労働時間法検討にあたっての意見

2005/9/30

 

労働時間法検討にあたっての意見
― 労働時間規制を放棄する適用除外拡大に反対する ―

今後の労働時間制度に関する研究会
座長 諏訪康雄 殿

2005年9月30日

日本労働弁護団     
幹事長 鴨 田 哲 郎

1 はじめに

 貴研究会は、「弾力的な働き方を可能とする労働時間規制のあり方」、「年次有給休暇の取得促進」、「所定外労働の抑制」を中心的な検討事項として、本年4月に発足し、わずか半年後の12月には報告をまとめる方向で討議を重ねられている。研究会の開催要項は、「経済社会の構造変化により、労働者の就業意識の変化、働き方の多様化が進展し、成果等が必ずしも労働時間の長短に比例しない性格の業務を行う労働者が増加する中で労働者が創造的・専門的能力を発揮できる自律的な働き方への更なる対応が求められるなど、労働時間制度全般に係る検討を行うことが必要となっている。」「特に、労働時間規制の適用除外については、平成16年の裁量労働制の改正に係る施行状況を把握するとともにアメリカのホワイトカラー・エグゼンプション等について実態を調査した上で検討することが求められている状況にある。」としているが、かかる現状認識と対応の方向性は、日本経団連の主張(「ホワイトカラーエグゼンプションに関する提言」及び「規制改革要望」〔いずれも05年6月〕〕と基本的に一致している。
 しかし、労働時間問題は後記のとおり、労働時間のみならず、1人1人の労働者・生活者の日々の生活全体に直接影響するものであり、さらに今日の日本の労働者の働き方・働かされ方の実状からすれば、文字通り、「労働時間制度全般に係る」抜本的な検討が必要であることは異論のないところであるにも拘らず、研究会の方向は初めから「弾力的な働き方を可能とする」制度=適用除外の対象拡大とその弊害を緩和するための年休促進・残業抑制に限定されており、しかも極めて短期間で結論をまとめるという進行からは、いわば初めに結論ありきの危惧を免れない。
 当弁護団は、貴研究会が、現状を正しく認識し、これを改善するために必要な「労働時間制度全般」の抜本的検討を行うよう強く要請し、その検討に資するべく、労働時間制度全般にかかる検討の方向を提起すると共に、適用除外対象者の拡大には強く反対であるのでその理由を意見として述べるものである。

