(意見書)「敗訴者負担合意」の排除を求める意見書

2004/3/23

「敗訴者負担合意」の排除を求める意見書

2004年3月5日
日 本 労 働 弁 護 団
幹事長  鴨 田 哲 郎

第1 労働訴訟には訴訟上の「合意による敗訴者負担制度」を導入すべきではない
 政府は、司法制度改革推進本部司法アクセス検討会での議論を受けて、弁護士費用の敗訴者負担制度につき「合意による敗訴者負担制度」、すなわち①各自負担を原則とするが、合意ができたときは敗訴者負担とする、②敗訴者負担の合意は、訴訟提起後代理人双方の共同申立の方法による、との民事訴訟費用法改正案を閣議決定し、本通常国会に提出した。
 当弁護団は、これまで3度にわたり、労働訴訟への敗訴者負担制度の導入に反対する意見書を司法制度改革推進本部・司法アクセス検討会に提出してきた。従来、アクセス検討会においては原則導入を前提とした議論がなされてきたが、今回の「合意制」は全く質の異なる問題である。そもそも敗訴者負担制度は原告側の司法アクセスを阻害する要因の除去を目的として提起されたが、「合意制」は、提訴時に相手方の合意が得られるか否か不明なのであって、何ら原告側の司法アクセスに資するものではない。諸外国においても合意による敗訴者負担制度は存在しない。「合意による敗訴者負担制度」は、司法アクセスとは無縁である。
 さらに、労働訴訟(労働者個人対事業者だけでなく労働組合対事業者の訴訟を含む)については、「合意による敗訴者負担制度」では労働者・労働組合の司法アクセス阻害の排除にはまったく不十分である。昨年11月以前の司法アクセス検討会では、少なくとも労働者個人と事業者(企業)の間のいわゆる個別的労働関係訴訟については、労使間の訴訟対応能力の著しい格差等により労働者の司法アクセスが阻害される弊害が大きいことを理由に、「訴訟類型による除外例」とすることでほぼ合意ができていた。そのことからすると、労働訴訟に敗訴者負担制度を持ち込む余地を認める「合意による敗訴者負担制度」には、合理的な理由が全くない。
 当弁護団は、労働訴訟(労働者個人対事業者だけでなく労働組合対事業者の訴訟を含む)について、「合意による敗訴者負担制度」を導入することを認めることはできない。
 また、あわせて、労働基準法や労働組合法、男女雇用機会均等法等に基づき使用者の労働諸法規の違反を主張しその是正を求めることを内容とする労働訴訟や労災補償の不支給処分の取消等を求める行政訴訟については、公共的利益の実現を図るための司法アクセスを促進する見地から、労働者・労働組合が勝訴したときにのみ敗訴した使用者等に労働者側の弁護士報酬を負担させる片面的敗訴者負担制度を導入することを求める。

 

第2 労働契約等における事前の「敗訴者負担条項」を無効とする措置を取るべきである
1 規制の必要性
(1)
訴訟上の「合意による敗訴者負担制度」とは別に、労働者個人と使用者間の労働契約等や労働組合と使用者間の労働協約において、労働訴訟に関する弁護士費用等の敗訴者負担条項が規定された場合についても、労働者・労働組合の司法アクセスを阻害しない観点から検討を要する。
(2)
労使関係、特に個別の労働契約関係においては、使用者と労働者とは対等な関係・立場にはない。労働契約の締結に際して労働者の採否を決定するのは使用者であり、採用後も労働者個人が使用者に対して対等な立場で交渉することはできないのが実情である。
 使用者が、労働者を採用するに際し、敗訴者負担条項を含む労働契約書に署名押印を求めた場合、労働者は敗訴者負担の意味を理解していない場合はもとより、理解していても、採用と引換えに敗訴者負担条項について異議を述べることなど到底できない。採用後も労働者個人は使用者に対して対等な立場で交渉することはできないのであり、敗訴者負担条項のみ解約の申し出をすることなど全く考えられない。
 また、労働契約書が作成されていない場合であっても、就業規則の内容が労働契約の内容となりうるとの判例法理によれば、就業規則に敗訴者負担条項が定められていた場合には、敗訴者負担の合意が成立していると解釈されかねない。さらには、就業規則を遵守する旨の誓約書や同意書を根拠に、合意の成立が主張されることも危惧される。
 さらに、労働組合と使用者間で締結される労働協約においても、いわゆるギブアンドテイクにより他の有利な労働条件の獲得と引き換えに、労働組合と使用者との間の労働訴訟に関する「敗訴者負担条項」を飲まざるを得ない事態が生じることも、あり得ないことではない。
(3)
こうした労働契約等における事前の「敗訴者負担条項」が有効だとすると、例えば、解雇された労働者が訴訟を提訴したが敗訴した場合、敗訴者負担条項に基づいて使用者の弁護士費用等について支払を命じられることになる。このような労働紛争発生前の敗訴者負担合意を根拠に、労働者らがこれに拘束され敗訴の場合の使用者の弁護士費用等を負担させられるということになれば、労働者らは、解雇、労働条件切下げ、賃金不払、賃金・男女差別等の権利侵害に対し、敗訴したときの使用者側の弁護士費用等の負担を恐れて訴訟提起を萎縮し、実質的に憲法が保障する裁判を受ける権利を奪われることになる。このような敗訴者負担条項を労働契約上、有効と解することは断じて許されない。
(4)
以上の理由により、労働契約等に関する紛争が具体的に発生する以前になされた使用者と労働者・労働組合との間の敗訴者負担合意は、法化社会を目指し司法アクセスを容易にしようという本法の目的に背くばかりか、労働者・労働組合の裁判を受ける権利(憲法32条)の保障にももとるものであって、その効力は、訴訟上ですら双方代理人の共同申立という厳しい条件の下にはじめて認められるものであることに照らせば、公序良俗(民法90条)に反し無効であると解される。
 ただ、この点については先例となる裁判例もなく、上記に述べたような法解釈が確立しているわけでもない。そこで、解釈による有効判断の余地を無くし、もって労働者・労働組合の裁判を受ける権利を確実に保障するために、「敗訴者負担条項」を無効とする労働者・労働組合保護の特則を設けることが絶対に必要である。

