(意見書)労働訴訟における敗訴者負担についての意見

2003/3/28

司法制度改革推進本部
 本部長 小 泉 純 一 郎 殿
同推進本部司法アクセス検討会
 座 長 高 橋  宏 志  殿
同推進本部労働検討会
 座 長 菅 野  和 夫  殿

労働訴訟における敗訴者負担についての意見書

 2003年3月7日

日 本 労 働 弁 護 団
  幹事長  鴨 田 哲 郎

 貴推進本部司法アクセス検討会では、現在、弁護士報酬敗訴者負担問題が議論されている。本年1月29日開催の検討会では、貴検討会高橋座長は弁護士報酬敗訴者負担制度を原則として導入することを前提に、「今後は訴訟類型ごとに導入しないものを検討していく」との考え方を表明した。
 昨年の人権大会における決議にあるように、日本弁護士連合会は、一般的な弁護士報酬敗訴者負担制度は市民の司法アクセスを著しく阻害するとして反対の立場を表明している。当弁護団は、この日弁連の立場に賛同するとともに、とりわけ労働訴訟への同制度の導入については、次の理由から絶対反対するものである。

1 労働訴訟の特質
  第1に、労働訴訟においては、使用者と労働者との間の経済的・社会的な力関係に圧倒的な格差が存在する。憲法28条が労働者の団結権・団交権・争議権を保障し、憲法27条に基づき労基法等が契約自由の原則を修正して最低労働条件を法定し、これを刑罰を以って遵守せしめようとしていることから、この点は明らかであり、現在もこの基本的な関係に何らの変化もない。即ち、労働訴訟は、民訴法が予定する対等平等な市民間の紛争ではないのであって、本来、その特質に即した訴訟手続が定められるべき性質の訴訟類型である(当弁護団は、貴推進本部労働検討会に対し、「労働訴訟手続の特則の試案」を提出している)。諸外国において労働訴訟について特別の手続を定めたり、労働裁判所など固有の紛争解決機関を設けているのは労働関係のこのような性格を考慮しているからに他ならない。
  第2に、労働訴訟は、労働者が原告(申立人)として、圧倒的な支配権限を有する使用者(会社)が採った解雇その他の不利益処置に対して異議申立をなすものであって、労働訴訟によって紛争解決を求める者は、ほとんどが労働者である。
  第3に、労働訴訟の対象となる使用者が当該労働者に対して採った処置に関する証拠の大半は使用者の手元にある。さらに、使用者はその圧倒的支配権限を行使して新たな証拠も自在に作出できる。こうした中で使用者は自己に都合のよい証拠だけを訴訟に提出する可能性がある。証拠開示制度が極めて不十分な中で労使間における証拠の偏在は著しい。すなわち、現実の証拠提出能力においても圧倒的な格差が存在するのである。労働訴訟において、労働者が真実を立証することは極めて困難であるが、労働者の立証不成功は、直ちに労働者の主張の不当、不相当を意味するものではなく、その原因は、当事者の非対称性にある。敗訴者負担制度は実質的な武器の平等が保障されなければ極めて不公正な制度である。アメリカと同等のディスカバリーを制度化しないまま、労働訴訟に敗訴者負担制度を導入することは、明らかに不公正である。
  第4に、労働訴訟では、労働契約法が存在せず、規範となるべき実定法に乏しく、「権利濫用」「正当性」「合理性」「相当性」「総合判断」などの抽象的基準による判例法理に頼らざるを得ない状況がある。こうした現状から、労働訴訟においては、同じ抽象的基準によったとしても個々の裁判官によって結論が左右される余地が大きく、勝敗の見通しは極めて立てにくい。
  第5に、労働訴訟には、労災保険等の不支給決定に対する取消訴訟や、不当労働行為救済命令の取消訴訟など行政事件として争われる類型もある。これらは公的機関の判断の正当性が審査される争訟であり、これらに敗訴者負担制度を導入することは、公的機関の判断の正当性、相対性について国民が司法チェックを求める機会を奪うことになりかねない。

2 労働者の司法アクセスの困難性の助長
 欧米では年間数十万件の労働裁判が提起されているのに対し、わが国で新規に提起される労働裁判は仮処分申立を含めても年間3000件弱(それでも、ここ数年でほぼ倍増した)と格段に少ない状況にある。これは何よりも簡易・迅速・安価な労働訴訟制度が法定されていない結果であり、上記1と相まって、使用者の処置に不満・疑問を持つ労働者や使用者の辺置の適正について司法判断を求めたいとする労働者の司法アクセスは極めて困難である。かかる状況の中で、労働訴訟に両面的な敗訴者負担制度が導入されることになれば、基本的に賃金を唯一の生活の糧とし資力に乏しい大半の労働者は、敗訴した場合の使用者側弁護士の報酬の負担を恐れて、ますます訴えの提起を萎縮することになるのは必定である。当弁護団が実施している労働相談においても、訴訟費用について相談者(労働者)が最も懸念するのが「敗訴したときに会社側弁護士の費用も負担しなければならないのか」との点である。これでは労働者の裁判を受ける権利が実質的に侵害され、職場での権利侵害に対して泣き寝入りを強いられることになる。今次司法改革が目指す、法化社会の実現、司法アクセスの拡充の理念に相反することは明らかである。
  さらに、「過労死・過労自殺」訴訟やセクシュアル・ハラスメント訴訟、男女昇進昇格差別訴訟、内部告発に対する不利益処分の撤回を求める訴訟などに代表される、労働者の新たな権利の確立や新たな労働法規範・労働関係秩序の創造をめざす訴訟などは、到底望めないことになってしまう。これでは、職場における労働者の権利状況が一向に改善されず、むしろ後退する危険性さえある。
  また、現に一般的な敗訴者負担制度が導入されている韓国では、同制度が労働者による訴訟提起抑制の圧力手段として「活用」されており、勝訴した使用者が手間隙も費用も度外視して敗訴した労働者から徹底的に弁護士報酬の取り立てを図り、これを「学習の機会を与えた」と称しているとの日弁連調査結果が報告されている。労働訴訟における敗訴者負担制度が、決して公正・適正な制度ではなく、労働者の司法アクセスを抑制する制度として機能する危険を如実に示すものである。

3 労働者の置かれている権利状況と権利救済手段の剥奪
  現在、深刻な経済不況の中で、わが国の労働者は退職強要や不当解雇によって、意に反して職を奪われている。職場に残った者も、一方的な賃金切下げや「過労死」しかねないほどの苛酷な労働を強いられている。その他にも職場における権利侵害の実態は、かつてないほど深刻である。こうした状況下で、労働訴訟に弁護士報酬敗訴者負担制度が導入されては、労働者は自らの権利の実現を図る最終手段を奪われるに等しい。

 以上の見地から、労働者の司法アクセスを阻害しないために、当弁護団は、とりわけ労働訴訟について、弁護士報酬敗訴者負担制度を導入することには絶対反対であることを、ここに表明する。

以  上