2 労働時間規制の意義と労働時間規制の基本的視点

  1. 労働時間は非労働時間を規定する
     1日は24時間であり、1年は365日である。労働者にとって、労働時間の量(長さ)及び質(肉体的・精神的労働密度)は、非労働時間(生理的必要時間と自己の時間)の量と質を規定する。これは労働時間問題を考えるうえでの不可欠の大前提である。従って、労働時間制度のあり方を検討するにあたっては、「働き方」の面からだけの検討では不十分なのであって、人間らしく生活ができ、労働時間と個人時間(個人、家庭、地域、様々なレベルの社会とのかかわりの保障)のバランスがとれた、望ましい「生き方」の面―それは社会全体のあり方にも深くかかわる―からも十分な検討がなされなければならない。
  2. 長さの規制は最低限の任務
     労働時間規制の意義は歴史的にみて、第1に、労働の肉体的・生理的限界による心身の疲労の回復にある。これは労働時間規制がなすべき最低限の任務である。しかし、このような観点からの労働時間規制の意義は今日でも決して失われていない。
     過労死・過労自殺は増加の一途を辿っているが、過労死・過労自殺の基本的原因が長時間労働による慢性的疲労蓄積にあることは改めて指摘するまでもない。このことは、労働時間の長短が過労死・過労自殺の労災認定のもっとも重要な判定基準の一つとされていることからも明らかである。
     労働時間の長さの制限は、労働時間規制のもっとも重要な柱であり、この規制をはずしたり、緩めたりすれば、長時間労働を引き起こすことは必至であることがまずもって確認される必要がある。そして、法規制を考える場合、業務量を規制することはほとんど不可能であるから、時間規制が唯一の有効な法的手段であることも確認されねばならない。
     労基法の労働時間規制は、変形労働時間制、裁量労働制の導入によって柔軟化・弾力化されてきたが、それでも労働時間の外枠規制(長さ規制)の基本的枠組みを残している。
     今日成果主義賃金の導入によって、労働の成果を問う人事・労務管理が拡がっているが、これは成果を生み出すため、また様々なレベルの競争に勝つための長時間労働化、さらには無限定な労働への契機をもつのみならず、一定時間内の労働密度の強化を必然的に伴う。いまや労働時間は量的に過重性への傾向を一段と強める事態となっている。このような成果主義による労働者間の競争の激化、さらには、IT化による労働態様の変化(今日パソコンによって通勤や退勤途上あるいは家庭にあっても容易に業務ができるいわば24時間労働が可能な状況にあるー「モバイル残業」の恒常化)は、労働時間をより長くする傾向を生み出しているのである。
     多くの労働者を過労死予備軍としているともいえる現在の労働時間の実態認識を踏まえて、労働時間法制のあり方が検討されなければならない。
  3. 人間らしい生活の確保
     また、今日においては、労働時間規制は心身の疲労回復という点だけではなく、より広く労働者の家族生活との関係、社会的・文化的活動への参加、より人間らしい生活を確保するという視点からも検討されなければならない。
     豊か(それが実感できないだけ)といわれる21世紀の我々にとって、人間らしい生活内容とは何か、その実現方策が具体的に実効あるものとして検討されねばならない。
     既に、職業生活と家庭生活の調和は重要な労働政策の柱と位置付けられており、また、例えば、転勤の権利濫用性をめぐる判断において、家庭生活への配慮義務が強調される判例が増えつつある(明治図書出版事件・東京地裁平14.12.27労判861号、ネスレジャパンホールディング事件・神戸地裁姫路支部平17.5.9労判895号等)。
     労働時間規制のあり方に関して、「自律的な働き方に対応した労働時間法制の見直し」の必要性ということが言われるが、ここでいう「働き方」には家庭生活や社会生活と両立した「働き方」という視点(ワークライフバランス)がみられない。
     労働時間法制のあり方については、家庭生活、社会生活への影響も十分に考慮すべきであり、労働時間管理のあり方の視点からのみ、これを検討するのは、今日労働時間法制に求められる家族的・社会的視野を欠落させるものとの批判を受けなければならない。
  4. 少子化対策の中核
     さらに、労働時間のあり方は、今日重大な問題となっているわが国における人口減少・少子高齢化社会における労働政策のあり方とも密接に関連する。
     非婚率の増大・出生率の低下は人口減少・少子高齢化を加速させているが、長時間労働もその要因のひとつとして指摘しうるであろう。例えば、子育て世代である30~40代男性労働者の4人に1人は週60時間以上労働しており、父親の帰宅時間は21時以降が46.8%で19時前は13.3%にすぎず(都福祉局)、その結果、平日の妻の育児時間3時間に対し、夫のそれは25分(社会生活基本調査01年)、平日の家事育児時間は妻5時間42分に対し、夫のそれは1時間36分(第一生命04年10月調査)である。
     個別企業にとっては労働時間規制を緩め、選択可能な労働時間のメニューの拡大は歓迎すべきことかもしれないが、労働時間のあり方については、社会政策あるいは労働政策の視点から妥当性・整合性が検証されなければならない。
     少子高齢化社会への対応が重要な政策課題(次世代育成支援対策推進法の施行による子育て支援策、さらには男女共同参画社会化など)とされながら男性の育休取得率は0.56%(国家公務員でも0.9%)にすぎない今日、さらなる規制緩和による長時間労働の容認は、少子高齢化対策と整合性を欠き、これからのわが国社会のあり方を長期的・巨視的に展望した場合に妥当な政策であるかはきわめて疑問である。また、子育て支援対策は企業に職業政策と子育ての両立を可能とする施策を求めることなしに実現困難であり、仕事と子育ての両立支援は、「新しい労働条件」といえるのであって、このような「新しい労働条件」の設定は企業の社会的責任(CSR)でもある。
  5. 24時間社会の見直し
     労働時間のあり方は社会全体のあり方と深くかかわる。例えば、24時間営業のコンビニエンスストアやファミリーレストランを例にとれば、まず、店舗の従業員たる労働者が(シフト勤務やアルバイトの多用があるとはいえ)長時間かつ深夜労働をなし、商品・食材を輸送する労働者が24時間労働を求められ、さらに、食品(おにぎり、調理パン、弁当など)を製造する労働者が深夜・24時間労働を強いられる。個別企業の労働(営業)時間は当該企業のみならず関連企業・業界の労働時間に連関するのである。
     グローバルな取引等のための24時間化のみならず、サービス業の24時間化、営業時間の延長は顕著である。コンビニが24時間開いていれば便利かもしれないが、その営業を支える販売、物流、製造の労働時間とエネルギー消費は到底無視しえないものである。
     24時間社会に対応するよう労働者を働かせる企業の論理は利益と効率のみの追求である。
     しかし、エネルギー問題や地球環境・温暖化問題等もふまえ、これが21世紀の我々と子孫にとって「人間らしい生活」「人間らしい労働」なのであろうか。
     一度立ち止まり、人間、労働、幸福等について考え、時間制度のあり方を抜本的に検討すべきである。
  6. まとめ
     労働時間の望ましいあり方については、わが国における労働時間の実情と労働現場の実態を認識し、「ゆとりある社会」「人間らしい労働」の実現という基本的視点から、検討されなければならない。
     具体的には、1日及び1年の実労働時間の上限規制、完全週休2日制の法制化、休日労働の規制強化、36協定の強化、勤務間隔時間の導入、閉店法・日曜営業法の導入、年休付与日数の増加と連続取得の保障、年休付与義務の強化などが誠実かつ真剣に論議されるべきである。

