の裁量労働制の施行状況踏まえ、専門業務型裁量労働制の導入が新たに認められた大学教員を含め、労働者の健康に配慮する措置等を講ずる中で、労働時間規制の適用を除外することを検討する。また、その際、管理監督者等を対象とした現行の適用除外制度についても、新たに深夜業に関する規制の適用除外の当否も含め、併せて検討を行う。」とされた。この閣議決定を受けて、2005年4月には、「今後の労働時間制度に関する研究会」(座長諏訪康雄法政大学大学院教授)が発足し、2005年12月には報告書を取りまとめるとされている。労働時間法制の抜本的変更を伴う重大な課題であるにしては、わずか半年余りで一定の結論を出そうというのであるから、労働時間規制撤廃という結論ありきの感が否めない。

 また、こうした動きと呼応して、日本経団連が、本年6月、「ホワイトカラーエグゼンプションに関する提言」を発表、アメリカのエグゼンプション制度を模倣した体裁をとりつつ、労使協定等で適用除外の範囲を自在に決定できるという国際的にみても類を見ない大胆な制度を志向している。この労使協定、労使委員会決議によって重要な労働条件の決定を認めていこうという方向性は、前記「労働契約法制の在り方研」の中間とりまとめでも打ち出されており、労使対等の基盤がまったくなく、36協定さえ形骸化している多くの労働現場に、見せ掛けの労使自治を持ち込み、労働時間法という公的規制すら自在にかつ合法的に潜脱できるようにしようとするものである(なお、日本経団連は、05年規制改革要望において1年変形制、企画型裁量労働制の規制緩和、深夜割増賃金の廃止等、労働時間に関し、8項目の要求を掲げている)。

2 日本経団連「提言」の概要

(1)根拠

  現時点では、労働時間研究会の報告は出ていないが、基本認識は経団連と一致しており、経団連の提言に対する批判は非常に重要である。

 提言は労働時間法の規制撤廃の根拠として、ホワイトカラー労働の「自律性」を挙げる。

① ホワイトカラー労働は、「考えること」が重要な仕事であり、「労働時間」と「非労働時間」の境界が曖昧である。

② ホワイトカラーの労働は、仕事の成果と労働時間の長さが必ずしも合致しない。

③ ホワイトカラー労働者の中には、「労働時間にとらわれず、納得のいく仕事、満足にいく仕事をしたい、自由に自分の能力を発揮したい、仕事を通じて自己実現したい」と考える者もいる。このような労働者に適合した労働時間制度を構築しなければならない。

④ 労基法はホワイトカラー労働に適合しない。

(2)内容

① 「提言」は、現行制度の小手先の修正ではなく、この際、抜本的な改革が必要であるとして、一定の要件を満たすホワイトカラー労働者について、労働基準法の労働時間、休憩、休日、深夜業に関する規制をすべて撤廃することを求めている。

② エグゼンプションの要件

  1. 専門業務型裁量労働制対象労働者
    現在の専門業務型裁量労働制が適用される労働者は、そのまま、深夜業も含めて適用除外とすべきであるとする(年収要件不要)。
  2. 法定の裁量労働者
    それ以外に「裁量的業務であって法令で定めた業務」も適用除外とする(年収要件不要)。適用除外とするためには「提言」の立場でも、「自律性」「裁量制」が要求されるはずであろうから、この「法令で定めた業務」には、現行の企画業務型裁量労働制の対象となる労働者やそれ以外の専門的・技術的労働者(法務、提案型営業など)及びその周辺の労働者が念頭におかれているものと考えられる。
  3. 企業内での決定
    さらに、「労使協定の締結又は労使委員会の決議による場合には、対象業務を追加することができるものとする」とする。要するに、労働時間法の適用除外という公法的規制を企業内の私的自治に委ねることができるようにするというのである。そして、ここにアメリカの制度を倣って、年収基準を導入し、年収400万円以上700万円未満(又は全労働者の平均給与所得以上、上位20%未満)の層については、労使委員会の決議、700万円以上(上位20%以上)については、労使協定の締結を手続要件とする。つまり、平均所得を得ている労働者であれば、誰でも労使委員会決議によって、適用除外とされ得るということになる(「提言も」年収額についてはあくまで例示であると断っているが、実際に400万という数字を発表したことから、いかに広範な普通のサラリーマンを対象に考えているかが明らかになったといえる)。

3 『提言』批判

(1)労働現場の実態を無視

 「提言」の描く「自律的な」労働者は、仕事が好きでたまらず、自己実現のために、長時間労働もいとわず、残業代請求など思ってもみない生産性の高い労働者ということであろう(このような労働者の多くは、実は過労死や精神疾患に陥り易い「過剰適用タイプ」である。「会社のためにいい仕事をしたい」というサラリーマンの善意と意欲が、結果として健康被害の悲劇につながることが多い)。

 圧倒的大多数の労働者は「自律的」ではない。多くの労働者は、仕事のやりがいがあるから、面白くて長時間労働をしているというわけでは決してない。長時間労働の原因は、「職務上の要請・圧力」、要するに仕事が多く、大変だということにすぎない(山崎喜比古「ホワイトカラーにみる疲労・ストレスの増大とライフスタイル 日本労働研究雑誌№389」)。

 また、「やる気のある」エリート層、専門職労働者といえども、人生は長く、浮沈がある。一時期、我を忘れて仕事に没頭することがあるとしても、異動、病気、結婚、出産、転職、解雇などによって状況は変わっていく。生涯を通じて自律的な働き方ができる労働者などごくごく一握りであろう。どのような労働者にとっても人間らしく働くことのできる生理的限界として、また家庭生活や社会生活を営める時間の確保の要請から、1日8時間労働制が歴史的に確立されてきたのであり、「働きたい人は思いっきり働けばよい」という考え方は、労働時間規制の公的規制の側面を無視した議論である。

