(意見書)労働契約法制の基本的性格についての意見書

2004/9/9

労働契約法制の基本的性格についての意見書

2004年6月24日

今後の労働契約法制の在り方に関する研究会 御中

                         日本労働弁護団
                         会長 宮里邦雄

 

 日本労働弁護団は、今後の労働契約法制の在り方を調査・研究される貴研究会に対し、労働契約法制がどのような内容となるかは働く者の雇用・労働条件や人権のあり方、さらにはわが国の雇用社会の法制度のあり方に関する極めて重大な問題であると考える法律実務家の立場から、労働契約法制のあるべき基本的性格についての意見を述べる。             

1 はじめに
 
労働契約法制については、2003年6月の労働基準法改正法案に対する衆参両院附帯決議で「労働条件の変更、出向、転籍など、労働契約について包括的な法律を策定するため、専門的な調査研究を行う場を設けて積極的に検討を進め、その結果に基づき、法令上の措置を含め必要な措置を講ずること」とされていたが、厚生労働省はそのために「今後の労働契約法制の在り方に関する研究会」を2004年4月23日に発足させた。
 貴研究会は、「労働契約法制の対象とする者の範囲」、「労働契約法制の機能」、「労働条件設定システムの在り方」、「労働契約の成立、展開、終了に係るルールの在り方」などの検討事項について調査・研究を行うものとし、各検討項目について論点を抽出するための議論を行って2005年春までに論点を集約し、その後検討の方向を具体的に議論して2005年秋を目途に報告書を取りまとめることとしている。
 日本労働弁護団は、これまで、1994年4月に「労働契約法制立法提言」、1995年6月に「労働契約法制立法提言(緊急五大項目)」、2002年5月に「解雇等労働契約終了に関する立法提言」を発表してきたが、包括的な労働契約法の立法化に向けて厚生労働省として検討を開始するという新たな状況もふまえ、あらためて労働契約法制の立法案の再検討作業を開始している。
 日本労働弁護団として、貴研究会がとりまとめを予定されている報告は労働契約法制に大きな影響をもつものと考え、今後貴研究会での検討作業に対応し、順次意見を提出したいと考えているが、本意見書では、貴研究会で「労働契約法制の機能」の検討事項について、「規定の性格」として、「強行規定か任意規定か」、「実体規制か手続規制か」、「自発的な法目的達成への支援か権利の強制的実現か」という論点を設定していることに鑑み、労働契約法制のあるべき基本的性格についての意見を以下に述べることとする。いうまでもなく、上記の論点は、労働契約法制がどのような内容のものになるのかを左右する重大な問題であり、貴研究会における十分かつ慎重な検討を求めるものである。

2 労働契約法制の意義

(1) 従来、労働契約についての中心的な紛争、すなわち、解雇、雇止め、労働条件不利益変更、配転・出向などの紛争については、その紛争解決の判断基準は専ら判例法理によって形成され、裁判所に提起された個別事件における判断の中で示されてきた。しかし、判例法理による紛争解決の判断基準は、法令のように周知されることはなく、また、法令に比べて明確性を欠くという問題もある。紛争解決の判断基準がより明確に周知されることは、紛争発生後に裁判所が判断する結論に対する紛争当事者の予測性、納得性という点でも、紛争発生前に紛争を事前に予防するという点でも重要であり、紛争解決の法的ルールは法令によって明確にされ周知されるべきである。すなわち、労働契約法制は、労使紛争発生後の裁判規範としても、労使紛争発生前にこれを予防する行為規範としても、重要な意義がある。

(2) また、今後の労働契約法制の基盤となるべき判例法理が形成してきた労働契約に関する紛争解決基準は、使用者の行為(解雇、雇止め、配転、労働条件変更、懲戒処分など)の有効性要件を定めることを基本的内容としている。このように労働契約に基づく使用者の行為を制限するのは、労働契約関係はあらゆる場面で使用者が労働者に対して優越的立場に立つ継続的関係であるという特徴があるからである。すなわち、労働契約関係は、経済的力関係に大きな違いがある当事者間の継続的関係であり、労働者は労働力を提供して毎月の賃金により生活していかなければならないから、労働者が使用者と対等の立場で労働条件等を合意決定できる関係にはなく、また、労働契約の性質上からも労働者は使用者の指揮命令に従って就労しなければならない義務を負うから、労働契約の開始、展開、終了のあらゆる場面において使用者は労働者に対して優越的立場に立っている。そして、労働契約関係の存続とその内容は、労働者にとって生活を維持する手段であるばかりか人間としての尊厳にも関わる問題でもある。このために、判例法理は、解雇、雇止め、配転、労働条件不利益変更、懲戒処分など使用者の行為の有効性要件を定めて労使紛争の適正な解決を図ろうとしてきたものと考えられる。労働契約法制においても、このような基本的視点をふまえて、そのあるべき内容が検討されなければならない。

 

(3) 日本労働弁護団は、このような観点をふまえ、これまでの労働契約法制立法提言を行ってきており、労働基準法のような刑罰法規や行政取締法規でなく、使用者の行為等に関する労働契約上の権利義務の要件と効果を定める民事法としての包括的な労働契約法の内容を提起してきた。先般の労働基準法改正によって解雇に関する紛争解決の基本的な判断基準とその法的効果が立法化されたことは、労働契約法制の整備に向けての第一歩として評価される。
 今後に整備されるべき包括的な労働契約法制の基本的性格も、労働契約における非対等性をふまえた労働契約に係る労使紛争を適正に解決する規範として、また、労使紛争を事前に予防するための行為規範として作用するように、労働契約関係上の権利義務の要件と効果を定めるものとすべきである。