3 労働者の現状

 日本労働弁護団は、全国約1400名の弁護士で組織する法律家団体であり、年2回の全国一斉電話相談等、労働者のための相談・調査活動や訴訟等の活動を行っている。特に近年は、長時間労働、不払残業、過労死・過労自殺、職場における精神疾患等の相談が増えており、労働時間にかかわる労働者の状況が悪化している。ILOの調査(2000年時点)によれば、週に50時間以上働く労働者の割合は、日本が28.1%と最も多い(欧州で最も長時間労働とされるイギリスでも15.5%にすぎない。オランダはわずか1.4%である)。ILOが「50時間」を基準として調査したことの意味は深く受止められねばならない。今日、週50時間労働はグローバルスタンダードに反するのである。日本では、30代から40代の中堅男性労働者で週60時間以上働く者が23%も存在する。また、欧州では25~30日の付与に対してほぼ完全に取得される有給休暇については、付与日数18.0日に対し、取得率は年々低下を続け、47.4%(2003年)と過去最低を記録している。
 2004年の定期監督等における違反状況は、労働時間(法32、40条)2万9454件、割増賃金(法37条)2万299件にのぼり、申告件数は賃金不払1万8060件、労働時間321件であるが、送検数は32条違反36件、37条違反37件にすぎない(監督業務実施状況)。不払い残業解消のため、厚生労働省が04年11月23日の「勤労感謝の日」に初めて実施した無料電話相談でも、「残業手当など一切支払いがない」という労働者からの訴えが442件あり、相談全体の31%を占めた。厚労省は「依然、不払い残業が多い実態が分かる。今回得た労働者からの情報を労働基準監督署に連絡し、監督、指導を強めていきたい」との談話を発表している。また、この相談では、不払いになっている月当たりの残業時間では「100時間以上」が144件あり、相談件数982件の15%を占めるなど超長時間労働が少なからず存在していることも明らかにされている。
 2004年度の脳・心臓疾患に係る労災認定件数は、死亡に至らないものを含めて294件、うち死亡150件と高水準を維持しており、職場における精神疾患は、死亡に至らない自殺未遂例を含めると130件、うち死亡に至った過労自殺は45件といずれも過去最高を更新し続けている。労働時間規制のさらなる緩和は、労働時間法の最低の任務である労働者の健康保護すら果たせず、労働者の健康状況をさらに悪化させることは確実である。
 日本経団連は、05年度規制改革要望において、1年変形制における規制緩和、企画型裁量労働制における規制緩和、深夜割増賃金の廃止等、労働時間にかかわり8項目の要求を掲げているが、いずれも企業の負担軽減の視点からだけの要望であって、バランスのとれた働き方の確保という視点を全く欠くものであって、容認しえない。