2 労働基準法第16条は、事前の「敗訴者負担条項」の効力を左右するのか?
(1) 昨年11月21日の司法アクセス検討会では、ある委員から、労働契約上の敗訴者負担条項は労働基準法第16条によって規制されるから問題はないとの趣旨の発言がなされた。また2月25日の衆議院法務委員会では、政府参考人(司法改革推進本部事務局長)が同趣旨の答弁をしている。
 しかし、以下に述べるとおり、労働契約上の敗訴者負担条項が直ちに労基法第16条により無効となるとの見解には疑問が残る。
(2) 労基法第16条の立法趣旨
 労基法第16条の立法趣旨は、労働者に対する使用者の足留め、身分的拘束の禁止にある。すなわち、労働者が違約金や損害賠償を支払わされることを恐れその意に反して労働関係の継続を強いられることを防止しよう(労働省労働基準局編「改訂新版労働基準法上」平成12年3月210頁、厚生労働省労働基準局編著「全訂七版解釈通覧労働基準法」02年8月109頁)というものである。
 しかし、労働訴訟で労働者が敗訴した場合に相手方(使用者)の弁護士費用等を負担させられるとしても、それによって労働者が当該使用者との労働関係に足留めされ退職の自由が奪われることにはならない。労働訴訟で争われる内容は、労基法第16条が予定する「場面」とは異なることが多い。
(3) 労基法第16条の要件
 労基法第16条は、「(労働者による)労働契約の不履行」についての「違約金」の定めや「損害賠償額を予定する契約」を禁止する(使用者が自らの不履行につき違約金の定め等をおくことは通常、ない)。
 しかし、労働者は使用者がなした自らに対する措置(解雇、賃金不払い等)について訴訟を提起するのであって、これら使用者の措置が同条の対象とはならないことは明らかである。また「労働契約の不履行」とは、労働者の故意・過失による履行不能のほか、履行遅滞、不完全履行等の契約の本旨に従った履行をしない場合の一切(例えば遅刻・無断欠勤、不注意による不良品の生産等)も含まれる(以上、前掲書)。このような場合、使用者から具体的損害に基いて損害賠償訴訟が提起されることはありうるが、当該訴訟において使用者が負担する弁護士費用等が労働契約上の「違約金」に該当するとは考えられない。この点は、これまで学説・判例において論議されたことが全くなく、少なくとも明白に労基法第16条が適用されるとはにわかに解し難い。
 さらに、労基法第16条が禁止しているのは、損害賠償の金額を予め定めておくことであり、使用者が現実に生じた損害について賠償を請求することは差し支えない、とされている(昭22.9.13発基17号)。こうした解釈からすると、額を定めずに単に労働者が敗訴した場合には当該訴訟において使用者が負担する弁護士費用等を請求し得る旨の約定をした場合は、労基法第16条の守備範囲とはいえず、同条違反とはならないとされる恐れがある。
(4)
以上のとおり、立法趣旨及び要件いずれからしても、労働契約上の敗訴者負担条項が、直ちに、労基法第16条により無効になるとの見解には疑問が残る。

3 規制の具体的方法
 他方、政府答弁からも明らかな通り、私法上の敗訴者負担合意の効力を認めるべきではないとの結論は一致しており、その効力について疑義や解釈の余地を残さないためには、明解な条項を置けばよい。
 そこで、例えば「労働契約、労働協約、就業規則等における弁護士等報酬敗訴者負担の定めは、無効とする。」との規定を、民事訴訟費用法に新設すべきである。
ちなみに、新仲裁法では「仲裁合意であって、将来において生ずる個別労働関係紛争を対象とするものは、無効とする。」との規定(附則4条)が、国会審議の最終盤で新設されている。

以 上