(2)ホワイトカラー労働者の実情

 JILPTが2005年3月に発表した「日本の長時間労働・不払い労働時間の実体と実証分析」(3000人の労働者に対するアンケート)によれば、月間50時間以上の超過労働を行う人の割合は、21.3%にのぼり、超過労働を行う理由として、「そもそも所定労働時間内では片付かない仕事量だから」が6割を占めて最も多く、「自分の仕事をきちんと仕上げたいから」を上回っている。特に、月間50時間以上の超過勤務をしている「超長時間労働」層では、超過労働の理由として、「仕事量が多い」との回答が8割を占め、逆に「仕事をきちんと仕上げたい」は3割に過ぎない。

 健康面では、「1日の仕事でぐったりと疲れて、退社後は何もやる気になれない」人は、4割以上にのぼり、「今のような調子で仕事を続けたら、健康を害するのではないかと思う」人も6割近い。超長時間労働層では、79.6%が労働時間を「もっと短くしたい」と答えており、月間50時間の超過労働をしている労働者は、労働時間が長すぎると考えている。この割合は、50時間未満層でも、43.3%に上っている。労働時間短縮は、労働者の基本的な要求であり、「量的なものも含め労働時間規制にとらわれない働き方を希望する者」(仕事と生活の調査検討会報告)は、実際にはほとんどいない。

 このように、『提言』や「仕事と生活の調和検討会報告」が描くような「長時間労働を辞さず、ばりばりと仕事をしたい」という労働者は例外的な存在にすぎず、法改正を根拠付ける「ニーズ」があるとは到底いえない。「ニーズ」は経済界にだけ存在する。

(3)「自律」とは何か

 自律的な働き方をキーワードに、労働時間にとらわれない働き方を可能とする制度が必要とされているが、そもそも自律的な働き方という言葉の定義すら、十分になされないまま議論が進められている(時間研においても荒木委員は、「いま裁量労働でいちばん問題だと言われているのは、やり方は個人にゆだねるにしても、非常に過大な業務量を課している。いくら時間配分が自由でも長時間働かざるを得ない点だ」と指摘し、研究会のヒアリングでJAMの小山氏は「専門業務型であっても研究開発の部門でも納期があるわけです。」「なおかつ、この間コスト問題が厳しく言われる中で、人員が非常に限定される」「そうすると、仕事の量についてのコントロールができない。仕事の量に対する裁量がないわけです。」と話している)。リストラの進展による労働者1人当たりの業務量がますます増加するなかで、裁量なき裁量的労働者が増えているのが現状である。

 自律性を理由に労働時間規制を撤廃するべきであるという議論には、「では、業務量をどうやってコントロールするのか」という視点がない。ホワイトカラー労働のような非定型労働では、労働時間規制以外に業務量を有効に規制する方法はない。

 適用除外が、ごく例外的な経営幹部と一体となった労働者だけに適用されるという現行法は、その意味で十分合理的であり、ドイツやフランスも経営幹部層だけに限定している。裁量労働制やフレックス制等、労働時間の弾力化が進められている現行法制をさらに緩和して、適用除外という例外制度を拡大する必要性はない。

(4)「考える」ことが重要だから、労働時間規制に適合しないのか

 長時間労働者は、そもそも所定労働時間では終わらない業務量を与えられているのであり、休憩時間にも仕事をしていたり、自宅に持ち帰っている者も多いのである。仕事が頭から離れないで、自宅や通勤途上で仕事のことを考えていることも多い。

 これをとらえて、労働時間と非労働時間が曖昧と評すとしても、だから労働時間規制が不要とは、到底ならない。

(5)仕事の成果と労働時間の長さが一致しないから、適用除外とすべきか

 Aさんが8時間でできる仕事にBさんは10時間かかる。とすれば、Aの8時間賃金とBの10時間賃金(割増を含む)を同一にすればいいだけの話である。これこそ成果主義賃金であろう。

 また、この論理は、本来、法定労働時間内で仕事をさせなければならないという大前提を無視した議論である。

(6)労使協定による適用除外設定は論外

 「提言」は、労使協定あるいは労使委員会の決議によって、適用除外とできる範囲を決められるようにすることを提言している。たとえ、民主的・理想的な労働者代表制度が構築されるとしても、公序たる適用除外の範囲の決定を私的自治に委ねることは許されない。これは労基法の基本的性格の転換である。

(7)深夜業は規制されるべき

 「提言」は、管理監督者(41条2号)とエグゼンプションの対象労働者について、24時間経済の中で深夜割増賃金という規制はなくすべきであるとする(さらに、規制改革要望では、その全廃を主張している)。しかし、深夜業が人間の生活リズムに反し、健康に悪影響を及ぼすことは医学的にも証明されており、また、深夜業は労働者の家庭生活に深刻な影響を及ぼす。

 24時間社会を規制して、人間らしい労働時間規制の実現こそ重要である。

4 今後の取組みについて

 適用除外拡大の動きについては、取組みが急であるにもかかわらず、いまだ、労働者の間にこの問題が十分に知られているとはとても言えないような状況である。また、関心を持つ者でも「残業代がなくなる」「サービス残業が合法化される」とのレベルでしかとらえていない者も多い。

この問題の本質(公序たる、直接規制の労基法の基本的性格を転換するもの)を広範な労働者・労働組合に伝えるとともに、国会対策・マスコミ対策などを含め、力強い運動を盛り上げていかなければならない(なお、「時間研」宛意見書(本誌262号)参照)。

(担当 小川英郎)

以 上