4 適用除外のあり方

 貴研究会の最大のテーマとされている適用除外の対象者について、具体的内容に入る前に、基本的な視点を指摘する。
 労働時間規制は、様々な意義・目的を有するものであるが、今日、その法体系は、直接労働時間の長さを規制するヨーロッパ型(ドイツ型と呼んでもよい)と労働時間の長さの直接規制は行わないアメリカの制度に大きく分かれ、日本の制度(労基法)はヨーロッパ型である(荒木尚志「労働時間の法構造」)。両者の本質的な違いは、ヨーロッパ型は一定時間以上の労働を原則として禁止するのに対し、アメリカの制度は何時間でも働かせられる(但し、残業に対しては割増賃金の支払いを要す)、換言すれば、金さえ払えばいくらでも働かせうる制度である。この違いは、法の目的に由来する違いであり、従って当然のことながら、適用除外者の範囲を定めるにあたっても、基本的な考え方が違う。ヨーロッパ型は労働者保護が目的であるから法の保護を外しても心配ない者だけが対象となるのに対し、アメリカ制度は公正競争の確保が目的であるから、収入要件などを加味しつつも広範な者が対象となる。
 ヨーロッパ型である日本の労基法における適用除外者の範囲を検討するにあたり、アメリカ制度(FLSAが定めるエグゼンプション制度)を参考にすることは、まさに木に竹を継ぐものであり、また、裏返せば、日本の労基法の基本的な性格を転換するものである。貴研究会が転換の方向で検討しているとすれば、その論拠が十二分に示されねばならない。
 ヨーロッパの主要国であるドイツやフランスにおける適用除外者の範囲は労基法の管理監督者(41条2号)とほぼパラレルであり、EC時間指令の考え方も(オプトアウトを認める点を除けば)同様である。適用除外とされる労働者の割合もいずれも数%にすぎない(日本の部長は3.8%、ドイツは2%)(JIL「諸外国のホワイトカラー労働者に係る労働時間法制に関する調査研究」(05年4月)等)。そして、ヨーロッパでは適用除外者の範囲を拡大すべしとの意見は使用者側からも全く出されていない。
 これに対し、アメリカはFLSA(公正労働基準法)7条に基づく連邦労働省規則(CFR)を04年8月に改訂したところであり、その評価・効果については若干の争いがあるところではあるが、適用除外とされる労働者の割合が20~25%に上ることは統計上明らかである(99年調査で21%、96年調査で25.9%)。しかも、我々の調査等(「季刊労働者の権利」260号掲載の各論文、連合「アメリカホワイトカラー・イグゼンプション調査団報告書」)によれば、改正規則の下においては、日本ではおよそ適用除外の対象とは考えられない労働者が広範に適用除外とされている。例えば、ファーストフードの副店長(管理職とされる)、保険会社の損害査定員、プロジェクトのチームリーダー(裁量があるとされる)、自動車教習所の教官、保育士を含む教師、研修医を含む医師、看護士、歯科衛生士、シェフ、葬祭ディレクター、死体防腐処理係、アスレチックトレーナー(専門職であるとされる)などであり、しかも制度を悪用した違法なエグゼンプトのケースも多発して多くの集団訴訟が起きている。

5 ホワイトカラー労働者の労働時間規制の必要

 日本経団連は、2005年6月に「ホワイトカラーエグゼンプションに関する提言」を発表したが、そこで主張されるエグゼンプション導入の根拠とされる事実認識は、貴研究会設置の前提認識と共通と思料されるので、両者(以下、単に「導入論」という)を念頭に置きつつ、以下、意見を述べる。