3 労働契約法制の基本的性格
 以上のような立場から、日本労働弁護団は、包括的な労働契約法制における法規定は次のような基本的性格を有するものとして、その内容が定められるべきであると考える。

(1) 第一に、労働契約法制は、当事者の意思のいかんにかかわらず適用される強行規定がその基本になるべきである。
 労働契約関係は労働者と使用者が対等の立場で労働条件等を合意決定できる関係にはないのであるから、当事者がこれと異なる合意をすれば適用されない任意規定とすることは、労働契約関係上の権利義務の要件と効果を定めて労使紛争の適正解決の判断基準を示すという機能を果たし得ず、労働契約で定めのない事項だけにしか適用されないというほとんど実効性のない法律になる。
 労働者への情報開示がなされれば労使対等決定がなされるようになるとし、事前説明や協議による「労使の合意」を尊重すべきであり、法律は介入すべきでないとの「労使自治論」は、労働組合の組織率が1割台になり、しかも労働組合がある職場でも使用者と対等の力関係にない場合が多いことからすれば、現実的基礎を欠くばかりか、実質上は使用者の一方的決定を容認することになりかねず、賛成できない。

(2) 第二に、労働契約法制は、労働契約関係上の権利義務の要件と効果が定められるべきであり、使用者の行為の有効性要件としての合理的理由や必要性などを定めるいわゆる実体規制が中心となるべきである。
 いわゆる実体規制に加えて、使用者の行為についての事前の予告・説明や協議という形式的・手続的な手続規制を定めることは、実体規制に反する使用者の行為の実行を抑制して労使紛争を事前に予防することが期待されるといえよう。
 しかし、実体規制か手続規制かという二者択一的な問題提起をしたうえ、実体規制をしないままでの手続規制で足りると考えることは、労働者と使用者が対等の立場で合意し労働条件等を決定できる関係にはなく、労働契約の開始、展開、終了のあらゆる場面において使用者は労働者に対して優越的立場に立っていることから目をそらすものであり、妥当ではない。事前の予告・説明や協議という手続要件を課したとしても、労働契約関係は労働者と使用者が対等の立場で合意するという前提条件を欠いているのであるから、手続規制だけで労使紛争の適正解決や予防を図りうると考えることは到底できない。
 労働契約に係る労使紛争は、手続の当否をめぐって生じるのではなく内容の当否をめぐって争われているのであり、労働者からの異議申立の核心は使用者の行為の内容の不当性である。たとえば、転勤の紛争についていえば、労働者にとって転勤を不当であると考えるのは転勤内容が受け入れ難いからであって事前の説明がなかったことではない。
 事前の予告・説明や協議という形式的・手続的な要件のみを重視して、使用者の行為の内容を制限するいわゆる実体規制を後退させることは、労働条件等を労使対等の立場で決定できない労働者に対して使用者がその一方的決定を受け入れさせることを法的に強いることにもなる。
 労働契約法制は、いわゆる実体規制を中心とし、いわゆる手続規制はこれを補完するものと位置付けるべきである。
なお、実体規制と手続規制の区別は必ずしも明確ではなく、例えば、いわゆる整理解雇の四要件の「解雇回避努力」は、希望退職募集手続や他部署への配転など解雇回避措置をとったかどうかを問題にする点では実体規制であるとともに手続規制の側面も有している。実体規制か手続規制かという二者択一的な問題提起自体も正確さを欠くと考えられる。

(3) 第三に、労働契約法制に期待される主要な役割は、労働契約関係上の権利義務の要件と効果を定める裁判規範としての民事法であり、裁判所の判決を通じての権利の実現、いいかえれば労使紛争の公正かつ妥当な解決基準を提示することにある。
 労働契約法制を「自発的な法目的達成への支援」と位置付けることは、裁判所による権利実現のための法としての役割を軽視するものである。これでは労働契約法制は、労働契約当事者の行為について法的に判断する裁判規範であることを否定され、権利を実現する民事法としての意義が損なわれることになる。また、労働契約法制は、労使紛争を法的に判断する裁判規範であればこそ、労使紛争発生前にこれを予防する行為規範としても作用するのであり、裁判規範でない法規定は労使紛争発生を予防する行為規範としても十分な機能を果すことはできない。
 なお、「自発的な法目的達成への支援か権利の強制的実現か」という論点設定自体が正確ではないと考えられる。「自発的な法目的達成への支援」とは何を意味するのか必ずしも定かではないし、労働者が対等の立場で労働条件等を合意決定できない実態を無視した「労使自治論」が基盤になっているとも考えられる。また、「権利の強制的実現」といっても、刑罰法規に基づく取締行政機関によるものか、裁判規範に基づく裁判所の判決によるものかでは全く異なる。

 以上のように、労働契約法制に求められる基本的性格は、労使対等な立場にはない労働契約関係についての裁判規範及び行為規範として、労働契約関係上の権利義務の要件と効果を定めるものでなければならない。2006年より施行される労働審判制度を、実効性があり国民の期待に応えるものとするためにも、労働契約法はかかる法律とされるべきであると考える。

以 上