社会保険労務士法改正に対する意見

2005/3/10

 

社会保険労務士法改正に対する意見

2005年3月10日
日本労働弁護団
幹事長  鴨 田 哲 郎

 

意見の趣旨

 

1.ADR代理権の拡大について
(1) 男女雇用機会均等法に基づき都道府県労働局が行う調停につき、特定社会保険労務士に代理権を付与すべきではない。
(2) いわゆる民間認証ADR機関が行うADRにつき、特定社会保険労務士に代理権を付与するにあたっては、弁護士との共同受任を条件とすべきである。
なお、仮に、特定社会保険労務士に単独代理権を訴額60万円以下の紛争について認めるとしても、労働契約の存否及びその終了にかかる紛争は除外すべきである。
(3) 特定社会保険労務士の認定にあたっては、法律実務家としての資質、能力が十分に担保されるよう、ことに民法、民訴法、労働法及び民事訴訟実務についての十分な研修を義務付けたうえ、独立した判定機関による厳格な試験を実施すべきである。

 

2.争議介入禁止規定の削除について
 
労働争議介入禁止規定(法23条、同2条1項3号かっこ書き)は、削除すべきではない。

 

意見の理由

 

1.法案の骨子
 
政府は、ADR法を受けて今国会に社会保険労務士法(以下、法という)の改正法案(以下、法案という)を提出した。その骨子は、社会保険労務士(以下、社労士という)に、紛争解決手続代理業務試験の合格を条件として(以下、合格し付記を受けた者を特定社労士という)、ADR代理権を大幅に付与すること及び特定社労士か否かを問わず、労働争議介入禁止規定を削除することとされている。
  前者については、(1)現在認められている都道府県労働局におけるあっせんについての事務代理権を、相手方との交渉、和解の権限を含む通常の代理権に拡大する(その限りにおいて弁護士法72条に抵触するものとしない)。(2)現在認められていない①都道府県労働委員会における個別労働関係紛争についてのあっせん及び②都道府県労働局における男女雇用機会均等法上の調停につき、(1)と同様の代理権を新たに付与する。(3)今後認定されるいわゆる民間認証ADRにおける代理権を新たに付与する。但し、紛争の価格が60万円を超える場合には弁護士との共同受任を条件とするとされている。

 

2.個別労働関係紛争の増加
 
90年代に入って以降、様々な要因によって個別労働関係紛争が増加しており、これを適切に解決する機関の設置とその機関における手続をサポートする法律実務家が求められ、01年には個別労働紛争解決促進法が制定され、都道府県労働局・紛争調整委員会におけるあっせん及び労働局長による助言、指導の制度が発足し、また、順次、都道府県労働委員会においても個別労働紛争に関するあっせん制度が設置され、都道府県における任意のあっせん制度も活用され、06年度からは労働審判制度も実施される。これらの手続における当事者の代理人は弁護士だけでは十分に需要に対応しきれず、ことに、解雇予告手当の支払など少額の金銭的紛争については、労働法の素養のある誠実な社労士に一定の限度で相応の役割が期待されるところではある。

 

3.層としての社労士の実情
 
しかしながら、層として社労士の現状をみた場合、以下のような疑問、懸念がある。

(1) 法的紛争解決能力への疑問
 
個別労働紛争を適切に解決するには、労働法全般についての知識と共に裁判の進行・帰趨に関する知識が不可欠であって、その前提として民法・民訴法の知識がなければならない。
しかしながら、現状の社労士資格の取得においては、これらの知識はほとんど要求されていない。労働法においてすら、労基法の細かな文言に関する若干の知識は要求されるものの、個別労働紛争解決の重要な判断基準の多くを占める労働判例についての知識は全く問われない。労使いずれの側に立つにせよ、これでは迅速・適切な解決は望みえない。
(2) 社労士の経営基盤
 