  1. 「導入論」の根拠 ホワイトカラー労働の特殊性―自律性
    「導入論」のキーワードは自律性である。
     さらに、
    (1) ホワイトカラー労働は、「考えること」が重要な仕事であり、職場にいる時間だけ仕事をしているわけではない。自宅や通勤途上でも仕事のことに思いをめぐらせることは珍しいことではない。逆に、オフィスにいてもいつも仕事をしているとは限らない。つまり、「労働時間」と「非労働時間」の境界が曖昧である。
    (2) ホワイトカラーの労働には、仕事の成果と労働時間の長さが必ずしも合致しないという特質がある。したがって、ホワイトカラーの労働に対しては、労働時間の長さ(量)ではなく、役割・成果に応じて処遇を行っていく方が合理的である。
    (3) ホワイトカラー労働者の中には、「労働時間にとらわれず、納得のいく仕事、満足のいく仕事をしたい、自由に自分の能力を発揮したい、仕事を通じて自己実現したい」と考える者もいる。労基法は、「生活のためだけに働きたい、仕事よりも自分の趣味や家庭団欒に重点をおきたい、したがって決められた時間以上は働きたくないと考える者」のための制度であり、前者のような労働者に適合した労働時間制度を構築しなければならない。現行の各種弾力的制度では不十分であり、また、管理監督者(41条2号)の範囲は狭すぎる。
    (4) 労基法(1947年・昭和22年制定)は工場内の定型作業に従事する者等には適合する、あるいは、そのような労働者を前提とした規定であるが、現在のホワイトカラーの就業実態には合致しない。  そして、最終的な結論として、上記制度の小手先の修正ではなく、この際、抜本的な改革が必要であるとして、一定の要件を満たすホワイトカラー労働者について、労働基準法の労働時間、休憩、休日、深夜業に関する規制をすべて撤廃することを提案している。
  2. 「導入論」に根拠なし
    (1) 労働現場の実態―働かされ方の実状
     圧倒的大多数の労働者は、自己の裁量を発揮して「自律的に」働いているわけではない。ここで「自律的」とは、8時間労働を基準として、今日は12時間も働いたから明日は午後から出ようとか、プロジェクトの仕上げで1週間がんばったから2~3週間休暇を取ろうという働き方が誰の気がねもなく、自己の判断だけで可能な働き方と、我々は理解する。企業内で裁量的な労働とみられている労働者も、その実態を見れば、過酷な業務量と厳格な納期に追われ、長時間労働に追われて家庭生活もままならないのである。「自律的な働き方」をする労働者が増えており、そのような労働者は、「労働時間にとらわれない働き方を望んでいる」という主張は、何ら実証されているものではない。
     多くの労働者は、仕事のやりがいがあるから、面白くて長時間労働をしているというわけでは決してない。長時間労働の原因は、「職務上の要請・圧力」、要するに業務量が多く、これを処理するのが大変だということにすぎない(山崎喜比古「ホワイトカラーにみる疲労・ストレスの増大とライフスタイル」日本労働研究雑誌№389」)。「日本の長時間労働・不払い労働時間の実体と実証分析」(JILPT・2005年3月)によれば、月間50時間以上の超過労働を行う人の割合は、21・3%にのぼり、超過労働を行う理由として、「そもそも所定労働時間内では片付かない仕事量だから」が6割を占めて最も多く、「自分の仕事をきちんと仕上げたいから」を上回っている。特に、月間50時間以上の超過勤務(ちなみに、厚労省が36協定の上限時間として定める「基準時間」は45時間)をしている「超長時間労働」層では、超過労働の理由として、「仕事量が多い」との回答が8割を占め、逆に「仕事をきちんと仕上げたい」は3割に過ぎない。一見自律的と思われる「過剰適用タイプ」(業績を上げ会社のために尽力し認められたいと考える層)でも、業務量が多いことが超過労働の理由のトップで、62%となっている。あるいは、典型的な裁量ある労働の1つと考えられるプロジェクトマネージャーのアンケート(日経コンピュータ05年7月11日号「プロマネ残酷物語」)によれば、「職務を遂行する上で十分な権限を与えられている」者はわずか14.2%にすぎず、PMO(プロジェクト・マネジメント・オフィス)の導入により、「余計な仕事が増えた」「PMOへの提出書類を作るだけでかなり時間をとられ、成果物の確認など(本来)の仕事は、深夜や休日」、その結果、雑用に追われ、何でも屋(便利屋)を要求され、しかも「『(プロジェクトが)成功して当り前』で、失敗したらすぐにマイナス評価」であって、徹夜・休日出勤は当り前(例えば、年末年始を含め年に10日足らずしか休めず、平日は早くても終電、週2日は深夜3時まで)。要するに、「責任ばかりで権限なし」、しかも十分な報酬とはいえない(73.3%)待遇であることは周囲の一致するところであり、若手のプロマネ志望者はわずか9.1%にすぎない(「優秀な先輩ほど、見切りをつけて転向していく」)のが実状である。かかる実状は「裁量」がある「創造的・専門的」業務とされる労働現場では共通の事象である。
     長時間労働は、労働者の自発性、やる気によって生じているのではなく、業務量が多いことから発生していることは明白である。
     さらに、JILPTアンケートの健康面では、「1日の仕事でぐったりと疲れて、退社後は何もやる気になれない」人は、4割以上にのぼり、「今のような調子で仕事を続けたら、健康を害するのではないかと思う」人も6割近い(JILPT「人口減少社会における人事戦略と職業意識調査(04年)」によれば、週平均労働時間が50時間を超える層では、「体力的疲労を感じる」者が約30%以上、「精神的ストレスを感じる」者が約70%以上に上る)。超長時間労働層では、79.6%が労働時間を「もっと短くしたい」と答えており、月間50時間の超過労働をしている労働者は、労働時間が長すぎると考えている。この割合は、50時間未満層でも、43.3%に上っている。労働時間短縮は、労働者の基本的な要求であり、「量的なものも含め労働時間規制にとらわれない働き方を希望する者」(仕事と生活の調和検討会報告)は、実際にはほとんどいない。
     超過労働時間が長いのは、若年、大卒、専門職グループであり、女性の場合は、医療・教育関係、男性の場合は、研究開発・設計・SEなどの技術系専門職が中心である。これはいずれも「考えることが重要な」ホワイトカラー層である(なお、「裁量労働制・みなし労働」の場合、「みなし時間」を超えて働いている常態にあるため、勤務時間制度中、もっとも不払労働が多い)。
     企業に対する調査でも、長時間労働による健康被害を懸念する声は高まっている。東京労働局の2004年の調査によれば、「1か月に100時間又は2~6ヶ月に平均80時間を超える時間外・休日労働を行ったか、又は今後このような長時間労働を行う可能性がある」とする企業は、54%にのぼり、「過重労働による脳・心臓疾患の発症が懸念される」「過重労働による精神疾患の発症が懸念される」と答えた企業も、それぞれ35%となり、3社に1社が健康被害を懸念しているという状況にある。
     このように、「長時間労働を辞さず、ばりばりと仕事をしたい」という労働者は例外的な存在にすぎず、「創造的・専門的能力を発揮できる自律的な働き方」を可能とするための法改正等の「ニーズ」が労働者にあるとは到底いえない。「ニーズ」は経済界にだけ存在する。そのニーズは、労働時間管理義務(行政の介入)からの解放であり、不払労働の合法化と人件費の抑制にすぎない。
     また、仮に自律的で何時間でも働きたいという労働者がいたとしても、このような例外的労働者の存在を根拠に、他の労働者まで巻き込むような全体としての規制緩和をすることは許されない。労基法は、労働者が人たるに値する生活をすることを確保するための公的規制なのであり、一部の「仕事人間」のために全体の規制を緩和してはならない。
    (2) 労働時間のあいまいさの結果
     「導入論」は、ホワイトカラーは、「考えること」が一つの重要な仕事であるとして、「思いをめぐらせる」時間があるから、知的労働層にとって、「労働時間」と「非労働時間」の境界が曖昧であるとする。この境界が曖昧という根拠として、自宅で思いをめぐらせることがある反面、オフィスでも思いをめぐらせずにぼんやりしている時間があるという。しかし、だからといって労働時間規制を外す論拠には到底ならない。むしろ、自宅でも仕事が頭から離れないという状況は、労働からの解放がないことを意味し、このような状況が極度のストレスを生んでいる。前記JILPT調査でも、「会社を離れても仕事のことが頭を離れず、気持ちが仕事から解放されない」労働者は、製造関連を除き、月間60時間以上の超過労働者では60%を超えている。
     多くのホワイトカラー労働者が、職場を離れても仕事のことが頭を離れず、それが原因で、精神疾患を罹患したり、過労自殺に至る例が多い。そもそも知的労働層に対して過重な負過を掛けすぎているからこそ、自宅でも仕事のことが頭を離れないのである。かかる過重な負過を掛けるような働かせ方こそ、早急に見直されなければならない。
     トヨタ自動車の過労自殺事件(名古屋高裁平成15年7月8日)は、トヨタ自動車のシャーシー設計係長が過労からうつ病を発症して自殺し、行政訴訟において過労死として認められた事案である。被災者は、昭和63年6月頃から早朝覚醒が始まり、7月には、鉛筆とメモ用紙を枕元において就寝し、夜中に起きて浮かんだアイデアや問題点をメモしていた。夏休み期間中も書類を自宅に持ち帰って仕事をしていた。同年1 2月には、「もうトヨタについていけない。仕事をやる時間がない。トヨタを辞めたい」と漏らすようになり、ついにはマンションから飛び降り自殺をしたものである。
     名古屋高裁は、「自動車製造における日本のトップ企業において、内容が高度で専門的であり、かつ、生産効率を重視した会社の方針に基づき高い労働密度の業務であると認められる中で、いわゆる会社人間として仕事優先の生活をして、第1係長という中間管理職として恒常的に時間外労働を行ってきた実情を踏まえて判断する必要がある」と述べ、自殺と業務の因果関係を認めている。
    (3) 「自律性」の欠如
     自律的な働き方をキーワードに、労働時間にとらわれない働き方を可能とする制度が必要だとされているが、そもそも自律的な働き方という言葉の定義すら、十分になされていない。我々が考える自律とは、前記のとおりである。あいまいで、ムードにすぎない自律的な働き方への要請から、早急に法改正が必要という「導入論」は、大多数の国民にとって実感を欠く、説得力の無いものである。その本質は企業の国際競争力の強化のためのコストカットにすぎず、労働者の健康や家庭を犠牲にしてでも無限定な長時間労働を安く行わしめることを正当化・合法化しようという方向性が見える。
     前記JILPT報告にも明らかなように、わが国の長時間労働は、業務量が多いことが原因で発生しており、リストラの進展により労働者1人当たりの業務量がますます増加するなかで、裁量なき裁量的労働者が増えているのが現状である。企画型裁量労働において「指針」(平成11年12月27日労告149号)が危惧したとおり、「労働者から時間配分の決定に関する裁量が事実上失われ」ているのである。日本労働弁護団に寄せられる電話相談でも、裁量労働者からの長時間労働の相談は非常に多い。
     自律性を理由に労働時間規制を撤廃するべきであるという議論には、「では、業務量をどうやってコントロールするのか」という視点がない。仕事の質だけでなく、量に対しても自律性がないままに規制だけを撤廃すれば、長時間労働による健康被害の問題が深刻化することは明白である。労働時間法は、労働時間を規制することによって、業務量を規制する方法なのであり、労働者の健康や家庭生活を守るための極めて基本的で重要な法規制である。これなくして労働者は、安心して働き、社会生活に参加し、家庭を築き、子どもを産み育てていくことはできない。労働時間規制のさらなる緩和・撤廃は、単に労働者の健康・生活を破壊するにとどまらず、わが国の社会を根本から破壊していく危険性が高い。