社労士は、事業主からの依頼により社会保険事務を行うことを主たる業務とするものであり、また、「労務管理その他労働に関する事項」の相談・指導業務(法2条1項3号)も専ら事業主に対して行われてきたものであって、その経営基盤は完全に事業主にあると断ぜざるをえない。かかる社労士が労働者の代理人として、労働者の利益のために誠実に業務が遂行しうるのか疑問を禁じざるをえないところである(ちなみに、労働問題を専門的に取扱う弁護士においては労使双方の事件を担当する者は極くわずかである。また、弁護士においては、事業主に基盤をおかずに十分に経営しうる条件があり、現に、労働者に基盤を置く法律家団体がいくつも活発に活動しており、その人数は優に1000人を超える規模である)。
(3) 問題のあるいくつかの実例
  ① 全国社会保険労務士連合会では、全都道府県に総合労働相談所を設置する方針を掲げ、多数の労働相談を行っており、いわばその成果をまとめたものとして「個別労働紛争相談事例集」(保険六法新聞社。H14.3刊)を発行している。しかし、その記述中には法的に不正確、不適確なものが随所に見られる。例えば、就業規則の不利益変更の効力に関しては、「労働条件の不利益変更が有効か否か争われた事例としては有名な秋北バス事件がありますが、最高裁(最3小昭43・12・25判)は「当該規則条項が合理的なものである限り、ここの労働者において、これに同意しないことを理由として、その適用を拒否することは許されない」と判断しています。(33頁)」として、最も重要な、「労働条件の不利益変更は、原則として効力なし」との点を記述せず、転籍と出向の違いについては、「A社からB社に雇用主が移ることを「移籍・転籍」、雇用主は変わらないものの指揮命令者が変わるものを「在籍出向」といいます。(31頁)」として、転籍はA社との労働契約が終了する点、出向は通常A社・B社とも労働契約上の使用者となる点が欠落し、休職については「所定の休職期間が満了するまでに就(ママ・休の誤記)職事由が解消しないときは、休職期間の満了をもって当然に退職または解雇の扱いを受けることになります。(71頁)」として、片山組事件最判(98.4.9)などの判例動向を全く無視している。
  ② 当弁護団所属弁護士が具体的な事件の中において、相対した社労士は、イ.実態は雇用(労働契約)だが、形式上、請負とされている者の解雇事件につき、社会保険労務士の肩書きで「請負であり、契約解除は自由」との文書を被解雇者に送付(仮処分事件は解雇を前提に和解成立)したり、ロ.残業代の未払い請求をしたところ、社労士が出てき、残業代は支払うと言いつつ、そのような主張をするなら会社には居づらいだろうなどと退職を迫り、労働者がこれを拒否すると、さらに「解雇しようとすれば解雇できる」として再度退職を迫る(労働者は結局解雇されたが、地位保全仮処分で解雇無効が余りに明らかであったため、第1回審尋期日で事実上結審となった)などの無法・無知な言動を行っている。イは労働法は形式でなく実態に基づき判断するとの労働法の基礎の無知によるものであり、ロは法令遵守の意識を欠如させ事業主の利益のみを追求する姿勢によるものである。
  ③ さらに、判決文においても同様の無法な事実が認定されている。セクハラ被害者が労働局雇用均等室に相談し、同室の助言により相談窓口として登場した社労士O(事業主の常勤顧問である)は「債権者から同年5月8日以降の経過についての説明を聞き終わるや、A所長、E部長、J次長に詫びを入れるか、自己都合で債権者が辞めるかどちらかを選択するしかない、今回の債権者の申立ては通らない、取りあえず出社するようにという趣旨の発言をした。債権者は、債務者が行政指導に従って設けた相談窓口というのは、話の経過を聞いただけで、何も対応せず、債務者の言い分を押しつけるだけであると感じた。」(名古屋セクハラ事件・名古屋地裁03・1・14決定。労判852号58頁)。
  ④ 極めつけは、違法行為の慫慂である。「賃下げ・首切りご指導します」「社員の給料・労働条件の値切り方ご指導いたします」(日本法令)なる著作をものする社労士木全美千男は、同書において「労働保険料を削減する方法」として、「業務請負」を利用し「業務請負契約書を結ぶ」ことを指導し、さらに「あらかじめ労災として元労働者に訴えられる道を封じておかなければなりません」として「一人親方の労災保険に加入させてお」くことまで指導している(前書95頁)(同書には違法、不当、不適切な記述が満載されている)。「労働及び社会保険に関する法令の円満な実施に寄与」(社労士法1条)することを目的としてその存在が公認されている社労士がその脱法を違法に指導している点は極めて重大であると同時に、形式ではなく実態判断との労働法の基礎知識の欠落を如実に示す事例である。