     特に、ホワイトカラー労働のような非定型労働では、労働時間を規制する以外に業務量を有効に規制する方法はない。適用除外が、ごく例外的な経営幹部と一体となった労働者だけに適用されるという現行法は、その意味で十分合理的であり、ドイツやフランスも経営幹部層だけに限定している。裁量労働制やフレックス制等、労働時間の弾力化が進められている現行法制をさらに緩和して、適用除外という例外制度を拡大する必要性はない。
    (4) 仕事の成果と労働時間の長さが一致しないから、適用除外とすべきか
     「導入論」は、2つ目の指摘として、ホワイトカラー労働は仕事の成果と労働時間の長さが必ずしも合致しないとし、労働時間の長さではなく、役割・成果に応じて処遇を行っていく方が合理的であるとする。しかし、仕事の成果と労働時間の長さが一致しないからといって、なぜ、労働時間規制をはずさなければならないのか。Aさんが8時間でできる仕事をBさんは10時間かかるとしよう。「導入論」は、Bさんは2時間分の残業手当を稼げるので不公平だというのであろう。
     しかし、Aさんの8時間賃金とBさんの10時間賃金(割増手当を含む)を同一に設定すればよいだけの話であって、それこそが今、流行の成果主義賃金であろう。「導入論」は明らかに誤りであり、法定労働時間・割増賃金制度に「ぬれぎぬ」をきせるものである。さらに、できるAさんは昇格・昇進等を含めた処遇で報えばよいのである。
     また、この論理は、本来、法定労働時間内で仕事をさせなければならないという大前提を無視した議論である。すべての労働者が原則として法定労働時間で仕事をするのであれば、残業代が稼げるから不公平などという議論はそもそも成り立たない。
    (5) 弾力的な働き方は現行法で十分に可能
     「導入論」は、3つ目の指摘として、時間にとらわれずに働ける制度の構築が必要という。ここでいう「時間にとらわれずに働ける制度」とは、「導入論」の全体の文脈から理解するに、必要なときは集中して法定労働時間以上働き、その代わりに、まとめて休めるような制度を意味するものと思われる。
     このような制度の構築は現行法で十分に可能である。
     現行法は原則としての労働時間の上限には一定の規制を置くが、休ませることについては何の規制もない。まとめて休む、あるいは長時間労働の翌日は短時間勤務を認めるという制度は、企業において、自由に設計しうるのである(現に、深夜労働の翌日は午後出勤とするといったような制度は、各社で工夫され、規定化されている。また、例えば、ゲームソフトの制作者などは、システム完成直前は徹夜が続くが、完成後は1か月位の休みがとれるといわれる)。
     であるとすれば、問題は集中して働くときの割増賃金だけである。
     しかし、日本の割増賃金が極めて低額であることはつとに指摘されるところである。まず、基礎賃金となる部分が少ない。次いで、割増率は「先進国、途上国問わず、通常50%、休日100%」(海外労働白書)であるにも拘らず、25%、35%にすぎない。この率は、追加採用と同じ負担とするには69.3%(500人以上規模では82.9%、100~499人規模で71.6%、30~99規模でも61.5%)が必要なのであって(平成4年版労働白書)、経済大国日本が泣くというものである。
     わずかな割増賃金すら削るために、適用除外を拡大する等は、国際的な責任に照らしても、許されない。
    (6) 労基法はホワイトカラーも対象に制定された
     「導入論」の4つ目の指摘は、労基法は古く、ホワイトカラーを前提としてない、あるいはもはや適合しないというものである。
     しかし、労基法制定にあたっての昭和21年の論議において、当初「事務的労働従事者」(戦前の職工分離を前提に、「職員」全般を指すもの)を適用除外とする案が提起されたが、労使双方の意見により、現行法(管理監督者)となったのであり(学会誌95号)、「導入論」は立法経過を無視するものである。なお、立法にあたり、相当に意識されたILO条約においても既に1930年(昭和5年)に30号(商業・事務所労働時間)条約が採択され、1日8時間・1週48時間を原則とし、1条3項(C)において、各国の権限ある機関は「管理の地位を占むる者又は機密事務に使用せらるる者」を適用除外「することを得」とされていたのである。
    (7) 労使協定による適用除外設定は論外
     「導入論」は、適用除外の範囲の決定を労使協定あるいは労使委員会の決議に委ねる意向である(日経連提言、小嶌典明「適用除外の拡大必要」(日経05.6.30)など)しかし、これは公序たるべき労働時間法の適用除外の範囲を、私的自治に任せるものであって、暴挙であり、労働時間法の基本的性格を転換するものである。「導入論」が手本とするアメリカ制度ですら、適用除外の範囲は連邦労働省が定める規則(CFR)で特定・限定されているのであって、私的自治は容認していない。労使協定等の労働者側代表制度がいかに民主的、理想的に構築されようとも、適用除外の範囲を企業内での自由な決定に委ねるべきではない。それは、文字通り、労働時間法の解体である。
     しかも、現行の(さらには、労働契約法制在り方研報告が提起する「労使委員会」をふまえても)労使協定等が全く規制力を発揮していないことは明白な事実である。
     全労働省労働組合が現場の監督官1147名や労働者に対して行ったアンケート調査によれば、労働者の半数近くが36協定が締結されているかどうかすら知らず、締結していることを知っている労働者でも36%が労働者代表が誰かについては「選任にかかわっていないので知らない」と回答している。
     JILPT調査「労働条件の設定・変更と人事処遇に関する実態調査」(2005年5月)では、就業規則の改定にあたって、過半数代表の意見を聴いたと回答した企業に対して、その選任方法について尋ねたところ、選挙はわずかに16.9%であり、しかも無記名投票はそのうちの53%にすぎない。社員会や親睦会等の代表者が自動的になる企業が17%に及び、事業主が指名も13%と、完全に労基則違反の選出が3割もあった。完全に民主的な選出をしている企業は、8%程度にすぎないことが示されている。かかる状況からすれば、「選挙」における候補者の選定にも事業主の意向が相当に反映しているとみるべきである。

6 深夜業も規制されるべきである

 日経連は、管理監督者(41条2号)はもとより、深夜割増賃金の規定(37条3項)自体の削除を主張している(規制改革要望26項)。
 しかし、深夜業が人間の生活リズムに反し、健康に悪影響を及ぼすことは医学的にも証明されており、また、深夜業は労働者の家庭生活に深刻な影響を及ぼす。ILO171号(夜業)条約や日本産業衛生学会交代勤務委員会「夜勤・交代勤務に関する意見書」(78年)等に基づき、割増賃金だけの問題ではなく、深夜労働・交代制勤務それ自体の規制が検討・強化されねばならない。
 24時間社会が無規制に進行する今こそ、人間らしい労働と生活のために実効ある規制の実現こそ重要である。

7 年休と残業規制

 貴研究会では、年休取得促進及び所定外労働の抑制も中心課題に挙げられている。しかし、この間の建議(平14.12.6「今後の労働条件に係る制度の在り方について」、平16.12.17「今後の労働時間対策について」)に照らせば、有意で実効ある立法が提起されるとは考え難い。前者は、年休に関し「計画的年休付与・取得の普及促進策の実施」を建議したのみであり、所定外労働に関しては36協定の特別延長時間協定に関し「『特別な事情』とは臨時的なものに限ることを明確に」と建議したのみ(その旨、告示が改訂された)である(なお、これらに対する当弁護団02.12.9付意見書参照)。また、後者は「引続き検討」とするだけで、逆にこれにより時短促進法の「廃止」・1800時間目標の廃止が決定されたのであって、明らかに、時短の取組みの後退である(05.3.8付「『時短』の旗を降ろす時短促進法改正に反対する意見書」参照)。しかも、立法ではない、政策提起をもって健康確保措置(日経連エグゼンプション提言における「労働者の健康への配慮措置」)が採られ、適用除外の拡大等によっても、労働者の保護に欠けるところはないと強弁しようとする意図が透けてみえるところである。
 年休及び所定外労働については、これまでも、長時間労働の主たる要因として、様々にその改善が論じられてきており、詳論はしないが、労働時間制度全般の検討をなすべき貴研究会においては、少なくとも以下の点を真剣に検討すべきである。

  1. 年休に関し、ILO132号条約を批准しうる法改正を直ちに行うとともに、EC時間指令及びヨーロッパの実情に照らし、遜色のない制度を目指すこと
  2. 所定外労働(残業及び休日出勤)に関し、(1) 現行「基準時間」を労基法上の上限時間として法定し、特別協定制度は廃止する、(2) 休日労働の上限日数を法定する、(3) 割増率を国際水準に見合うものとする、(4) 36協定の労側当事者制度(過半数代表制度)を抜本的に見直すこと

以 上