4.社労士への権限付与は極めて慎重に
(1) 以上、若干の事例からも明白なように、層としての社労士の個別労使紛争解決能力は、現状では極めて低いと評さざるをえない。この能力上の問題は、労働者側代理人としては、本来救済を受けうべき労働者が十分な救済を受けえないという事態を招くこととなり、使用者側代理人として活動する場合にあっては、その無知・無能により徒らに事態を紛糾・混乱させ、労働者の正当な権利行使を抑圧したり、紛争の解決意欲を阻喪させることになる。
(2) 本改正においては、以上のような社労士を巡る問題点を十分ふまえることが必要不可欠であり、以下の通りとすべきである。
 
第1に、労働局及び労働委員会が行う個別労使紛争のあっせんにつき、特定社労士に代理権を付与するとしても、特定社労士の認定を厳格にしなければならない(意見の趣旨1(3))。ことに、全国社労士連合会に「試験の実施に関する事務(合否の決定に関する事務を除く)を行わせることができる」(法案13条の4、同13条の3第2項但書)との規定は、その事務が単純でルーティンな事務に限られることが明確とされない限り、削除すべきである。
 
第2に、均等法上の労働局が行う調停については、男女差別やその是正、セクハラ事件など十分な知識と配慮を要するものであって、現時点で社労士に代理権を付与すべきではない(前記3(3)③参照)。
 
第3に、認証民間ADRにおける代理権を付与するとしても訴額に係わりなく弁護士との共同受任を条件とすべきであり、ことに、労働契約の存否(前記3(3)②イ参照)や労働契約の終了(同ロ参照)にかかる紛争についてはこれを絶対的条件とすべきである。民間ADRとして現在社労士会が設置している総合労働相談所が認証されるとすればなおさらである。その法的レベルが前述のとおり(前記3(3)①参照)であることからすれば、社労士の社労士による事業主のためのADR手続に堕する危惧は、到底、払拭しえない(なお、民間ADRについては、当弁護団の04年5月27日付司法制度改革推進本部ADR検討会宛「意見」も参照されたい)。

5.労働争議介入禁止は維持すべき
 
まず前提として、現行法が禁じている争議介入の範囲を確定する必要がある(この範囲について認識の食違いがあるまま議論をしても不毛である)。介入が禁じられる争議とは、集団的労使関係において争議行為が発生又は発生のおそれある状態とされる。問題は「発生のおそれ」の範囲である。法が制定された68年(昭和43年)当時、既にいわゆる合同労組が存在したものの、今日のような、紛争当事者となった労働者個人が企業内外の労働組合に相談・加入する事態は想定されていなかった。紛争当事者となった労働者が労働組合に加入する可能性は常にあり、その意味では個別労使紛争は常に労働争議発生のおそれを有すともいえるのであって、少なくとも、紛争当事者となった労働者個人が労働組合に加入し、その旨通知された時点からは労働争議発生のおそれがあると解すべきであろう。
 
かかる解釈を前提とすると、社労士一般の争議介入禁止を解除すべき必要も理由も何ら存しない。即ち、組合員についての紛争及び組合に加入した者の紛争について社労士の介入は禁止し、かかる紛争が労働局・労働委員会及び認証民間ADRのあっせんに持込まれた場合のみ、その手続の進行中に限り、本法の定めを「法令の定めによる場合」(法23条)に該当するものと解すれば、何らの支障もない。

以